彼の瞳には青空がある。
正確には、空をそのまま閉じ込めたような色をしているのだ。
持ち主の性格を表すのかその色彩はどこまでも、どこまでも澄んでいる。
欲しい言葉をくれる訳じゃない、甘やかしてくれる訳でもない。
けれどいつからか私は、彼に恋をしていた。

決して歓迎された訳ではない出会い、保護という名目の監視。
与えられた一間で過ごすことは苦痛ではなかったけれど、どこか息苦しく感じていた。
食事の準備や掃除、洗濯を通して少しずつ手に入れた時間。それが来る度に空を見上げるのが、私の小さな幸せになっていた。

「…雪村」
「!はい、」

低く、小さく。
日に日に冷たさを増していく空気を静かに震わせながら、確かに届く声。
跳ねる心臓を押さえ付けて、弾みそうになる声を抑えて。振り返った先に、彼はいた。

「…済まない、仕事中だったか」
「大丈夫です。もう全部終わってますから」

昼過ぎから今まで、庭の隅―――人目につかない場所で、汚れた羽織を黙々と洗っていた。
空気に触れ黒く乾いたそれが、何であるかを分かった上での申し出。最初こそ土方さんは私に任せることを渋り、それを沖田さんや井上さんの口添えでもってどうにか私は私の仕事を手に入れた。

「…あかぎれが出来ているな」
「え」
「今までずっと、洗濯していたのか」
「…はい」

何の気なしに触れられた指先に熱が生まれ、痺れるような感覚が走る。
無感情に近い瞳の奥、僅かに揺れる労りが痛い。どうせ一晩のうちに治ってしまう傷だと、言ってしまえたら楽なのに。
何も知らない子供のように、何も気付かない彼の一挙手一投足に心は踊る。それは、ちいさな痛みを伴う幸せだった。

「…あんたにばかり雑用を押し付けて済まない」
「!そんなことないです!」

行方知れずの父を探して、禁忌を見てしまったが為に今こうしているのに―――呑気に恋心を抱いてしまった自分が情けない。
この上優しさに甘えてしまったらもう、私はここには居られないだろう。

「私が望んでやらせてもらっているんです。だから、どうかお気遣いなく」

私は上手く笑えなかったようで、彼の瞳のそらが僅かに曇る。
頬を撫でた風が冷たくて。空気の温度が少し、下がった気がした。

「…あんたは我慢をし過ぎだと、俺は思う」

いつだって真っ直ぐな蒼が、私を射抜く。そこに潜むのが棘であると分かっていても、私は視線を逸らせない。

「甘え、依存するのもどうかと思うがあんたの場合は他人を頼らなさ過ぎる」
「………」

頼らないんじゃない、頼れないのに。
甘えが許される場所ではないと理解しているから、優しさを甘受した自分の行く末が見えるから、そうしないのに。
泣きたくなる。喉元に込み上げるものを全部さらけ出して、言ってしまいたくなる。

「…そんなことありません。新選組の皆さんには本当に、良くして頂いて」

分かって欲しいとは言えない。言わないからどうか、これ以上触れないで下さい。踏み込まないで下さい。
自分勝手な想いだと十二分に理解しています、でもどうしたってあなたが好きで仕方がない。
仕方がないから、あなたが与える言葉や視線の一つひとつに、今もほら泣きそうになる。
あかぎれた指先も、冷えていくばかりの肌も痛くなんかないんです。本当に痛いのは、いたいのは

「雪村?」

日々空が高くなっていくから、切なさばかり際だって、寂しさばかり鮮やかになる。
届かない、届かない。また風が吹いて朱が舞った。

「……………」
「……………」

触れられたままの指先がじんじんとして、目頭がじわりと熱くなる。
泣くものか、気付かせてなるものか。
自分ですら持て余すこの感情が重荷にしかならないことを、悲しいくらいに分かっているのだから。

「大丈夫です」
「は」
「大丈夫ですから、」

にこり。今度こそ、完璧に笑えたと思う。
そっと静かに手を引いて、あかぎれを隠すように指を丸めた。

「何だかご心配おかけしてしまったみたいで申し訳ありません。でも私は、大丈夫ですから」

きらきら、きらきら。
鮮やかな空や紅葉とは対照的な、白い光りが彼を取り巻く。
その様がとても綺麗だからまた、彼が尚更遠いひとのように思えた。

「…せめて、後でその手に軟膏か何かを塗っておけ」
「はい…ありがとうございます」

優しさだけならいらないと思う一方で、それに縋る私がいるのも確かな事実。
もう一度笑みを張り付けて、一礼。

「……洗濯物は俺が引き受ける。副長が探していたから行って来い」
「…分かりました。すいませんが、よろしくお願いします」

背を向けて隊舎の方へ歩き出す。
丸めた指先を見つめて、こぼしかけた言葉を押し殺した。

たとえばこの傷が愛で治ると言うのなら、あなたは愛をくれますか










遠ざかっていく背を見つめながら、焦燥感を味わっていた。
凛とした、だが決して強くはないその姿を目で追う自分を自覚してからどれくらい時が過ぎたのか。
曖昧な境目を超えてしまいたいと思う一方で、いつも笑顔で引かれる境界線に二の足を踏む。

「………千鶴、」

馴染まぬ音は、彼女に届くことなく風に散る。
冷えた空気が、胸の内を撫でていた。




20100422

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