2011/7/14 小話(三木乱)



・小話
・三木乱




 そのたった五文字、たった五文字を伝えることがこれほど勇気がいるものだったなどと、昔の私は想像すらしていなかった。

 愛用している石火矢に対しては何の躊躇いもなく吐くことができるのに、緑色の目をいっぱいに見開いてこちらを見上げてくるその後輩を前にすると上手く口を動かすことができなかった。
 口を開けようとすれば頬の筋肉が緊張し、声を上げようとすれば耳鳴りにも似た心臓の音に邪魔をされる。真夏でもないのに全身を熱さが巡り、真冬でもないのに握り締めた手が震えた。

 その後輩を前にするといつもの私ではいられなくなるというその意味を、理解できないほど私は子どもではなかった。
 まだ十を数えるばかりの後輩に、向けて良い感情でも、投げて良い言葉ではなかったと今なら言える。でも、その時はそうするしかなかった。

 乱太郎の喉が緊張からか、ひゅう、と鳴った。無理もない。三度同じ台詞を吐いたのだ。加えての私の挙動不審。それは切羽詰まるどころの話ではない。この時のことを思い出話として語り合ったとき、何かに追い立てられている貴方は死に急ぐ者のようにも見えたと、乱太郎は言っていた。
 私が追い立てられていたのは事実で、あの年頃の者ならば必ず悩まされる疼きが私を何かを狂わせていたのだろう。

「あの…田村先輩…」

 乱太郎が小さく声を上げた。過敏になった私の神経にその声はあまりに影響が強く、びくり、と肩が鳴る。
 緊張の渇きを帯びて響く乱太郎の声に、そのときの私は直感するしかなかった。ああ、駄目なのだと。私の思いを、乱太郎は受け止めはしないのだろうと。そう、思った。
 今思えば、ずいぶんと勝手な考えだ。色恋の何たるかを知らぬ十歳の子どもに焦りを抱くまま思いをぶつけ、おそるおそる見上げられるその困った緑色に浮かんでいた戸惑いを否定だと決め付けた。

「あの…」
「……いい」
「え…?」
「もう、いいんだ。悪かった。忘れてくれ」
「え、あ、た、田村先輩!?」

 追いかけてくる声をなるべく耳に入れないように、私は走った。上がる息で乱太郎の声も、顔も忘れてしまえればと願いながら、走り続けた。


 それを「始まり」とした場合、どこまでを「終わり」にすれば良いのか分からない。分からないがそれは確かに何かの始まりであり、終わりだった。そう思えば、あのとき私が抱いていた一歩的な感情も、独りよがりな勘違いもすべて必要なものだったのかもしれない。
 ただ、そのときは、そういう風に思い、考えたのだというそれだけの話だ。
 そう、それだけの、話だ。


_ _ _ _ _

 青春時代の若さゆえの勘違いや焦りを抱く三木ヱ門さん。「今」の二人がどんな関係にあるかは秘密です。




prev | next



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -