摂氏三十六度、本日も真夏日也。
度々ニュースで騒がれてる環境破壊や地球温暖化、アナウンサーの口から流れる言葉には重みを感じられないのが正直なところ。
だけど自分が小学生、つまり今よりもずっとガキだった頃なんかを思い出すと三十六度なんて有り得なかった。
三十度、いや二十七度やそこらで暑い暑いと騒いでいたあの頃の俺、全くもって贅沢だ。
地球は確かに熱くなってる。今や真夏の気温は人肌程度、常に誰かにくっついてるみたいな熱気と湿度。

「あぁっちい…」

あのパリッとした硬い布地が肌に張り付く感触が嫌で、夏はもっぱらTシャツかポロを着てる。本当は衿がない服はアウトなんだけど、緩い教師陣に見逃されて今のところはお咎めなし。
そんな俺に対し、あいつは毎日きっちりと制服を着込んでほんのちょっと顔を赤くしてる。

「平助くん」

ほら今日もまた、白い肌がうっすら汗を滲ませていた。

「いっつも言ってるけどさー…その格好暑くねぇの?」
「平助くんは暑がりだね」

軽く拳を握った小さな手が頬に触れる。俺と変わらない三十六度かそこらの体温の筈なのに、その肌はどこかひんやりとしていた。

「夏休みになって、これからどんどん暑くなってくんだよ?」
「夏は嫌いじゃねぇんだけどなぁ…」

苦笑いをこぼす千鶴に甘えるみたいに、目を軽く伏せる。優しい指先は、俺の肌に張り付いた前髪を梳いてくれた。

「日陰を歩いて帰ろうか」

一学期最後の日、かったるい終業式も担任の話も終わってる。奇跡的に赤い数字のない通知表は、山程の課題と一緒にとっくに鞄に突っ込んだ。
高校二年、謳歌出来る最後の夏。一年後には今後に少なからず影響を及ぼすだろう未来の決断をしなくちゃならない。
そんな自分は今ひとつ想像しづらくて、そのうち考えるのをやめてしまった。

「…あー、」

暑くて熱くて仕方がない。
何か考えようったって汗は流れるし喉は渇く。草と土と、むせるような夏の匂いばかりが肺を満たして。
空の青とか照り付ける太陽とか、あらゆるものが狂暴なくらい鮮烈な季節。
その、攻撃的な鮮やかさの中に、ふんわりとある淡いやわらかい女の子。
千鶴はそんな奴に思えた。

「考えごと?」

今はまだ大して変わらない身長、ギリギリの意地が通る程度の差に千鶴が俺を見上げる。
当たり前みたいに繋いだ手のひら、本当は馬鹿みたいに心臓が跳ねて騒いで、たったこれだけのことに叫び出したくなってる俺がいた。
暑くったって汗ばんだって、絶対絶対離したくない。もっともらしい理由なんて、惚れた以外に何もいらないだろ?

「…お前が好きだー、って思ってた」
「!」

本当に、ガキみたいだと自分でも思う。こんなに盲目的に好きで、可愛くて抱きしめたくて堪らなくなるなんて。
真っ赤な顔を隠す手を取って、そのまま額をこつんと合わせた。街路樹の隙間からこぼれ落ちていく光が綺麗で、あんまり千鶴に似合うから俺は尚更笑う。

「へいすけ、く」
「あーもう好き。すっげぇ好き」

暑さに脳内を侵されたみたいに、感情の熱に浮かされていた。
本来なら欝陶しい筈の熱い肌の感触も、このままいつまでもくっついていたいなんて考えてる。

「千鶴、は?」
「………う…」
「な、教えて」
「…は、恥ずかしい…」
「大丈夫だって」
「……………すき、」

十数年、たったそれだけしか生きてない俺だけど、この先もずっと千鶴といたいと思う。
あんまり好き過ぎて、あんまり尊く思えてしまうものだから、いつからかこの先も隣にいられるかなんて不安すら感じてた。
今よりずっとでっかく大人になった俺が、きっともっと可愛く綺麗になった千鶴のそばにいる。
自分自身の展望すら曖昧な今の俺には遠すぎて、見えそうにない未来。

「すっげぇ、嬉しい」

見えなくたって、構わなかった。
今目の前にあるのは眩しく狂暴な夏。
暑さに嘆いて浮かれて浮かされて、そうしてきっと、もっと千鶴を好きになっていく。
そうやって思い出をかさねて、いつか手探りで未来を引っ張り込めば良い。

「…夏休みも、いっぱい会いたい」
「うん、俺も」

千鶴が笑って、俺も笑う。
さっきよりももっとずっと熱くなった手のひらを、一層力を込めて握った。










20100406