Novel
ゑこのしらぐひ


※6000のキリ番踏まれた柚様からのリクエスト「だいしらず10話の丁君視点」です。
10話を先に読まれてからの閲覧を推奨します※





今晩はどうすればいいのだろうか。
村の話し合いがあるから、といつも借りている小屋を追い出されてしまったのだ。だからといって、どこかの家の屋根を借りるわけにはいかない。
雨が降る心配はないだろうが、この夜分、無暗に夜道を歩けば野犬や狼に囲まれてしまう危険は十分にあるのだ。

それはそれでいいかもしれない、と丁は細く息を吐く。
これほど雨が降っていないのだ。おそらく今回の会議、近いうちに雨乞いの儀式をするかどうかといったなお様になるんだろう。
聡い丁は気が付いていた。その雨乞いの儀式が執り行われる場合、生贄に捧げられるのは自分だということを。
物心ついたころには、丁の周りに愛情を注いでくれる「親」と言った存在はいなかった。
薄々勘付いてはいたのだ。自分は長く生きているべきではないと。

どうせ生贄として餓死するならばいっそ、ここで一思いに野犬の腹の足しになる方がマシな気がする。

さくさくと足の下で草木を踏みしめる音を感じつつ、丁は危なっかしい足取りで村の裏手の林へと向かった。


ゑこのしらぐひ


最初は幽霊かと思った。
暫くどこか横に慣れる場所はないかと探していた時。林の中で短い人間の声が聞こえた。確かに丁の鼓膜を揺らした高い声は、おそらく女のものだ。
怖い、とは思わない。
むしろ、あの世とかいうものが実在するのか問いただしてみたいところだ。

丁は一度止めた足を再び動かし、声のした方を探りつつ歩く。
もう声は聞こえないが、カサカサと草木が不自然に揺れ動く音はハッキリと聞こえる。

丁も忍び足で近づいているつもりなど欠片もないのだが、どうやら林の中にいるもう一人はそれどころではないらしく全く気が付いていない。

音を頼りに歩いていれば、暗い林の中でぼんやりと目に映る白が見えた。

思わずその明度の高さに驚き、足を止めてまじまじと凝視してしまう。ここいらの村では白装束くらいでしか見ることのできない、真っ白な布を纏った…女、だろうか。
白い布は高級だ。あれほど見事な白の衣はさぞ手に入れるのが困難だっただろう…と考えると、あの女はこの村の者でないのは間違いない。

それどころか、こんな山奥にいきなり姿を現すのだ。もしかすると、天女と言うやつかもしれない。

遠巻きに丁はそれを見つめていたが、そんな時、今まで散々辺りをうろうろしていた女がぴたりと動きを止めた。
視点を一点に固定し、じっとなにかを見つめている様子。

丁もつられるようにして彼女の視線の先を見つめてみるが、ただひたすらに闇が広がるのみで何も見えない。
なにを見ているのだろう。

そう考えていると、不意に彼女がうずくまった。頭を低めて隠れるように腕で覆い、蹲ろうとする。
……どこか悪いのだろうか。

丁は興味はおそるおそる女と距離を縮め、襲われても飛びのける程度まで近づいた。…というのに、彼女に全く逃げる気配がない。
とにかく、声をかけないことには気が付かないだろう。

「…誰ですか」

「うわぁあぁあああああああ!?」

絶叫。叫ばれる、というかそこまで驚かれるとは思っていなかったので丁も多少は驚いた。
だがその表情をすぐさま打消し、目の前で驚き泣きそうになっている女を改めて見つめる。

女は慌てて丁の方を振り返ろうとして、木の根かなにかを踏みつけたらしい。足が不自然な方向へ傾き、そのまま頭から地面に激突した。

「目がぁああ目に泥がぁあぁ!!」

…訂正する。この女は間違っても天女じゃない。丁の想像上の天女は滑って顔面から地面に転んだり絶叫して辺りを転げまわるなんてイメージはない。
じゃあ、なんだこれ。

「…大丈夫ですか」

改めて声をかければ、泥まみれの女はハッとしたようにこちらを向いた。
その瞳は驚きと羞恥で丸くなり、丁のことをしげしげと見つめている。
上から下まで凝視され、丁は思わず顔を顰めた。

自分の顔を知らないということは、やはりこの村の住人じゃないのだろう。

そしてたっぷりと間をあけた後、女の口から出てきた言葉は、挨拶やそれらの類とは思えない単語だった。

「ほおず…き?さ…?」

「…?」

ほおずき、とは、鬼灯のことだろうか。
知識としてならば知っている。植物の一種、果実を包む赤い袋状のそれがぼんやりと丁の頭の中で浮かんだが、それを何故この女が開口一番自分に向けて言い放ったのかわからない。思わず首を捻る。

もしかして、自分と使う言語が異なるのだろうか。
一抹の不安を抱きつつ、あくまでも淡々と丁は切り返す。

「鬼灯がどうかしましたか」

「え、いや…」

返って来たのは丁と同じ言語のそれに安心しつつ、なにやら言いたげに言葉を切った女の態度はいまいちよく掴めなかった。
しかし先からずっと自分のことをじろじろと凝視する女は、どういうつもりなんだろうか。
そんなに自分が珍しい恰好をしているかと言われれば、そんなことはない。みすぼらしい恰好であることには間違いないが、珍しいものを観察するようにこうも見られてはあまり気分のいいものではなかった。

丁も先は気づかれていないのをいいことに、この女を遠巻きに見つめていたわけだが、この女は実際珍しい恰好をしているのだから仕方ない。

唐突に女がハッと我に返ったらしく、私へ向けてすまなそうな顔をすると、

「ご、ごめんなさい」

と謝ってきた。
謝ってきた?丁であるこの自分に?

