千鶴ちゃんは、可愛い。
僕の悪戯に怒って、ちょっと涙目になって、そうして呆れたみたいにくしゃっと笑う。くるくる変わるその表情が好きで、僕はいつまでだって眺めていたくなるんだ。
光が差せば影が出来る、そんな当たり前なんて存在しないみたいに君は笑うから。


「…あれ、千鶴ちゃん?」
「!沖田さん!こんにちは」
「はい、こんにちは。何してるの?」


カラリ、乾いた音を立てて白い扉が横に滑る。退屈な授業からの逃亡先、保健室。気怠そうな養護教諭の代わりに、君がいた。
長身な僕と比べなくとも小さな身体。その、足首が目を見張るくらい腫れてる。ちょっと、どういう転び方したの。


「…体育館で、用具を片付けていたら前のクラスの片付け方が雑だったのか…色々倒れて来ちゃったんです」

ふにゃ、と力が抜けたように彼女は笑う。そしてすぐに、痛みに顔をしかめた。

「日直か何かだったの?」
「え?違いますよ」
「用具の片付けなんて力仕事、クラスの男子に任せなよ」
「先生に頼まれちゃって…」


そんなもの適当に逃げちゃえば良かったのに、この子は呆れるくらい真面目だ。細い足首をひょいと持ち上げて、捻挫の範囲を確かめる。

「!大丈夫ですよ、一人で出来ます」
「駄目。大人しくしてて」
「テーピングなら慣れてますから」
「こういう時は素直に甘えてれば良いの。怪我人なんだから」


あ、納得してない。口には出さないけど顔に出てるよ千鶴ちゃん。不満げに膨れた頬を引っ張ってやった。

「!痛いです」
「良かったねぇ、生きてる証拠だよ」
「そうじゃ、なくて!」
「千鶴ちゃんのバーカ」
「なっ」


まだ不満そうな声を無視して、湿布を当てた。冷たさに揺れた肩を横目でとらえながら、包帯を巻いていく。

「…ありがとう、ございます」
「ん、良い子。ちょっと遅いけどね」


呆れるくらいのお人よし、努力家。頼まれたら嫌とは言えない、いや頼まれる前に自ら手を出す、そんな子。
怠惰であるよりは美しいけど、もう少し力を抜けば良いのにと思う。どこで息をついてるの、張り詰めた空気をどこで吐き出してるの。
今の僕らの曖昧な距離感のままじゃ、何も聞けない。


「…今日は部活に出ないで帰りなよ、マネージャーさん」
「!駄目です!やらなきゃいけないことが沢山あるんです」
「…はぁ?」


素人目から見たって、かなり酷い捻挫だ。それに今見えたけど、膝擦りむいてるじゃないか。

「もうすぐ会計会議もあるから予算案出さないとですし、大会だって近いじゃないですか」
「…あのねぇ」
「先生の所に行って、備品も受け取らなきゃいけないんです」
「千鶴ちゃん」


にこり。それはもう、音が出るんじゃないかと思うくらい、笑顔を向けた。必死に訴えていた言葉が、止まる。

「今日は駄目。全部キャンセル」
「………嫌、です」


この強情。滲みることは百も承知で、消毒液を思いっきりかけた。

「!!」

じわり。大きな瞳に、涙がにじんでいく。見たいのはこんな涙じゃない、したいのはこんな意地悪じゃない。ガーゼを当てる指先が震える。じりじりと焦躁が、灼け付いた。

「やらなきゃ、いけな、こと、たくさん、あるんです…っ」
「うん」
「なのに、っ」
「うん」
「ーーーっ!!」


涙腺が決壊したみたいに、君はぼろぼろと泣き始める。子供みたいにしゃくり上げるから、宥めるように背中を撫でた。

「肩に、力っ入れてないと…すぐに、緩んじゃう、のに、」
「千鶴ちゃん」
「寄り掛かって、荷物に、なりたくないのに」
「千鶴ちゃん」
「うっ、く…っ!!」


ぐずぐずとぶつけられる文句に紛れた、君の弱音。流すなんて出来なくて、身体を離して向き合った。

「何で…っ、沖田さんの、考えてること、分かりません、」
「千鶴ちゃん」


名前を呼ぶ。依然涙を溢れさせている瞳が、僕を映した。

「そうやって、もっと君を見せてよ」
「…っ?」
「だって僕はもうずっと前から、君に惹かれてる。情けない所だって結構晒して来たと思うんだけどな」


ぱちぱち、理解出来ないというように瞬きが繰り返される。だから、ね。

「君に自覚はなくても、僕はだいぶ前から君のものなの。そんなの、ずるいでしょ」
「沖田、さ」
「笑った顔も泣いた顔も全部見たい。弱音も我が儘も残さず全部聞いてあげる。ね、知ってる?」


頬を撫でて、髪を梳いて。そのままふわりと、抱きしめた。

「千鶴ちゃんは僕のもの」
「っ」
「一生懸命な君は好きだよ。だけど、もっと僕を見て。僕以外のことで悩んで、涙なんか流さないで」
「沖田さん、」
「僕のいない所で怪我しないで。…せめてさ、我慢なんかしないで甘えてよ」


ふるふると、恐々と伸ばされた手が僕の制服を掴む。ここまで言っても甘え下手な君、それすら可愛いと思ってしまう僕は相当重傷らしい。







20090912

指定:『千鶴ちゃんは僕のもの』
→現代

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