毎日がありがとう
「あの、鬼灯さまに一つだけお願いがあるんです」
彼女のその一言から始まった。まさかあんなお願いだとは想像もつかなかったが。可愛いおねだりだろうと思っていたものの、それは少し違ったらしい。
何処かに行きたいとか、何かが欲しいとか…女性はそのようなお願いをしてくるのだろうと私はそう思っていた。
「…かな子さん、折角の休暇です。貴女も少しは休んだらどうですか」
「鬼灯さまはお気になさらないでください、私がやりたくてやってることですので。よい…しょっと」
今日彼女は休みだが、生憎私は仕事が山積みで今日も相変わらずの休日出勤だ。
昼休みに早めに昼食を終えて自室に来てみると、掃除に励むかな子さんがそこに居た。
「ああ、お弁当ごちそうさまでした。今日もとても美味しかったです。…ですが、掃除までしてくださるのに今日くらいは無理して作らずとも良かったのですよ」
「それも私がやりたくてやってることですよ。鬼灯さまが美味しいって言ってくださるから、毎日作るのが楽しいんです」
空になった弁当箱をある程度片付けが終わっている机の上に置いた。彼女は私と一緒に暮らすようになってからほぼ毎日昼食に弁当を持たせてくれる。
互いに働いてる身分なのだから早起きが辛かったら無理をするなと口では言っても、毎日毎日美味しい弁当を楽しみにしている自分がいるのだが。
その幸せを噛み締めながらの昼食の時間がいつも楽しみなのは、彼女のお陰だ。
「けど…ずっと気になってたんですよ、鬼灯さまのお部屋は物が多くて掃除が行き届いていないから」
「すみません、なんせ寝るためにしかこの部屋を使っていないようなものなので…かな子さんの部屋に住むようになってからは、残業が大量にある時くらいしかここで寝ていませんしね」
「仕方ありません、近年の忙しさは異常です…地獄に亡者が溢れすぎで、天国に分けてあげたいくらい」
「本当ですね、あちらも中々の忙しさだそうですが。あまりにも人手が足りないようで今日も人事の要請が来ました」
要請ならこっちだって出したいですよねと困ったように笑いながら棚を整理している。私も積み重なっていた本でも運ぼうと持ち上げるが、折角の昼休みなのですからとそれを奪われてしまったので大人しく椅子に座って眺めていることにした。
「…ああそうだ、時間もまだありますし一段落したら甘味処に行きませんか?掃除のお礼をさせてください」
「えっ本当ですかっ?甘味処に最近新しいデザートが出たってお香さんから聞いたから、行きたかったんですっ!あ…でも、金魚草のお世話は…」
「では決定ですね。金魚草のことは心配しないでください、今日は早めに昼休みに入らせて頂けたので世話は既に終えてきました」
甘味と聞いて喜ぶ表情がとても無邪気で可愛らしい。最近はゆっくり二人で過ごすことがめっきり減ってしまったため、寂しい思いをさせてしまっただろう。何せ彼女も日々の仕事で疲れているだろうに。
こんな時でも私が金魚草の世話を欠かさないことを覚えていて、心配までしてくれていた。彼女はどこまで優しいのだろうとつくづく思う。
「おや、髪に埃がついていますよ。じっとしてください」
「あ、気付かなかったです。ありがとうございます……って、もう取れました…よね?」
「ええ、埃は取れましたよ。ですが、かな子さんから相変わらずの良い匂いがするので離れたくなくなりました」
「え、ちょっ…鬼灯さま、私の着物にも埃がついているかもしれないのでそんなにくっついたら…」
彼女の言葉も聞かずに細い腰に手を回して自分の元へと引き寄せた。小さな身体で私の胸を両手で押そうとするが、そんな小動物のような力で私に敵う訳がないでしょう。
ほんの少しだけ、このまま私を癒してはくれませんか。
「仮にも昼休みです。取って食べたりはしませんからご安心を」
「…お召し物が汚れますよ」
「もう既に手遅れなので今更気にしませんよ。埃なんてほろえば良いことでしょう」
抵抗も諦めたのか、大人しく私の腕の中に収まってくれている。ふと視線が絡んだ際に見えた大きな瞳、僅かに揺れる長い睫毛。その眼差しに引き込まれるかのように私は顔を近付けていく。
優しく優しく、互いの唇が触れた。
「…これは食べたうちに入らないんですか?」
「そう言われるとグレーゾーンかもしれませんね」
「今日は残業、ありますか?」
「昨日山ほど残業したので今日はなるべく早く帰ります。最悪あのポンコツの尻でも叩けばちゃっちゃと進めてくれるでしょう」
残業の山のせいで、昨日は帰りがかなり遅くなってしまった。彼女は遅かったですねとすら言葉にしないものの、一人で待つのはきっと寂しいのだろう。
「…一つ、聞いて頂きたいことがあります。」
「はい、何でしょう。」
「かな子さんが作る毎日のお弁当や食事、それに他の家事まで…どうもありがとうございます。それに、いくら私が多忙でも文句一つ言わずに笑顔で居てくれて、とても嬉しいです」
いつも思っていても言えていなかったことを正直に話すと、当の本人は驚いたのか大きな目を丸くしてこちらを見上げている。
お弁当のことは毎日お礼は言っているものの、こうしてきちんと改まった形で感謝の気持ちを伝えたのは初めてだ。
「こちらこそ、勤務中もたくさんお世話になってますから。それに、お忙しいのにわざわざ時間を作ってくれることは申し訳ない気持ちもありますが…それ以上に、私もとても嬉しいです」
だから鬼灯さま、いつもどうもありがとうございます。と、にっこりと微笑んで私にそう言った。
お礼を言って、お礼で返されるとは思ってもいなかったため少しの間言葉が出て来なかったが、思わず口元が緩みそうになる。
貴女は何処までも私の予想を上回っていきますね。私はこれからも幾度となくそれらに驚かされるのでしょう。その度に、私は何度でもかな子さんに恋をしてしまうだろう。
…こんな私ですが、呆れないで傍に居てくださいますか?
「……あの、」
「どうしました、かな子さん」
「あんみつ、大きすぎませんか?軽くラーメンくらいありますよね」
「午後からも勤務ですから、糖分を摂取して脳を元気にさせなければ」
「そんな大量に取らなくても…」
「ああ、でもかな子さんが作る菓子には劣りますね…何処の名店ものよりも絶品ですし」
「…だって、鬼灯さまへの愛をたくさん込めてますから」
「……近々、また作ってくださいね」
「(いきなり食べ始めた…この人、照れてる)」
14/05/30
加筆修正 18/01/03
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