子供だと思っていた。
不思議で、しかし優しい色彩を湛えた大きな瞳、健康的な薄紅の差すふっくらとした頬。常に緩やかな笑みを描く唇は、どこか幼くて。
歌が好きで、音楽が好きで―――その思いを隠すことも飾ることもせずに、ただただ真っ直ぐに直向きに表して見せる。そんな彼女の紡ぎ出す旋律は、何よりも輝いていた。

かみさまに、あいされたこども。

七海春歌を表現するに相応しい言葉だろう。
その目に映し、手で触り、唇から取り込まれ。そうして白い肌の内側、胸の奥で静かに大切に育まれていったであろう彼女の世界は、他の誰のそれよりも眩しく鮮やかに思えた。
今でも、忘れられない。初めて彼女が描いた世界を、その音楽を目にしたあの瞬間の感情を。凶暴なまでに眩い光が視界を、思考を覆い尽くした。未熟で、稚さすら窺わせるその未開の花は、固く閉じた筈の胸の奥へ緩やかに根付いて行ったのだ。



大人だと見上げ続けていた。
鋭い眼差しの奥はいつだって温かな色に溢れていて、硬く大きな掌は安堵をもたらしてくれる。無骨で厳しい、けれど優しい言葉に、何度迷う背中を押されただろう。
そこに居るだけで目を引くような存在感、艶のある声―――きっと彼が奏でる旋律は、鮮烈に、強烈に聴く人の心を根こそぎ奪っただろう。

こどくな、おうさま。

彼を、日向龍也の背を見るにつけそんな言葉が頭に浮かぶ。
人好きのする笑顔は時折寂しそうで、視線はもういない誰かを探すように遠くをさまよって。彼を照らし出す光が強さを増していくその度に、彼の背負う影もまた濃くなっていく。
それでも、忘れたくない。初めて見せられた揺らぎを、きつく閉じられた瞼の内側に塗り込められた寂しさを。強く、威風堂々たる彼の奥底に沈められたいたみを、無かったことになんて出来なかった。この手では、救えなくとも。せめて掬い上げたいと、願っていた。




引き結ばれた唇は、白く色を失って。瞳は今にも泣き出しそうに潤んでゆらゆら揺れていた。その癖、決して涙も声もこぼすまいと堪える様は見ているこちらからは痛々しい。
ゆるく眇められ外された視線を追うように顔は俯いて、さらり流れた髪が白い項を覗かせる。子供のように華奢な肩と背中、表情。だのに眼差しは強く、瞳は真っ直ぐさを失わないのだから厄介だ。

「………おい」

残念ながら自分は、こんな時にかけてやるべき適切な言葉を持ち合わせていない。一度こうと決めたことはやり通し、また貫こうとする春歌の実直さは美徳だが、同時に扱い難い気難しさであり頑固さでもある。それをやわらかく緩ませてほどき、荷を降ろしてやるなんて芸当は同僚である林檎の得意分野だろう。不器用ではないが、少々繊細さに欠けている性分はそれなりに自覚している。器用さだとか気配りだとか呼ばれるものの生まれ持った分はほんの僅かで、残りはここまで重ねて来た年齢分の歳月で身に着いていった賢しさや狡さをすり替えたものだ。知らず、寄った眉間の皺に舌打ちをしかけて、呼吸ごと飲み込んだ。

(―――情けねぇな、全く。)

目の前で俯き涙を堪える惚れた女一人、こちらへ向かせてやれないのだから。
組んでいた腕を解いてそのまま伸ばせばふるりと瞼が震えた気がした。なめらかな輪郭をなぞるように指で触れ、掌に納めて。緊張に強張る身体に気付いている癖に知らないふりをして距離を詰めるが、それでも春歌の視線は上がらない。空いたもう片方の手も持ち出して、やわらかな髪ごと頬を捕まえる。そうして最後に、少しだけ背筋を曲げる。

「……なぁ、こっち見ろ、春歌」

逃げないよう、逸らさせないよう両の掌で捕まえて。怖くないと宥めるように覗き込んで、主導権は確実に握っている筈なのに。呼びかける声は、情けなく掠れていた。




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