「………、」

床に就いて半刻程。どうしてだろう、ふわり意識が浮き上がった。
じめじめとした暑さが続いていた最近には珍しく、心地良い風の吹く涼しい夜。今日はいつもよりよく眠れそう、そう思って布団に入った筈なのに。

「目が、覚めちゃった…」

音を立てないよう慎重に襖を開けると、さらりとした空気が肌を掠めて行く。白く光る月、昼間の賑わいが嘘のような静寂。皆寝付いたのか島原にでも行ったのか、音のない夜はいきなり置いて行かれたような気持ちにさせて。
けれど床に戻った所で、簡単に眠れるとは思えなかった。踏み出した足の裏に、じんわりと熱が染み込んで行く。
井戸の水をもらって気持ちを落ち着けようか、そう考えて歩き出した縁側の先に、見慣れた横顔を見つけてしまった。

「……あ、」
「あ、千鶴ちゃんだ」
「…珍しいな、起きていたのか」
「沖田さん、斎藤さん…」

間抜けにこぼれた一言に、気配に聡い彼等がこちらを見つめる。にこにこと笑う沖田さんの手招き一つで傍へと寄ってしまったのは、先程感じた寂しさのせいかもしれない。
ここに座って、示されたのは二人の間の一人分程の隙間。ちょこんとそこに腰掛ければ、斎藤さんが遠慮がちに尋ねて来る。

「…眠れないのか」
「え」
「一度は床に入ったのだろう」

言って、指先が降ろしていた私の髪に触れる。最低限の言葉に確かに込められた心配の色に、ほんの少しだけ心臓が跳ねた。

「ちょっと。何抜け駆けしてるの?」
「…俺は別に抜け駆けなど、」
「最初の間が肯定してるよ、一くん。何、眠れないの?しょうがないなぁ千鶴ちゃんは」

よしよしと子供にするみたいに撫でる手のひらに思わず笑ったら、満足そうに唇が孤を描いた。いつもは不穏なそれも、今日ばかりは優しさを感じられて。

「お二人は起きてたんですね」
「…総司に引っ張り出されただけだ」
「人聞き悪いなぁ、一くんだって結構見入ってたじゃない」

すいと指先が示す方へ目を向けると、昼間には出会えない明かりがあちこちに灯されていて。

「蛍…」
「そう。綺麗でしょ」

本来なら川辺で見るものなんだけどね、迷い込んで来たのかな。
沖田さんの指先に蛍が止まる。

「…お前ら、こんな刻限に雁首揃えて何してやがる」
「…雪村くんまでいるのか」

途端背中にかけられた声に、止まったばかりの指先から蛍が飛び立って行ってしまう。

「あーあ、土方さんのせいですよ」
「あぁ?妙な難癖付けんなよ…って、蛍見てたのかよお前ら」

噛み殺した欠伸を覆う、その手には微かに墨のあと。その後ろに従う監察方の彼の手には書状がある。自分に無頓着らしいこの二人は、今までずっと執務に専念していたらしい。

「時期も遅いってのに、風流なもんだなぁ」
「そうですね…」
「俳句でも詠みますか豊玉さん」
「…総司」
「…そんなに殴られてぇのか。よーし歯を食いしばれ」
「あははは、嫌に決まってるじゃないですか」

私の隣の沖田さんと、後ろに立つ土方さん。頭上で交わされるやり取りに何も言えずにいると、賑やかな声が飛び込んで来る。

「皆揃って何してんだー?」
「総司に斎藤に、土方さんに山崎に…何だ、千鶴もいんのか?」

ほのかにお酒の香りを纏った平助君と原田さんが、にこにこと笑いながらこちらへやって来る。やっぱり島原へ行っていたのか、近くに寄るとほんの少しだけ白粉の匂いがした。

「珍しいな、お前がいるなんて」
「な!帰って来て正解だったろー?」
「…そう言えば、三人で島原に行ったんじゃなかったのか」
「どうせ親八さん酔い潰れちゃったんでしょ」
「総司当たりー!!もうさ、大いびきかいてて何しても起きねぇの」
「まさか置いて来たんですか…」
「勘定も一緒に置いて来たけどな。何なら土方さん迎えに行きます?」
「俺が行くと思うか?原田」
「いえ全く」

あっという間にいつも通りの風景が出来上がる。相変わらず月は白くて、夜は深くて、でも彼らが居て。それだけでこんなにも、私の世界は鮮やかになる。

「ふふ、」
「あ、千鶴が笑った」
「雪村くん?」
「そうかそうか、俺が帰って来たのがそんなに嬉しかったか」
「勘違いだよ左之さん」
「………」
「斎藤は何赤くなってんだ」

彼らの声と笑みが、心の隙間に蓋をしていく。こぼれ落ちた、言葉に出来ない物思いを掬い上げて溶かしてくれる。思いがけず込み上げた涙を堪えようと俯いたら、手のひらにやわらかい光り。蛍が私の手で、その羽根を休めていた。

「こいつもお前が好きなんだな!」
「…こいつ、も?」
「そうだよ、僕らと一緒」
「え」
「…総司、何を言っている」
「そうです沖田さん、何を」
「耳まで赤くなってんぞ斎藤、山崎」
「茶化すな原田」

ぽんと、何てことないように告げられた言葉に涙が引っ込んで行く。見上げた先、皆が微笑んで私を見ていた。

「寂しくなったら、いつでもおいで。君なら歓迎してあげる」
「千鶴、俺も俺も!」
「…俺も、」
「俺で構わないならば」
「すっかり人気者だなぁ、千鶴。俺も候補に入れといてくれや」

次々とかけられる言葉にぱちぱちと瞬きを繰り返していると、大きな手のひらが私の頭を優しく撫でた。

「お前は独りじゃねぇってこった」

照れくさそうに揺れる紫苑が私を見つめるから、じわじわと顔に熱が集まって行く。
子供じみた寂しさなんて、とうにどこかへ消えてしまった。蛍を空へかえして、私は彼らに向き直る。

「ありがとう、ございます。…私も、皆さんのことが大好きです」

この手を重ねても、この腕を広げてもまだ足りない程の感謝を伝えたくて。私は心から、微笑んだ。








ぺこりと頭を下げ、それでは失礼しますと千鶴が部屋へと戻って行く。残された男達が、六人。

「あれで無意識なんだよねぇ…」
「…心臓に悪い」
「すっげぇ可愛かった…!!」
「ありゃ反則だな…」
「雪村くん…」
「…ったく、危なっかしい」

うるさいくらいに跳ねる心臓も、やけに熱く感じるこの空気も。皆みんな、彼女にもたらされたもの。持て余すのか、或いは一途に注ぐのか。それぞれの思惑を笑うかのように、蛍の光りが揺らめいた。




20090810/君の先 茅太

指定:『ありがとう』

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