『お前のことは、世界で二番目に大事だよ』

これは、俺の父さんの口癖だ。
父さんはいつも優しくて穏やかな人で、でも母さんが絡むと大人気ない。
にこにこ笑ってる顔は変わんない癖に、その背後が黒い。何ていうか、真っ黒い。
昔も今も変わらず母さんが一番で、はっきり言って母さん馬鹿だ。

小さな俺は父さんも母さんも同じくらい―――いや母さんの方がちょっと上だけど、でもおんなじくらい大好きだった。だから自分が一番好きな人の一番じゃないことは、それはそれは悲しかったし悔しくて。
何で僕は二番目なの、じゃあ誰が一番なの。
沢山泣いて喚いて、落ち着かせようとする父さんの腕の中で散々暴れた。それでも父さんは微笑んだまま、もう一度同じ言葉を口にする。

『お前は、世界で二番目に大事に思ってるよ』
『でもっ、一番じゃ、ないんでしょ?』
『うん。お父さんの一番は、もうずーっと昔にあげちゃったから』
『誰、に?』
『月子。俺の奥さんで、お前のお母さんだよ』
『おかあ、さん?』


その言葉にぼろぼろぼろぼろ零れていた涙が引っ込んで、幼い俺は目をまん丸に見開いて父さんを見つめた。

『お父さんとお母さんがちっちゃい頃から一緒だった、っていうのはお話しただろう?』
『…うん』
『その頃からお父さんはお母さんが大好きだったんだよ』
『ちっちゃな頃から、ずーっと?』
『そう、ずーっと。お母さんはお父さんのお姫様だったから』


今思うと、実の息子相手にとんでもないのろけだ。だけど父さんが何だか嬉しそうに笑うから、俺は大人しく次の言葉を待った。

『お母さんはいつも一生懸命だったけど、上手に出来ないことや頑張りすぎちゃうことも沢山あったからね。お父さんが隣にいなきゃ、って思ってたんだよ』
『…そうなの?』
『うん。哉太おじさんと羊おじさんとお父さん、皆でお母さんを守ろうって約束してた』


カメラマンになってあちこちを飛び回る姿と、定期的に届けられるエアメールが頭に浮かんだ。
二人とも父さんと母さんの幼馴染で、大人になった今でも交流は途絶えていない。

『お父さんがいなきゃ、そばにいてあげなきゃ、っていつも思ってた。だってお母さんは女の子で、お姫様だったから』
『…うん』
『だけどね、お母さん本当はすっごく強いんだよ』
『えっ』


その時の俺には、母さんは明るくて優しくてどこかふわふわした幼心に「守ってあげなきゃ!」と思うような存在だった。怒った時は父さんの方がよっぽど怖かったし、その父さんが母さんを「強い」と言ったことに驚きを隠せなかった。

『本当は、お父さんが手助けしなくてもお母さんは頑張れる。転んでも、一人で立てるんだよ』
『………?』
『ショックだったなぁ。俺の方が、あいつがいなきゃダメだったんだって思い知った』


俺にはもう難しくてよく分からなかったし、父さんも独り言のようなつもりで口にしていたんだろう。

『でも、その強さを知ってやっと俺は、俺の一番をあげたいって思ったんだよ』
『一番を、あげる?』
『そう。ずっと秘密にしてたけど、俺の一番はお前だよって伝えようって思ったんだ』


大きな手のひらが、俺を愛しそうに撫でる。父さんの瞳に映る俺は髪の色も顔も母さんにそっくりで、眼の色だけが父さんと一緒だった。
そうして父さんは本当に幸せそうに、あんまり優しく笑うものだから俺の目からまた涙がぼろぼろこぼれていく。

『おとう、さんっ』
『うん。どうした?』


この優しい手のひらの持ち主と、その心の真ん中いつも一番であり続ける人のいのちを半分ずつ貰って生まれたことが堪らなく嬉しかった。
勿論その時の俺はこんな小難しく考えてなんかなくて、だけどとにかく幸せで。

『僕も、いつか会える?』
『うん?』
『一番をあげたい、女の子』


一番と、二番。
そうは言っても何かあれば父さんは間違いなく母さんも俺も両方心配するし、助けようとする。
本当はそこに差なんてないんだ。
ただ、一番は想うだけじゃなく、伝えて、あげたいと思うもの。

『会えるよ。絶対に会える』
『ほんと…?』
『だからそれまで、一番はとっておきな。父さんと母さんは、二番目で十分だから』


いつもやわらかい、穏やかな父さんが、この時はすごく強くてかっこいいと思った。

「父さん」
「どうした?反抗期じゃなかったのか」
「…それは、その、悪かったよ」

心配や優しさが欝陶しくて返したきつい言葉に、母さんが泣きそうな顔をしたのは数日前。
勿論、もちろん父さんにめちゃくちゃ怒られた。正座なんて久々にさせられたし。

「…子供の頃のこと、思い出してた」
「子供の頃?」
「父さんの一番は母さんてやつ」
「ああ」

胸に渦巻く感情に揺さぶられて、振り回されて。だけど今日やっと、その気持ちの名前を見つけたんだ。

「父さん」
「ん?」
「俺にもいた。ちゃんと会えたよ」
「…そうか」

口に出さなくても汲み取った父さんが嬉しそうに笑って、俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「頑張れよ」
「大丈夫だよ、だって俺は父さんに世界で二番目に大事にされてる奴だし」
「はは、そうだな」
「…俺もね、父さんと母さんが世界で二番目に大事だよ」
「ああ。それで良い」

そう笑う父さんはやっぱり、すごく強くてかっこよかった。
願わくば、父さんのように強く優しく穏やかにありたい。母さんのように強く明るくありたいと、思った。
気恥ずかしいから、言葉になんかしないけど。







20100629
企画『きみのて。』さまに提出致しました


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