保健委員会の日常 番外編



 忍術学園、医務室。
 学園にあるすべての者にとっての癒しの場であるそこに、癒しとは掛け離れた空気が満ちている。元より薬草棚があるせいか仄暗い医務室なのだが、その暗さが増しているように感じられた。心なしか、空気も冷たい。
 そんな医務室の真ん中で、ただひとり乱太郎だけは春のような空気をまとって座っていた。右の腹は伊作にまとい付かれ、左側に長次が座り、目の前には文次郎と小平太、留三郎の小さくもたくましい背中がある。そして仙蔵の「もう大丈夫です」という言葉に、小鳥がするように小首を傾げてみせたのであった。
 一年生三人、六年生多数の殺気を流していた曲者は、乱太郎の仕種を見て癒されながらもこう思ったという。

 あ、この子、分かってない。絶対分かってない。後輩たちがこれほどまでに必死になる理由も、同級生たちがこれほどまでに自分を敵視する理由も。
 そして、この場がこれほどまでに冷たい空気で満たされている理由が、すべて自分にあるということを、この子は分かってない、と。




 いつものように乱太郎が放課後の医務室の戸を開けた瞬間、今回の騒動は始まったと言って良い。
「あれ、雑渡さん。またいらしてたんですか」
「やあ、乱太郎くん。お邪魔しているよ」
 医務室の床に横座りし、ひらひらと手を振ってくる彼に、乱太郎は苦笑する。本来であれば学園の景色に馴染んではいけない人のはずなのに、彼がいるということを違和感なく受け入れてしまった自分に、乱太郎は苦笑したのである。
 どうかしたのという問いに曖昧な笑みで答え、乱太郎はすらりと障子を閉じ、室内へ足を踏み入れた。とりあえずお茶の準備をしようと動いていると、視界の端で彼が何かをこちらへ差し出している。あの包みはお団子だなと思考を巡らせながら、てきぱきと茶の支度を整えた。
「準備がいいですねえ」
「乱太郎くんもね」
 乱太郎が彼に茶を出すのとほぼ同じタイミングで、彼は団子の包みを解いた。特に示し合わせたわけでもないのに呼吸が合う。無駄な間も躊躇うものもない。不思議とぴたり合う。乱太郎は再び苦笑を浮かべた。
 十日に一度はこうして一緒に茶をしばくのだから、自然とそうなってしまった。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれども。
「みんな元気?」
「はい、変わりありませんよ」
「そう」
 交わされる言葉は少ない。ひとつの話題に二言三言。それでも互いにいたたまれない思いをすることはなかった。毎回似たようなやり取りをして、それでも彼はやって来てこうして二人で過ごす時間を持とうとするのだから、少なくとも嫌だとは感じていないだろう。乱太郎も(敵同士であるということを考えなければ)、この時間は心地好いと思える。
「あ」
「へっ?……あ」
 不意に彼が声を上げた。少し遅れて乱太郎も声を上げる。耳に届いたのは軽く、間隔の短い足音と、何やら言い合う声がいくつか。ああ、来るな。くすりと笑って彼を見遣れば、彼は肩をすくめた。呆れたような、でもどこか優しげに見えて、乱太郎は笑みを深める。
「あの足音は一年の子たちかな」
「そうですね。多分、伊作と留三郎、文次郎に小平太も一緒でしょう。もしかしたら仙蔵と長次も来るかもしれません」
「あー……いつもの子たちってところかな。さて、どうしようか」
 私は消えた方が良いかもねと足を逆に滑らせながら彼は言った。彼がそう言った理由が分からずに乱太郎は首を傾げる。いつもなら誰が来ようとそのまま居座ろうとして、部下に叱られているというのに。
 乱太郎の疑問を察知したのか、彼は膝に肘をつき、頬杖をしながらため息をひとつ吐いた。
「この前、君がいなかった時に彼らを少し怒らせてしまってね」
「あら」
「それ以来彼ら全員から敵視されているんだよ」
 元々貴方は敵ですけどねぇという言葉は飲み込んで、そうなんですかと乱太郎は返した。文次郎や留三郎は元より彼をあまり快く思っていなかったことは知っている。だが、彼の口ぶりからして、伊作も小平太も、大人しい長次や仙蔵もそうであるようだ。
