泉の幸せは野球をして、お腹いっぱいご飯を食べて、柔らかな布団に包まれて翌日の朝日を迎えることであった。うとうとしながら授業に耳を傾け、休み時間には同じクラスの田島や三橋をたしなめるのも、部活で目一杯体を動かし、怠くなった体でノロノロと部員たちと帰路に着くのも楽しかった。何の変哲もない日常が幸せだと思える程度、泉には良識がある。その、泉の幸せ中に最近、名前との会話が加わった。週の始めに行われた席替えで泉と名前は席が前後になり、接触する回数が増えたのである。学校生活において席というのは日常の良し悪しに非常に関係しており、その結果に一喜一憂する生徒は多い。どちらかといえば泉は席順にはこだわらない方であったのだが、その考えは大きく変わった。


名前との学校生活は楽しくて楽しくて、授業には精が出るし部活でもやる気が溢れるしで面白いように毎日が輝いて見える。席が変わるだけでこんなにも日々が色付くのかと泉は吃驚した。別にそれまでの日常が色褪せていたというわけではないのだが、それだけ名前と一緒にいることが、泉は単純に楽しかった。






○ ● ○




「泉くんおはよ」
「はよ、」



朝練の疲れで瞼が下がりかけていた頃、教室の入り口がなにやら騒がしいなと思って泉の意識は少し浮上した。それから聞こえてきたのは今ではもう聞きなれた名前の挨拶の言葉、今日はそれに少しの笑いが含まれていた。幸せそうに弾んだ声音が泉の鼓膜を震わせる。



「なんかいいことあった?」
「え、なんで?」
「声が嬉しそう」



泉の指摘に、あ、わたしね、と喋りかけた名前の声は彼女の友人のものに遮られてしまった。名前を呼ばれて彼女の意識がそちらに奪われてしまえばもう泉にはどうすることもできなかった。わざわざ呼び止めようとは思わないし、それほど大切な話でもないのだ。ただ、どんなに下らない話だとしても、途中で投げ出すのはやめてほしい。なんだか、悲しいから。彼女の友人に勝てるほどの位置に自分はいないことは泉も十分、承知している。所詮は席が偶然近くなってたまたま話すようになったクラスメイト。だとしても、自分が軽く扱われるのは少し、気に入らなかった。腹に少しだけ黒いものを抱えて、泉は再び瞼をおろした。



○ ● ○






今日の名前は少し落ち着きがない。休み時間になれば他のクラスの女子に呼び出され、休み時間にはまた別の女子に囲まれている。机の横には時間がたつにつれ増えていく紙袋。嬉しそうに始終笑い声をあげながら名前の周りにはいつも以上に笑顔が絶えなかった。


かく言う泉自身も今日は多少、落ち着きがなかった。朝練で散々祝ったのに、それでもまだ足りないとばかりに水谷が昼休みに訪ねてきたのだ。しかも花井を引き連れて。


「泉!誕生日おめでとう!」
「おー、さんきゅ」


一緒に昼を食べていた9組野球部員もそれにならっておめでとう、と口々に泉を祝う。今日は11月29日、つまり泉の誕生日だ。


「これプレゼント!」


あげるよ!と、水谷が満面の笑みで泉の机に置いたのは大量の菓子パン、菓子パン、菓子パン。軽く20は超えるだろう。これだけの量をよく買ってきたものだ。しかも期間限定やら生クリームやら女子の好みそうなやつばかりである。後ろで頭を抱える我らがキャプテンに苦笑をこぼし、泉は一応、感謝を述べた。しかし、このパンのセレクトはどうかんがえても泉向けではない。花井もそのことを考えてわざわざ付いてきてくれたのだろう。


「泉、わりい」
「いや、構わねえけど、悪いと思うなら何個か引き取れよな」


泉の言葉に笑いをこぼし、花井はいくつかパンをもらってくれた。なんでも妹にあげるのだとか。なんともいいお兄ちゃんである。他には物欲しそうにしていた田島と三橋、浜田にも分け、贈ってきた本人にもかかわらず水谷にもパンを差し出す。まあ、美味しそう、だなんて隣でずっと呟かれたらやらないわけにもいかないだろう。自分が食べたいものを買うからこうなるのだ。ただ、泉も誕生日を祝ってくれる気持ちは嬉しかったのでたしなめる気にもなれなかった。ようするに水谷は憎めないやつなのである。



しかし、これだけ人にあげても、泉の机の上にはまだ彼には少し多い量の菓子パンが残っている。しかもパッケージを見ているだけで胸焼けしてきそうな甘いものばかり。途方に暮れてしまった泉の後ろでカタン、と椅子を引く音がした。



「あ、名前、」
「ん?」
「パンいらね?」



いらないの?と逆に聞いてくる名前にただ黙って机を指差した。あらー、と声を漏らした彼女に、そういえばまともな会話って今日はこれが初めてだ、と泉は思った。早くも彼女は遠慮の欠片も見せず、どれにしようかとパンを漁っている。


思えば今日は自分も彼女も、なんだか妙に忙しかった。あっという間に過ぎていく時間はまるで何かにせき立てられているようだった。浮き足だった空気というか、教室に、いや、名前の周りに満ちる幸せ色の空気というか、



「泉くん、このパン自分で買ったの?」
「いや、部活のやつがプレゼントにくれて」
「プレゼント?」
「今日誕生日だから」
「え!?」



がたん、と大きな音と驚きの声を上げて名前はその途端瞳を大きく見開いた。その音に泉も一瞬驚いて、びくりと肩を竦めてしまう。固まる彼女の名前を小さく呟き呼び掛けると、彼女は目覚めたようにハッと息をつめた。



「私もっ!」
「は?」
「私も今日誕生日なの!11月29日!」



まじ!?と泉も驚きを隠せず、つい声のトーンが上がる。そういえば、朝から彼女の周りは慌ただしかった。休み時間には毎時間呼び出され、思い返せば昼休みにはバースデーソングを歌われていた気もするし、増えていく紙袋、幸せそうな笑顔、誕生日だと言われてしまえば安易に納得できた。気付かなかった自分がただ鈍感なだけか、と泉は心のなかで苦笑ぎみにひとりごちた。



「おめでとう、」
「泉くんもおめでとう!」



素直に、笑顔が溢れた。少なからず好意を寄せている人がまさか、自分と同じ誕生日だとは思わなくて、驚きと幸せが胸を突き上げてくる。自然と緩む頬を隠しもせず、泉は自分と同じ日に一つ年を重ねた彼女を見た。嬉しさからなのか、驚きからなのか、薄紅に染まった名前の頬がひどく愛しく思えて、でも、そんなことを考えている自分がなんだか照れ臭い。それ以上に、泉はすべてを引っくるめて「幸せ」を感じることのできる自分がとても誇らしかった。

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