右足の次に、左足で踏み出すように。
瞬きをするように、まるで呼吸をするように。
ごく自然にそれは口にされる。

『お前の幸せが俺の幸せだよ』

その言葉の為に差し出される腕が、握りしめられた拳の内側がどうなっているか。気付かない筈がない。
あなたが誰より私の傍にいるならそれはつまり、私は誰よりあなたの傍にいるのだ。
一人で幸せになれる程、私は傲慢な人間じゃない。
自分以外の誰かとしあわせになりたい。

ねぇ私は二人じゃなきゃ幸せになれないよ、錫也



「月子、どうした?何か悩みでもあるのか」

錫也のことだよ、なんて簡単に言えたら楽なのに。
小さな頃からずっと私の手を引くのは錫也で、たとえ一緒に転んだって先に起き上がって私を心配するのは、錫也で。
甘えている自覚はある、でも私は一人でも立てる筈で。それなのに考えれば考える程、自分が錫也を縛り付けている気がしてしまう。
誰よりも優しい、大切な幼なじみ。勉強も運動も、更には家事までこなしてみせる。可能性の固まりみたいだと、思った。

「疲れてるんじゃないか?いくら何でも、部活に生徒会に係の仕事まで一人で抱え込んでたら疲れるだろ」

心配そうな碧が、私を穏やかに諌める。
―――思い返せば弓道部に入ることも生徒会に参加することも、誰にも相談せず決めていた。さすがに保健係はクラスの話し合いの場で割り振られたものだけど。

『お前が決めたならそれで良いけど…無茶だけはしないでくれ、頼むから』

事後報告で伝えた私に、まるで泣く寸前のような掠れた声が落とされた。それが少しだけうれしくて、そんな自分が嫌で、いやで。
この学園で『唯一の女の子』じゃない居場所を見つけたかった。守られる、寄りかかるだけの空っぽな私を何かで埋めてしまいたかった。
強くはない。出来ないことも沢山ある。小さなことで落ち込んで、傷ついて、思ってもいない出来もしない癖にしにたいなんて口に出せて、本当に子供みたいな存在なのかもしれない。
だけど錫也、錫也だっておんなじでしょう?

「―――――」
「月子?…どこか痛むのか?それとも熱が、」

伸ばされた手が、額に触れる寸前に捕まえた。

「月子?」

そうやって温かく甘く優しく私の名前を呼ぶあなたも、錫也も私と同じ十数年を生きただけの高校生で、子供で、大人になんてなれやしない。
私の母にも父にも、なれやしないのに。

「錫也、錫也はね、良いんだよ…?自分が、幸せになりたいって、言って、」

自分のことで手一杯、精一杯で私は私以外の誰かの幸せを自分のそれ以上に考えることなんて。
せめて悲しくないように、辛いことが少ないようにと心の片隅に引っかけるくらいだ。
錫也の幸せを、錫也だけの幸せを、祈るなんて出来ない。

「…月子、泣いてるのか?」

錫也が可能性の固まりであるとしたら、私を構成するのは一体全体何なのだろう。何が固まり砂糖をまぶせば、私というひとりが出来上がるのだろう。

「泣いてる。泣いてるよ、私は、錫也が…」

すきだから、

だから幸せになるなら一緒が良い。
錫也が幸せなら、それだけで私も幸せだなんて笑えない。
縛り付けてしまうなら、気付いてなお手放せないなら、せめて一緒に満たされたい。
隣にいて言葉を交わして振れて触れてふれて、そうしてやっと温かい何かが私を埋めるのだ。
足りない頭が、言葉が悔しい。私は私の言葉でしか、自分の気持ちを伝える術を知らないのに。

「…ごめんな」

捕まえられた手はそのまま、空いたもう片方が私を撫でる。いつもみたいに優しく、宥めるみたいに穏やかに。
ぼろぼろぼろぼろ、壊れた涙腺はただただ私の体の海を溢れさせる。

「ごめん、」
「…っ…」
「お前が今怒ってる理由も、泣いてる訳も何となく解る」
「っ、く」
「お前が…月子が、ずっと気付かないふりをしてくれてたから。甘えてたんだ」

傍にいることが当たり前で、その距離が詰まるのが嬉しくて。錫也が隣で笑ってさえくれるなら良かったのだ、最初は。私のしあわせは錫也なしには成立しないのだから、錫也がいて私が幸せになり、そうして錫也も幸せなら、それで良いと。
でも私はやっぱり欲張りで、その一線を超えたくて、壊したくて。

「手を伸ばして届かなかったら、振り払われたら。考えただけで怖くなって、踏み出せなかった」
「すずや…、」
「だけど、それでも。どこかで期待してたんだ…お前が、俺を欲しがってくれたら、」

引き寄せ抱きしめる両の腕は、今までの穏やかさをかなぐり捨てて強く、強くつよく。

「やっと蛹をこわせるんだ…」

幸せになりたい、あなたのではなくあなたと。
窒息しそうなくらい強い力が私を包む、だけど香るのは今まで以上の優しさで。

「好きよ、錫也。誰よりも、一番…」

乾いた唇は、重ねた場所から濡れて本来のやわさを取り戻していく。
しなやかで強固であった嘘が剥がれたその先には、私に見せない場所で刻まれていった傷だらけの、でもとてもきれいな温かいもの。ああ、求められることはこんなにも愛おしく、幸いを呼ぶのだ。
美しく広げられた熱情の中、私はゆっくりとおちていった。








20100904
企画『うそつき、』さまに提出致しました