空は灰混じりに青く、太陽は白く。
手を伸ばしてももちろん届く筈なんかなくて、焦がれる想いばかりが燻りやがて消えて行く。
地面よりたかだか数十メートル高いだけのこの場所でこんな気持ちになるなんて、僕は存外空が好きなのかもしれない。

「やっぱりさ、無い物ねだりなんだろうね」

もし飛べる体があったならきっと、憧憬なんか抱かない。手が届かないから、こんなに恋しいと思うんだ。
上空に走る飛行機雲とそれに沿うように飛ぶ鳥を見送って、校舎へ繋がるドアの方へ振り向く。
今日は少しだけ風が強いから膝上のスカートがはためいて、寒そう。吐き出す息は薄く白く、指先と耳は赤く染まっていた。

「知ってる?鳥と雲を、生き物とそうでないものに分類する条件」

努めて明るい声色で問い掛けるけど、返って来たのは真意を量りかね戸惑ったような瞳だけ。
それがつまらなくて視線をずらすと、指や耳だけじゃなく膝まで赤くなっているのが見えた。それが可哀相で、可愛そう。
かしゃん。握り締めるように掴んでいたフェンスから手を離して、コンクリートを擦るような足取りで進む。
指先を伸ばして、風で乱れた僕よりずっと濃い色を持つ髪をそっと直してやった。

「あのね、呼吸をするかしてないか。栄養を取るか取らないかで、分けるんだって」

そのまま冷たい頬を撫でると、微かに千鶴ちゃんの息が僕の指先に触れる。
ああ、この子は生きてる。呼吸をして鼓動を重ねて、僕の目の前に立っている。

「ね、千鶴ちゃん。時々思うんだ」

このまま僕が呼吸を止めたら、雲になれるのかなぁ、なんて。
そう言った次の瞬間、僕の腕が強く強く掴まれる。まるで、抱き着くみたいに。

「冗談だよ?」
「…嘘」

やっと開いた唇から、温度を感じさせない二文字がこぼれ落ちる。
それ以上は千鶴ちゃんが何かに耐えるみたいに引き結んで、俯いてしまうから、何も引き出すことが出来ない。
肺まで吸い込んだ冷え切った空気が体を内側から凍らせていくような、彼女が触れている場所だけが溶けていくような感覚。

「ねえ千鶴ちゃん、どうして毎日ここに来るの?」

僕が少しでも死をにおわせる言葉を吐くと一生懸命に引き止める癖に、真実僕が欲しい言葉はちっともくれやしない。
じゃあ何故引き止めるのかと尋ねれば、ただ困ったような顔で言葉を喉に詰まらせる。
そうしてただ、僕にいなくなって欲しくない、とだけ、伝えて。

「君は僕にいなくならないで欲しいと言うけど、それは何で?僕が君の傍から消えずにいて、それから?君は気まぐれで僕を留めて、生かすの?」

かじかむ身体と指先と心、腹の内とは真反対の白い息。痛い、ねえ痛いよ。
この屋上で何回も何回も馬鹿げたやり取りを繰り返して、いつしかこの子はちゃっかりと僕の中に居場所を作ってしまった。
そんなこと、癪だから絶対に言ってやらないけど。

「たとえば僕じゃなくても君は止めてそうして甘い言葉だけ投げるの?一方的な無償の愛みたいな、すぐ冷める温かさなんて僕は、」

いらない。
無償の愛なんて気持ちが悪い。欲しがらないならそれは愛とは呼べないよ。

「良い子でいようとしないでよ」

そうしたらやっと、僕は君を愛せる。
もっと素直に、もっと優しく。

「…欲しがったら、くれますか」

寒くて寒くて堪らなかった、ずっと。
いつか少しずつ感覚を失いながら、ぴりぴりとした痛みを抱きながら、僕はこの子を待っていたのかもしれない。

「…上手にねだって見せてくれたら、いくらでも」

絡めた指先は霜焼けしたみたいに、じんじんと鈍く疼いて。
月の色をした瞳から流れた涙が今にも凍ってしまいそうで、それが嫌で伸ばしたカーディガンの袖でちょいちょいと拭う。

「赤ちゃんみたいだなぁ、」
「…っ、だって、」
「はいはい、なぁに」
「困るんです、あなたがいなきゃ、」
「うん、どうして?」
「…っきだ、から…」
「うん、」
「…っ…っふ、う…っ」

もうそれ以上は上手く言葉に変えられないようで、仕方がないから僕は千鶴ちゃんを子供にするみたいに横抱きにしてそのまま座り込んだ。
呆れたような言葉ばかり落とす一方で、しっかりと僕に抱き着く彼女の重みを心地良く感じてる僕がいる。たいして厚くもない制服越しに伝わるコンクリートの冷たささえも、今は嫌なものではなくて。
ぽんぽんと一定のリズムで頭を撫でてやりながら、もう一度、灰色じみた青空を見上げる。
さっきまで千切れていた白い雲が、風で流れて一つの塊に変わっていた。








( そこに君の涙を一粒落として混ぜ合わせたら、今度こそ僕は人になれる )




20100223

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