01 本気じゃないと知っていた
「……もう帰るの?」

「起こしちゃいましたか、すみません。今日は仕事なので、失礼しますね」




ある日の早朝。今まで何度この会話を彼と、この部屋で交わしたのだろうか。着物の帯を締めていると、もぞもぞとベッドの中から顔を出し眠たそうな目でこちらを向く白澤さま。




「忙しい仕事だよねぇ…今日も何人の男を誘惑するの?」

「ふふ、さぁ…私に近寄って来た数、ですかね」

「かな子ちゃんに誘惑されて素通り出来ない気持ちは、痛いほどわかるなぁ」



鏡の前で櫛を手に取ると、僕がやってあげるからおいでと声を掛けられた。一度は遠慮したものの、良いから良いからと言うので大人しく櫛を持って先程まで眠っていたベッドに腰掛けた。ふと手をベッドに置くと、つい先程まで私と彼の体温で温められていたのでまだ少し温かい。





「寝起きでもサラサラだね、かな子ちゃんの髪ってつい触りたくなっちゃうよ」

「この間、お風呂上がりに髪乾かし忘れて寝たときは爆発しましたけどね」

「ハハッ、かーわいい。そういうとこも見てみたいな」


櫛で丁寧に髪を梳かしてくれる白澤さまの手にどこか安心してしまう。この手で何人の女の子の手や髪に触れているのだろう、なんていちいち考えることは今までなかったのに。勝手に考えて、勝手にずきりと胸が痛む。

けれど、今は…今だけは私が彼を独り占め出来ている。ああ、悔しいほどに幸せだ。嫌いになれたら良いのにと何度も考えたけれど、一度好きになってしまった感情は簡単に取り払うことなんて出来ない。




「ねぇ、白澤さま。もしも、私に…好きな人が出来たらどうしますか?」


雰囲気が重たくならないように、軽く笑みを浮かべて冗談混じりに聞こえるよう繕って問い掛けた。私としては冗談でもなんでもなくて、白澤さまの答えが返ってくるまで息が止まりそうなくらい緊張している。

好きな人なんて、とっくに出来ているんですけどね。あなたは気付いていますか?





「…うーん、そりゃ寂しいよ。何、本当に好きな人でも出来た?」

「い、いえ…もしもの話です。私は良いんです…本気の恋愛なんて、したいと思わないから。この仕事をしていると余計にそう思いますもの」



口から出たのは本音とは程遠い言葉。嘘です、本当は好きで好きで堪らない人がいるの。だから幸せでも苦しさが邪魔してしまう。
寂しいよ、という彼の言葉の先を聞きたい気もするけど怖い気持ちもある。

なんて私は矛盾だらけの女なのだろう。始めは白澤さまのことを少し気になっていたのは確か。ただ二人で食事をしたりお酒を酌み交わすだけでも十分だったはずなのだが、流れに任せていた結果こうして一緒に朝を迎えるようになった。
決して本気になるつもりはなかったし、どちらかが飽きたらハイさよならで良いかな…なんて思っていたのに。





「僕はね、幸せだよ?こうしてかな子ちゃんと二人きりで居れることが」

「…ふふ、お上手ですね。相変わらず」



後ろから包み込むようにぎゅうっと抱きしめてくる。白澤さまに抱きしめられることには慣れているけれど、最近はこの温かさが好きで好きで堪らない。何度抱きしめられてもこの心臓はどきどきと高鳴る。けれど、同時に複雑な思いが交差してしまうのは変わらないんだ。






「…白澤さま、今日もお仕事が終わったらお邪魔しても良いですか?」

「かな子ちゃんからのお誘いなんて珍しいねぇ。勿論だよ、一緒に晩酌なんてどう?」

「良いですね、楽しみにしています」

「今夜も会えるなんて嬉しいよ。僕は贅沢者だね、昨日も今日もキミを独り占め出来るんだから」


どうせ晩酌だけで終わらないでしょう、と口には出さずに飲み込んだ。少しでも一緒に居たくて堪らない気持ちは、絶対に彼より私の方が勝っている。なんなら他の女の子にも負けない自信がある。

最初から知ってますよ、本気じゃないことくらい。私は沢山の女の子の中の一人にしか過ぎないのだから。
けれど、あなたは私に会う度に笑顔を向けてくれる。優しい言葉を掛けてくれる。ベッドの中で握ってくれる手も、余裕がなくなるほど私の全てを熱く抱いてくれる温かさも…その全部が、私を離してはくれない。

あなたは知らない振りをしているのかな?一時の幸せと大きな虚しさばかりのこの関係は、私にとっての心の拠り所なの。







14/05/31
加筆修正 18/01/04、18/02/09
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