納涼百物語と下心の肝試し
記録的な猛暑である。
じりじりと肌を焼く太陽とオーブンの中にあるかのような気にさせられる外界、そしてそこここで悲鳴を上げる蝉たちと人間たちの声の中に立ちすくみ、彼は思う。暑すぎる、と。
彼は元々、暑さには強い人間だった。幼い頃から夏も冬も関係なく表を跳び回っていたためか、彼自身の細かいことは気にしない気質が関係しているのかは分からない。だが、そんな彼をもってしても今年の夏は暑かった。拭っても拭っても額から吹き出る汗を鬱陶しいと思うくらいには暑さに参っていた。熱中症や夏バテに悩まされていないだけ幸せかもしれないとも思ったが、暑さが和らぐわけでもない。
「…………」
彼は考えていた。どうすればこの暑さを感じずに済むだろうかと。せめて、勉学やサークル活動、バイトに支障が出ない程度にまで忘れられたらいいのにと。脳天にまで響いてくる蝉の鳴き声を聞きながら考えた。
「……そうだ!」
その考えは、不意に湧いた。夏場に暑さを吹き飛ばすと言えば、アレしかない。蝉もびっくりの大声で彼は叫んだ。
「夏といえば怪談!百物語だ!」
そうと決まればと彼は歩き始めた。その脳内にはすでに開催する日常から場所、メンバーに至るまでの計画が列を成して行進している。あとはそれを実行という入り口へ向かわせるだけだ。彼はニッと笑った。
ぎょろりとした丸い目を見開いて、いきなりよく分からないことを叫び、ふらりとどこかへ行ってしまった小平太を、周りにいた人間たちは妖怪を見るような目で見たと言うが、真偽の程は定かでない。
「あ、もしもし?仙蔵か?今週の土曜に納涼怪談百物語するから!」
「……参加しろというのか。私にも予定というものがあってだな」
「乱太郎先輩も来るって」
「それを先に言え。行く」
「よお、文次郎!今週末俺んちでさ」
「今度は何を企んでんだお前は!」
「乱太郎先輩呼んで百物語しようと思って」
「…………行く」
「伊作伊作!今週の土曜に乱太郎先輩と」
「行く」
「まだ何も言ってないぞ」
「行く。行くったら行く」
「というわけで留三郎、お前はどうする?」
「行かないという選択肢が存在すると思うのか?」
「愚問だったな」
「てことなんだけど」
「…………そうか」
「長次も来るだろ?」
「…………」
「沈黙は肯定、だな!」
そしてあっという間にメンバーは集まり、土曜日となった。
主たる目的であるところの怪談話は深夜からとしたのだが、夏期休暇を持て余し気味だった彼らは、バイトを終えてひとりまたひとりと集まってきた。ただ、主客とも言える乱太郎が用事があるとかで午後九時頃に到着する予定なので、それまでの時間を彼らは酒宴で過ごすことに決めた。
ほど好く酒も回り、辺りも闇に包まれた。今は午後八時半を過ぎたところである。
「小平太、お前どうして百物語すると言い出したんだ?」
不意にそんな疑問を仙蔵が口にした。思った以上に響いたその言葉に、何故か場に沈黙が落ちる。少々飲み過ぎたとテーブルに突っ伏していた伊作も、寄れば口論の文次郎と留三郎も槍を引っ込め小平太を見た。そういえば開催理由を聞いていなかったとその顔には書いてある。
少し温くなったビールを呷り、小平太は言った。暑かったからだと。
「暑い夏には怪談と相場は決まってるだろ?」
「いや、まあ、そうだろうけど……」
「わざわざ猪名寺先輩にご足労いただくというのに理由はそれなのか……」
「失礼だな文次郎、理由ならまだあるぞ!」
深すぎるため息を吐いた文次郎にムッと口をへの字にしながら小平太は続けた。
「乱太郎先輩に会いたかったから計画したんだ!」
小平太が至極理解しやすい理由を口にした瞬間、場の空気が変わった。仙蔵は目を見開き、テーブルに頬を預けていた伊作ががばりと顔を上げ、文次郎と留三郎は一瞬の狼狽ののち、目を釣り上げた。
「なんつー不純な動機だ!」
「今、この場にいるお前らには言われたくない!いいだろ別に!最近全く会えてなくて寂しかったんだ!」
「確かに私も乱太郎先輩にお会いできるなら、と参加を決めたがな」
「仙蔵、お前な…!」
「ただ会いたいだけで百物語に乱太郎先輩を誘ったわけではないだろう?」
違うか小平太、と。仙蔵の目が小平太を射った。狐のような鋭いその目を真っ正面から受け止め、小平太は胸を張る。
「そうだ!怖がる乱太郎先輩をそっと抱きしめたいと思っている!あわよくば良い雰囲気に持って行きたい!」
「小平太てめぇええええ!!」
「ふざけんなぁああああ!!」
「乱太郎先輩をお前の隣に座らせないことが今決まった。私が乱太郎先輩の隣に行く」
「仙蔵お前もか!」
「はい、じゃあ僕は仙蔵の逆隣に座る」
「伊作ぅうううう!?」
「えー?それはずるいだろ!ジャンケンで決めよう!文次郎と留三郎はどうする?参加しないならしなくていいぞ」
「誰が参加しないと言った!」
「お前らを乱太郎先輩の隣に座らせるものか!絶対阻止してやる!」
怖がる乱太郎先輩に抱き着かれるなんて幸運を下心ありありのお前らに渡してたまるか!と。誰が言ったかは定かではないが、そうしてジャンケン大会が始まった。
ものすごく真剣な目つきであいこを繰り返す五人を冷めた目で眺めながら、長次は思う。
猪名寺先輩は看護師をなさっている。確か先輩が勤めているあの病院は出るという噂の絶えない病院だったはず。本人ものほほんと「うん、いっぱいいるよー」とおっしゃっていた。
本物を知っている先輩にとって、怪談話など恐ろしいものではないだろう。むしろ先輩が語るであろう怪談の方が恐ろしいものであるに違いない。
つまり、まとめるならば。怪談話を怖がった乱太郎に縋り付かれるまでは行かなくとも、シャツの裾をちょんと引っ張られて、「ごめんね、怖いからこうしててもいいかな…?」なんて上目遣いで見つめられるくらいは期待できるのではないかというその考えはさっくり砕かれるだろう。
ようやく勝者が決まったらしいジャンケン大会に小さくため息を送りながら、彼は残った酒を飲み干した。そして窓の外に目をやる。
今日はどうやら新月らしい。
そして、約三十分後、彼らは思い知ることになる。
看護師として働いてきた乱太郎が怪談ごときで恐れを見せるような女性ではなかったこと。むしろ、明日の天気はどうかなあと言わんばかりの調子で実体験を交えた怖い話をする女性であったこと。何故か乱太郎について来てちゃっかり彼女の隣に陣取った医師・伏木蔵の語るガチすぎる怪談話と彼自身の恐ろしさ。
真夏の百物語は下心の肝試しとするには恐ろしすぎると、腕が粟立つのを感じながら、彼らは学んだのであった。
「みんな大丈夫?なんだか顔、青いよ?」
「大丈夫です……とっても涼しいだけですから……」
「お気になさらないでください……」
「ふふふ……涼しくなったみたいでよかったねえ……じゃあもっと涼しくなってみようか……昨日、内科病棟で――」
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医師看護師コンビの本気。
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