僕らはいつだって、噛み合わない。
僕は翔ちゃんの、翔ちゃんは僕の。お互いが何を思い、何を考えてるかなんて息をするのと同じくらい簡単に分かる。
だけど僕らは分かるだけで―――いや、正確に言えば、知ることが出来るだけで。それがどんなに納得出来ないことだとしても、何としてでも止めたいことだとしても、結果はいっつもおんなじだ。
僕らはお互いの思いや考えに、影響し合うなんて出来やしない。




身体の弱かった翔ちゃんがひとりぼっちで何を見て、それをどんな風に感じて、声を殺して泣いていたか。僕は全部知ってる。分かってあげることは出来なかったけど、ちゃんと気付いてたんだ。
だから翔ちゃんを助けたかった。共有できなかった景色を、経験を、思い出を。一から二人で分かち合う為に僕は、君の隣を選んだ筈だったのに。

「…わっかんないなぁ」
「はぁ?」

ありったけの約束をして、一人でアイドルを目指しに行ってしまった翔ちゃん。
憧れた眩しい世界へ真っ直ぐに駆けていく背中はもう、かつて見て来た頼りないそれじゃあなかった。
立ち止まらず、振り返らず。ただひたすらに、上を目指す僕のはんぶん。寂しかったけど、切なかったけど―――翔ちゃんが望むのは『皆』に愛される翔ちゃんなんだから、って言い聞かせてた。
それなのに、何なのさ。

「前から翔ちゃんの考えてることは、訳分かんないと思ってたけどさぁ…」
「?何が言いてぇんだよ」
「翔ちゃんはさ、たくさんに愛される存在になりたい訳でしょ?」
「おう。」
「じゃあ何で、彼女を選んだの?」

沢山に好かれ、愛され、憧れられる。そんな偶像こそが、僕の片割れが目指す存在―――アイドルだ。

「多数に愛される術を見つけに行ったのに、何で」

不特定多数の『特別』を目指す場所で彼が見つけ出したのは、絶対不変唯一の存在。翔ちゃんの、翔ちゃんだけの、『特別』。

「悲しい、寂しい思いをさせるだけだとは思わなかったの?」

君に置いてかれた、僕みたいに。

「…薫」

こんなこと、言いたくないのに。
責めたい訳じゃ、まして別れさせたい訳じゃない。だけどどうしても、理解出来ない。
心から望んだたった一つを手にして、それでも彼女以外の大勢に愛される為に歌うなんて気持ち、想像すら出来なかった。

「あいつは…春歌は、俺のたった一人のパートナーだ」
「そんなこと分かってるよ。だけどね、翔ちゃん。翔ちゃんが光の中に立つ時、名前も知らないような沢山の人から愛される時、翔ちゃんはひとりなんだ。隣にあの人がいる訳じゃない」

彼女の紡ぐ音楽が、生み出す歌がどんなに素晴らしくたって歌うのは翔ちゃん一人だ。

「…違う。」
「え…?」
「そうじゃねぇよ」

真っ直ぐな、瞳。強い意志の込められた視線が僕をとらえて、それから不遜に笑ってみせる。

「……なあ、薫。俺は多分さ、一人じゃ『俺』にはなれないんだよ」
「どういうこと…?」
「生まれた時…違うな、生まれる前から俺は、一人だった瞬間なんてなかった。隣には、お前がいたからな」
「………うん」
「そんな風にずっと一緒だったお前と離れて、学園で出会ったのがあいつだ」

七海、春歌。
琥珀みたいな日溜まり色をたたえた、緩やかな笑みが浮かぶ。大人しそうな外見と丁寧な言葉遣いとは裏腹に、揺るがない意志を持った女の子。

「確かに、ステージに立つのは俺一人だ。スポットライトも、歓声も、もらうのは俺だよ」
「……………うん。」

彼女と出会って翔ちゃんは変わった。
いや、本当はもうずっと前から変わり始めていたけれど、それを加速させたのが彼女だった。
駆け抜けていくように変わり続ける翔ちゃんを怖がりつなぎ止めようとした僕と、隣で走ることを選んだあの子。

「だけど、その世界を構成してるのは…アイドルの『来栖翔』を構成してるのは、あいつだ。あいつの音楽が、俺の引っ張り上げてくれる。……歌だけじゃない。あいつの存在が、俺を引き留めてくれる。ちゃんと、生きたいって思わせてくれる」
「………………」
「春歌がいてくれるから、俺は俺になれる」

―――ああ、ずるいなあ。
その言葉は、僕がいちばん欲しかったのに。
利己でも、執着でも、依存でもない。ただ純粋に必要とし、必要とされる存在。きっと翔ちゃんだけに言えたことではなくて、彼女もまた翔ちゃんが居るからこそ彼女たりえるのだ。
お腹の中で命をはんぶんこした翔ちゃんの、そんな特別に僕がなりたかった。

「……あーあ、なーんだ。心配して損しちゃったよ。まさかノロケで返されるなんて思わなかった」

僕らはいつだって、噛み合わない。
僕は翔ちゃんの、翔ちゃんは僕の。お互いが何を思い、何を考えてるかなんて息をするのと同じくらい簡単に分かる。分かっていた、筈だった。
だけど今や僕らは分かることも、知ることも満足に出来やしない。お互いの思いや考えに、影響し合うなんてもう、この先有り得ないんだ。

「ったく、お前は相変わらず心配性っつーか過保護っつーか…」
「仕方ないでしょ、約束を片っ端から破って無茶するお兄ちゃんを持ったんだから」
「へーへー。…お前はもっと、お前を信頼して、『お前の』兄ちゃんを信用しろって」
「…?翔ちゃん、何言ってるの?」
「あのな。『今』の俺が俺である為に、春歌は絶対に必要なヤツだ」
「…うん。」
「だけど、お前が俺の半分なように、俺だってお前の半分なんだからな」
「っ…!!」
「信じろよ。どんなに沢山の中にいたって、たった一人の特別を見つけて、大事に大切に想い続けられるって」

重く、重く。引き擦るような感情を受け止めて笑う翔ちゃんは、紛れもなくお兄ちゃんの顔で。
ねぇ、僕がそんな君の半分であるなら、いつかそう笑えるのかな。そんな風に、強く大きくあれるのかな。

「弟に出来たことを、兄ちゃんが出来ないなんて言えねぇだろ?」
「…翔、ちゃん」
「………ありがとな、薫。」

くしゃりと、撫でる手のひらは乱暴で。だけどどうしようもなく、優しかった。








20111125

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