「いえ、別に」

この女は私が丁であることを知らないからだろう。
丁の意は、「召し使い」だ。人に使われる者のこと。それ故、村ではまともな扱いを受けることはまず無い。
この女も、自分が「丁」であることを知れば村人のような態度になってしまうのだろう、と目を細め、丁は服についた泥を叩く女を見つめていた。

そんな視線に気が付いた様に、女の視線がこちらと混じる。

「……どうしたの?」

そう聞いてきたので、ここは素直に訪ねてみることにした。

「…あなたは、ここの村の方…ではないですよね」

「うん、違うよ」

「どこから来たんですか?何故こんなところに?」

そう聞けば、困ったように顎へ手をあててうーんと唸る女。
丁も大人しく回答を待っていたのだが、女は諦めたようにかぶりを振って答えた。

「ごめん、私もよくわからないんだ」

どういうことだ。ここまでやってきた方法が分からないとは。
今度は丁がその返しに詰まる。

「…なぜ?」

「え?うーん…なんか気が付いたらここにいて、…実は帰り方もわかりません!!」

どうしたらいいんだろうね私アハハハハハ、と吹っ切れたように笑う女。空元気なのもいいとこだ。
しかし、来た方法もどうしてここにいるのかもわからないということは、やはりこの女は空からやってきた天女なんだろうか。心のどこかで天女説を全否定したい自分がいる。
目の前の女の笑い声がむなしく山に響き、それが段々と小さくなって、やがて燃え尽きたような顔をしてあらぬ方向を見つめていた。

「…大丈夫ですか、遠い目してますけど」

「ウン、ダイジョウブ…」

その顔があまりにも見ていられなかったので声をかけてやったのだが、返って来たのは全く大丈夫じゃない声音。
あまりのも憐れみを誘う顔に、あぁ本当に帰れないんだなと心の内で同情していると、女は無理やり元気を出したといった感じで質問をしてきた。

「…君は?名前なんていうの?なんでここにいるの?」

「私は丁です。今晩は寝る場所がないので、この近くで寝てました」

「うん、丁君ね」

名を聞かれた。いっそ名無しと言ってしまえばよかったのだが、なぜか嘘を吐くのは忍びなかったのであくまでも淡々と、女の質問に答えてやったのだ。
しかし、丁の予想とは裏腹に、女は簡単に「丁」という名前を受け入れた。

それは、あまりにも大きなこと。今までどれだけ自分がこの名前を捨てたいと思ったか知れない。
それらをまとめて飲みこまれた、そんな気がした。

が、丁はそんな浮ついた気持ちをすぐさま仕舞い込む。
おそらく、この女は「丁」という名の意味も人もわかっていないのだ。
それを知れば、この女も、あの村人たちと変わらない態度をとるのだろう。

「…あなたは私を卑下しないんですね」

そう皮肉を込めて言えば、呆けた声が返って来た。

「なんで?」

その質問は単純だが、とても説明が難しい。いや、自分が説明したくないだけかもしれない。
理解が及んでいないから、でもいい。自分を「丁」ではなく「人」と見てくれる人間が、ただ一人だけでも欲しいだけなのだ。

「…いえ、なんでもありません、あなたの住んでいるところには、きっと丁などいないんでしょう」

そう無理くり話を終わらせれば、まだ納得のいかない顔をしている女と目が合う。申し訳ないとは思いつつ目を反らせば、頭上の気配は何か思いついたように再び自分へ声をかけた。

「…そうだ。丁君、ここら辺村とかある?」

「はい、ありますよ。この林を降りて行った所に」

「ほんと?じゃあ、そこで話とか聞かせてもらいたいんだけど」

ダメだ、と咄嗟に思った。
この女を村に連れて行ってはダメだ。
これほど高級な衣を着た者が来たとなれば、衣を剥いで女諸共売りに出されるか、もしかしたら珍しい出で立ちに恐れをなした人々が妖怪と勘違いしてその場で殺されてしまうかもしれない。
早くもあらぬ方向へ足を踏み出した女へ、丁は近づいて声をかける。咄嗟に掴んだ衣服の裾から女が驚いたようにビクッと固まったのが分かった。