 伊作は彼に懐いていたような気がしたけれど、彼は一体何をしたのだろうと乱太郎が口を開きかけたとき。
「あ」
「あっ」
「あー!!」
 すらりと障子が開いたのであった。
 乱太郎は今日は六人だったか、さて誰が怪我をしたのだろうと背筋を伸ばした。熱心に鍛練する文次郎か留三郎か。やんちゃが服を着て歩いている小平太か。それとも長次か伊作か。あるいは仙蔵か。
 今日はどうしたのと声を掛けようと口を開いた。
「曲者!」
「何してるんだ!」
 だが、発せられようとした乱太郎の言葉は文次郎と留三郎の鋭い声に止められた。部屋の中に飛び込んで来たかと思うと、二人は乱太郎を庇うような位置へ立つ。
 突然のことにぽかんとしている乱太郎とは対称的に、彼はすべてを予想していたのだろう。やれやれと少し面倒くさそうにため息をついた。
「何もしてないよ」
「うそをつけ!」
「猪名寺先輩と二人っきりだったところからしてあやしい!」
 文次郎と留三郎は噛み付かんばかりの勢いで彼に向かっていく。二人に並んで仁王立ちする小平太も毛を逆立てた猫のようだった。
「こらこら、三人共落ち着きなさい」
「ですが、猪名寺先輩…!」
「私は何もされていないよ」
 ほら、無事でしょうと腕を広げてみせる。そうすると、文次郎と留三郎は眉を寄せつつも多少怒りを引っ込めた。小平太は、ととと、と近づいてくると正面から抱き着いてくる。
「本当に?本当に先輩、なにもされなかったのか?」
「うん。大丈夫だよ」
 そんなに私は頼りなく見えるのかしらと微妙なものを感じつつ、頭を撫でてやりながら微笑めば、小平太はにかりと笑った。すりすりと猫のように頬を擦り寄せる小平太に、文次郎と留三郎が非難の声を上げたが、乱太郎が二人も来る?と問うと、顔を赤くしてしまう。そういうのはもう恥ずかしい年頃なのかもしれないなあと、少々ずれたことを考えていると。
「でもきっと、雑渡さんはこれからなにかするつもりでした」
 乱太郎の右隣へ移動していた伊作がぽつりとつぶやいた。左隣に座った長次も同意するように頷く。
「え?」
「だって、先輩と二人っきりだったんですよ?雑渡さんがその機会を逃すとは思えません」
 乱太郎の上衣の袖の辺りをぎゅっと握りしめながら目を釣り上げ、伊作は彼を睨みつけた。睨まれた本人はさして気にしていないようだったが、かなり厳しい目であった。おお怖い怖い、やっぱり伊作くんがいちばん怖いねぇと彼がつぶやいたのを乱太郎は聞いた。
 ああ、これはとても怒っているみたいだなあと乱太郎は感じる。それは乱太郎を囲んでいる他の一年生たちも同じだった。
 少々落ち着いたように見えていた文次郎と留三郎、小平太は再び彼を威嚇し始めたし、長次も怒りを帯びている。後輩たちは彼の何が気に入らないのか。それが分からず、乱太郎は首を傾げるばかりだった。
 私が彼に倒されてしまうと思っているのだろうか。先程も感じた、私ってそんなに弱そうに見えるのだろうかという微妙な感情と共に、小さな喜びも沸き上がる。心配させてしまうのは先輩として情けないけれど、自分を慕ってくれているんだなあと思えたからだ。
 だが、その「慕う」がどういう意味の「慕う」なのか、乱太郎は理解してはいなかった。ついでに一年生たちが感じている「倒されてしまう」も、ただ倒されるのではなく、「押し倒されてしまう」に近いのだが、乱太郎はそれを知らない。乱太郎がそれを知らないということを、彼は知っていたけれども、まあそれは別の話である。
「はいはい、みんなその辺りにしようね。私なら大丈夫だから」
「乱太郎先輩…!でも!」
「でも、じゃありません。そろそろ治療をしないとね?留三郎」
「……はい」
「うん。素直でよろしい!そういえば……」
 しょんぼりと乱太郎の前に座った留三郎の治療をするべく、小平太を移動させ、伊作に救急箱を取ってくるように言った乱太郎は、きょろりとひとつ室内を見渡した。違和感を感じたからだ。
「いないねぇ」
「いない、ですねぇ」
 文次郎と小平太に見張られている彼がのんびり言う。乱太郎も違和感の正体に気づき、同じ台詞を零した。
「……仙蔵が」
 そのときだった。

 スッパーン!!

