悩み≠惚気と知れ



 きっかけは、ついたての向こうから投げられた声だった。

「…悩みがあるんだ」

 暗く、沈んだ重い声。
 世も末と言いたげな声音にまたかと内心盛大なため息をついた留三郎は「そうか。頑張れ」と返し、再び作業を再開する。
 今日中にこの縄梯子を修繕しておかねばならない。明日あるクラスが授業で使用すると言っていた。友人のただ事ではない様子が気にならないわけではないが、今は縄梯子の方が重要だった。
 誰が破壊したのか、修補のスペシャリストである用具委員の中でも実力のある委員長の留三郎でなければ修繕不可能とされた縄梯子。手早く終わらせてしまわなければ、徹夜になるだろう。実習を終えた日の体に徹夜はきついものがある。
 だから留三郎は彼の発言をスルーすることにしたのである。

 それに、六年という長期間、彼と友人をやってきた経験が留三郎に告げていた。
 彼が口にする悩みとやらは留三郎にとって果てしなくどうでも良いことに違いないと。いや、違いない、どころの話ではない。はっきりと言い切ることができる。絶対にどうでも良い悩みだ、と。
 同室のよしみで一応応援の言葉は投げてやったのだが、彼は留三郎の態度が気に入らなかったらしい。ついたてから顔を覗かせると目を吊り上げて声を荒げた。

「速攻で流さないでくれるかな!?切実な悩みなんだよ!」
「知るか!どうせまた取るに足らん悩みなんだろ!俺は忙しいんだ、悩むなら勝手に静かに俺に迷惑を掛けずに悩んでろ!」
「それが六年来の友人に対する態度か!」
「そうだ!真剣に興味がない!」
「…乱太郎を」
「…!」
「抱きしめたいんだけどどうすれば良いと思う?」
「…〜っ!俺を無視して話を進めるんじゃねー!」
「前は何も意識しなくても抱きしめられたのになぁ…」
「人の話を聞け!馬鹿伊作!」

 重いため息を吐きながらついたてに腕を乗せた伊作は、留三郎の苛立ちをあっさり流して勝手に喋り始める。
 先程とは逆の状況に、留三郎は眉を吊り上げた。頭に血が上れば自然と手は止まる。
 徹夜フラグが着々と立ち始めていたが、留三郎は気付かず伊作の話に耳を傾けていく。

「上目遣いで見上げてくる乱太郎が可愛くて可愛くて仕方ないから抱きしめようとすると体が動かなくなるんだ…恋仲になってから特にひどいんだよ。なんでかなぁ」
「お前がヘタレなだけだろ」
「乱太郎が可愛すぎるのがいけないと思うんだよね、笑顔も寝顔も何してても可愛くてもう」
「乱太郎が可愛いのは認めるし知ってんだよ自慢かこの野郎」
「いやもう本当に困ったなぁ」
「俺はお前が鬱陶しすぎて困ってるがな」
「前はどうやって乱太郎を抱きしめてたのか思い出せない」
「よし、分かった。なら別れろ。そうすれば思い出せるぞ良かったな。ほら一刻も早く別れろ、さあ」
「だが断る!」
「ここだけはちゃんと聞いてんのかよ!」

 ああやっぱりどうでも良いことだったとここでようやく留三郎は後悔した。
 乱太郎、という名前が伊作の口から出た瞬間は、またこのヘタレ不運男が何かしでかして乱太郎を困らせたのだろうか、とか怒らせたのだろうか、まさか泣かせたのだろうかという考えが駆け巡ったのだが、蓋を開けてみれば伊作の悩みはただの惚気だった。
 乱太郎が関係しているなら縄梯子の修理など二の次三の次の大問題だが、伊作の悩みという名の惚気は縄梯子の修理に遠く及ばぬ些細な問題だ。
 有り体に言うなら、鬱陶しい以外の何物でもない。

「なんだよ、僕と乱太郎が付き合うって言った時、良かったなって言ったくせに!」
「それは乱太郎が幸せそうだったからだ!乱太郎がお前の隣を選んで、それで良いと決めたなら俺はそれに口を出す権利はないと思っただけだ!正直伊作はどうでも良い」
「ひどい!それでも友人か!友人の幸せはどうでも良いのか!」
「友人の幸せより可愛い後輩の幸せの方が優先順位が高いだけだ、気にするな」
「気にするわ!」

 ぎゃあぎゃあと喚く伊作に苛立ちながら、留三郎は考える。
 あの日、伊作先輩の隣にいたいんですと乱太郎が柔らかく微笑んだあの時、何故自分は思い直せと言わなかったのだろう。それがお前の幸せならばと身を引いてしまったのだろう。
 乱太郎の幸せの為に自分の精神衛生が脅かされっぱなしの毎日に、留三郎は深く深く、ため息を吐くしかなかった。

(ああ、せめて!)
(乱太郎がここにいてくれたなら!)
(あの茜色の子が笑いかけてくれたなら!)

 未だ喚き続ける伊作を前に、留三郎は遠い目を部屋の戸に投げた。
 そこから、あの子が顔を出さないか、なんて。

(無理な願いか)

 留三郎はがくりと肩を落とした。縄梯子の修理は、どうやら徹夜になりそうである。


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六は×乱が大好きです!!
ギャグにおける六はは、かっこいいけどどこかアホだと楽しい。売り言葉に買い言葉でぎゃあぎゃあやってたら楽しい。
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