雨を引き連れた雲が空を覆っていた。今にも泣き出しそうな薄墨色を、一人見上げて。
窓硝子の冷たさを手のひらに感じていると、静かな声が教室の空気を震わせた。

「千鶴」

振り向けば見慣れた無愛想な顔が目に映る。体育から急いで着替えてくれたらしい、少し曲がったネクタイに口元が緩んだ。
そうして、帰ろう、言い出す前にもう歩き出してしまうから。机の上に置いてあった鞄を取って、小走り気味にその背中を追いかけた。

「家に着くまで持つかなぁ…」
「俺は折り畳み持ってるから降ったって構わないけどね。濡れて帰るのも良いんじゃない、千鶴は」
「!何それ」
「ばーか。嘘だよ、」

薫の手のひらがくしゃくしゃと髪を撫でる。私はそれに拗ねたふりをして、歩調を早めてその先を歩いた。

「もう良いよ薫のばか」
「!待て千鶴、そこは」

薫が言葉を言い切る前に私は段差につまづいて、そのまま車道に倒れそうになる。
危ない、それしか頭に浮かばなくて。強く目を閉じたら、思い切り後ろに引っ張られた。

「本っ当に危なっかしい…」
「かお、る」

お腹に回った薫の腕が私をつかまえていて、コンクリートにキスすることは避けられた。
心臓がやけに早い鼓動を打っていて、耳が熱くなる。確かめるように、その手を上から握った。

「足とか捻ってないだろ?…ほら、手出して。」
「?はい」
「優しい兄さんが手を繋いであげる」
「!!」
「何か文句でも?」
「…ありません」
「なら良し」

優しく、でもしっかりと握られた手に嬉しさが込み上げる。いつの間にか私より大きくなったそれに、やけに安心した。
―――あの頃は、前に出会った時は。大きさの違う手を繋ぐことなんて、なかった。
記憶の中の薫は、手のひらも視界の高さも私と同じだ。今はもう、違うけれど。
その隙間を埋めるように、変わらず揃いで持つものもある。髪と瞳。そして、血。

「…降って来たな。あと少しだし走るけど、転ぶなよ?」
「!…うん、」

時は流れ、平成の今また私達は双子に生まれた。記憶も痛みもそのままに。ただ、今度は一度として離れることはなかった。



「千鶴、ほらタオル」

家に着くと真っ先にタオルを被せられる。自分だって濡れてる筈なのに、いつだって私を優先するのは薫の癖だ。

「…ね、ちっちゃい頃思い出すね」
「?」
「こうやって白いバスタオル被って、私がお嫁さんで薫がお婿さん」

怪訝そうな薫の手を取って、額を合わせる。黒髪から落ちた雫は、どちらのものだろう。

「…何考えてんの」
「あのね、薫」

息の音すら聞こえる距離で、私達は見つめ合う。

「知ってる?深く愛し合った男女は、来世は兄妹に生まれ変わるって」
「………」
「私達には、今と同じ双子だった記憶しかないけど…もしかしたら、恋人や夫婦だった時もあるかもしれないじゃない?」

感情よりも重く強固な、血という絆で結ばれた。
それは片時も離れずにと誓った二人の望んだ別のかたちなのかも知れないと。

「私は、薫とずっと一緒にいられて嬉しい」

私はきっと、私ひとりじゃ完成出来ない人間なのだ。
そっと身体を離すと、揺らぐ視線が視界に映る。けれどすぐに、それは優しい瞳に変わった。

「お前を一人にしておくのは不安だからね」

千鶴はよく笑うけど、同じくらいすぐ泣くから。

「ちっちゃい手…。こんな手で大丈夫なの?簡単に折れそう」
「薫の手が大きいの。私は普通」

クスクスと笑いながら薫が私の手を取って、そのまま引き寄せる。子供の頃じゃれ合ったみたいに、抱きついた。

「温かいね、昔っから」
「子供体温って言いたいんでしょ?」
「…ねぇ千鶴」
「なぁに?」
「俺は、またお前に会えて良かった。傍に、隣にいられて良かったよ」

不意にかけられた穏やかな声に、どうしてか少しだけ泣きそうになった。二人分の心臓の音が重なって、ひとつの音になっていく。

「ね、薫。だいすきよ」
「うん、知ってる」








こうして僕らまた一対に生まれたのはきっと、こんな風に君と穏やかに生き想いを交わす為なんだと僕は思うよ。




20090531