「遅くなっちまったな…。」

小さなため息と共にこぼした言葉は、春の夜に溶けていく。
視線の先にはどこまでも広がる闇色の空と、まばゆい光りをたたえる月。
何故だろうあいつの顔が早く見たくなって、歩調を早めようとしたその時だった。

「歳三さん!」
「…千鶴、」

頼りない灯りを手に、俺の姿を見つけた千鶴が駆けて来る。
俺達が暮らす家からここは少しばかり距離がある。人通りも明りも、ろくにないと言うのに。
息を弾ませて胸に飛び込んで来る小さな体を受け止めると、またため息がこぼれた。

「…お前なぁ」
「…すいません」

申し訳なさそうにおずおずとこちらを見上げて来るその表情を見て、肩の力が抜けてしまう。

「いや、良い。悪いな、迎えに来させちまって」
「…いえ!」

散った桜の花びらをまとう髪を梳いてやると、千鶴のにおいと桜の香りが肺に染み込んでいく。
それに満足して体を離すと、その小さな手のひらを取って家へと歩き出した。

「月が真ん丸で、きれいですね」

俺の隣り、肩の高さほどしかない所から空を見上げる千鶴の瞳もまた月色をしていて。
―――とおい空に輝くばかりの月よりも、お前のその瞳の方がずっと俺をとらえているのに。
けれど今その愛しい色は天高く輝く、もうひとつのそれに向けられていて。
俺はようやく、気持ちが急いた理由を知る。

「千鶴、」
「?はい」

不意に立ち止まった俺を不思議そうに見上げたその表情は、繋いでいた手を離した途端にふにゃりと歪む。ああ、違うのに。
空いた手のひらを頬にそえて、ゆるく抱きしめる。
さすがに少し照れくさいので、顔が見えないよう耳元で囁いた。

「あんま月ばっか見上げんな。…お前が帰って行っちまいそうで、不安になる」

昔語りの姫のように、同じいろをしたその瞳で月を見上げるから。
腕を回して、やわらかく閉じ込めて。髪に、額に、頬に、唇に。行かせはしないと、くちづけの雨を送った。





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