 入り口の障子が壊れるのではないかという勢いで、開かれた。
「曲者はここかー!!」
「え、団蔵?」
「乱太郎、無事か!?まさかすでに押し倒されたなんてことはないよな!?俺以外の奴に股を開かされるなんて……いてえっ!」
「団蔵黙れ。阿呆なことを言っている場合じゃないだろう」
「あれ、金吾まで……どうしたの」
「団蔵とりあえずお前はあとで長屋裏な」
「逃げたら怒るからね?」
「兵太夫に三治郎も?」
 障子の向こうから現れたのは、一目で怒っているとわかる様子の級友たちであった。床下や天井裏にも気配を感じる。もしかしたら六年は組のほとんどが集合しているかもしれない。
「え?なんでみんないるの?なんでしかもみんな怒ってるの?」
「それは私がお答えしましょう」
「仙蔵……」
 姿が見えなかった仙蔵が、ひょこりと顔を覗かせた。危ないから下がっていろと兵太夫に言われ、乱太郎の元へと寄ってくる。
「先輩方がここにいらっしゃるのは、私がお連れしたからです」
「それでお前、医務室に入らずに駆け出したのか」
「そうだ。私たちだけでは歯が立たないと思ったからな。応援を頼んだのだ」
「仙蔵は相変わらず冷静だなあ!」
「ふん。恐れをなして逃げたんじゃなかったのか」
「文次郎、私はお前のように無鉄砲ではないからな。それに猪名寺先輩を確実にお守りするためにはこれが最上だと――」
「仙蔵、ごめん。先にもうひとつ説明してくれる?……なんでみんなあんなに怒ってるの?」
 乱太郎は顔を引きつらせながら級友たちを指し示した。怒号や叫び声こそなかったが、一触即発、些細なきっかけで戦闘が始まりそうな空気である。
 一年生たちをとりあえず安全であろう医務室の隅に誘導しながら、乱太郎は仙蔵に問い掛けた。すると仙蔵は、先輩方にこう言ったのだと口を開いた。
「猪名寺先輩の操が未曾有の危機ですと説明しました。効果抜群でした」
「へ?」
「猪名寺先輩、もう大丈夫です。あとは先輩方にお任せしましょう」
 ちょうどタイミング良く、背後で団蔵が「今日という今日こそお前をぎったんぎったんにしてやる!」と述べたため、仙蔵の言葉の前半を乱太郎は聞き取ることができなかった。首を傾げて、今なんて?と問い掛け直そうとした瞬間、膨れ上がった緊張が爆発した。
 まずい、と思い振り返る。この人数に医務室で暴れられたら、後片付けなんて可愛いレベルで済まされないほど室内が荒れる。だが、乱太郎が予想した光景はそこになかった。障子がひとつ倒されているだけである。
「あれ?みんないない……」
「今さっき外に飛び出していかれました。曲者も一緒に」
 仙蔵の言葉に耳を澄ませれば、確かに外で音がする。武器と武器が火花を散らす音、怒号に掛け声、爆発音、先輩方我々も参戦いたします!という五年生の声、彼らを応援する下級生たちの声援。
「ああもう、なんだってあんな必死になって!」
 乱太郎は意味が分からない!と叫んだ。その叫びに、一年生たちはそっとため息を吐いた。
(雑渡さんがあなたをお嫁さんにしたいと言ったから、みんな雑渡さんは敵だと、あなたを巡る恋のさや当てにおける敵だと認識したんです。だってみんな、あなたのことが好きだから。色を含んだ意味で、好きだから)
 一年生たちのため息に込められたそんな思いに気づかず、乱太郎は心配そうな目を表へと向けていた。




_ _ _ _ _

 後輩六年生と先輩乱ちゃんで書いてみようかなと思ったら雑渡さんがいつの間にか医務室にいらっしゃっていました。二人の絡みを書いていたらあんたら夫婦かと突っ込みたくなりました。
 雑渡さんの下心を知っている伊作たちや団蔵たちは、こんな感じで雑渡さんを威嚇しているんじゃないかなと!


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