「やめておいたほうがいいと思います」

そう声音を強めて言えば、女は驚いたことに、丁の視線に合わせるように屈みこんで真摯に瞳を覗き込んできた。

「な、なんで?」

人間の顔が近い。
今まで見下ろされることしか知らなかった丁にとって、真正面から見つめられる瞳は恐怖だった。
地位を表すモノが含まれていない視線。あくまで平等を保とうと、こちらへ近づいいてきてくれている証。
どうしたらいいか、わからなかった。

それを丁は一瞬で打ち消して、務めて冷静に答える。

「あなたが村へ行っても、部外者だと追い立てられてしまいます」

「えぇ、そっかぁ…」

「それどころか、あやかしの類かなにかかと思われて殺されてしまうかもしれません」

「嘘?!」

困惑した女を他所に、回転の速い丁の頭が一つの案を弾き出した。

この女を自分が村へ連れて行けば、おそらく近いうちに行われる雨乞いの儀式の生贄。この女が代役とならないだろうか。
元々、神への生贄は美人な若い女と相場が決まっている。丁のいる村では、女の数が少なく若い娘など片手で足りるほどしかいない。
そんな女を生贄に出すわけにはいかない、となれば十中八九生贄は丁になる。
そこへ、この身寄りも無い女が転がり込んでくればどうだ。衣を売って、あとは女を生贄にすれば丁も死なずに済む。

そこまで考えて、丁は呆れたように目を閉じた。
自分がまだ生への執着があったことと、その為にこの女を犠牲に出そうと考えた自分に腹が立つ。
どうせ永らえた命だとしても、辛い事にが変わりないというのに。

女を見れば、なにか納得したように呟いており、丁と目が合うとにこりと笑った。

「そ、そうだね…ありがと、教えてくれて」

そう言って、伸びてくる白い手。
怒声と共に振り上げられる拳が、白い手と重なって見えた。

「ッ!」

反射的に目を瞑った。
頭上で戸惑った気配を感じたが、それでもひたすらに振り下ろされる痛みを待つ。
しかし、それは暫くしてもやってこない。

「…丁君?ごめんね、嫌だった?」

その代わりにかけられたのは、気遣うような声。
恐る恐る目を開け、彼女を見ればひどく困惑した顔をしていた。

あぁ、困らせてしまった。
彼女は自分に対して危害を加えるつもりなど無かっただろうに。それなのに、拒絶してしまった。
今自分が拒絶したのは、おそらく自分が今までずっと、欲しかったモノ。
それを受け取る勇気が無くて、拒絶してしまった。

いくつか会話を交わしつつ、丁は心の中で自嘲気味に笑う。
こんな調子では、あの世とやらがあったとしても、自分の境遇は変わらないんだろうな、と。

そして今もこうして話している彼女を村に行くのを引き止めて正解だとも感じていた。
それは酷く自分勝手な理由だ。もし彼女を村へ連れてった際に、村人達の態度から、自分の「丁」の意を彼女が理解してしまったら…と考えると、とてつもなく、苦しい。
唯一自分に、「丁」として接してこない彼女が変わってしまうのが、とても苦しい。

この苦しいを、きっと悲しいと表現するのだろうか。なにか大切なモノを失う恐怖、何故だろう、丁の思考に絡みついて離れない。

そんなことを思っていたら、無視できないものが丁の視界に飛び込んできた。
彼女の足が、消えている。

現実離れした出来事に、思わず瞠目しながら彼女へ声をかける。

「うわぁあああ!?えっ、なにこれなにこれ!?どうしよう!!」

と彼女も大慌てなわけだが、生憎と丁にもわからない。
こんなことは初めてだし、なによりやはりこの女は人間じゃないのだろうという疑念が丁の中で渦巻く。
そうこう言っている間に、すでに彼女の胸辺りまで消えてしまっている。

消えてしまう、そうなるとやはり、もう会えないのだろうか。

そう思うと、今にでも彼女を大声で引き止めたい気持ちに駆られる。こんなことは初めてだ。苦痛の声以外に、大声を出そうとしたことは。
頭の奥で、どうしようもない気持ちが沁み出たように痛んだ。

「帰ってしまうんですか」

と言えば、申し訳なさそうに眉を八の字にした彼女がこちらを見下ろした。
見ないでほしい、と思う。姿を見れば、更に苦しくなるから。

眉はそのままで、笑顔を貼り付けた彼女は慰めるような物言いをする。

「な、泣かないで丁君。ね?」

「泣いてません」

「また会えるよ!」

嘘だ。そんな確証がない言葉は、信じられない。
丁の気持ちを察したように、困った彼女の気配がする。

不意に、頭に不思議な温かみを感じた。

ハッとして顔を上げるが、笑顔の彼女とは裏腹に、手首から先が消えかかっている腕がすぐ近くに見えた。指先が薄い。おそらく、触れたくても触れられないだろう。
後悔する。先に拒絶してしまった自分を。

なにか言う前に、彼女がぽつりとつぶやいた。

「今度会ったら、撫でさせてね」

それは囁かれたように鼓膜を揺らし、それだけ言い残して、幻のように彼女は消えていった。

耳に残る、不思議と心休まる声と、感じた温かみ。
朝日が林を照らし始めた中、丁は耳を抑えて林の中で蹲った。





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