笑うあなたが好きでした。
悪戯めいた光を秘めた瞳も、穏やかに揺らめくその色も。気まぐれに向けられる優しさに、温かさにいつも、ほんの少し救われるような気持ちで。
おはよう、またね、ありがとう。交わす言葉の一つひとつ、小さく私の心を揺らしていた。その度生まれる甘い気持ち、じわじわと浮かぶ微かに苦い感情。時に自分のことだけで埋まってしまう私の心は、もう溢れてしまう寸前で。

『千鶴ちゃん』

あなたが呼ぶから、特別に響く私の名前。出会った頃からすごく自然にそう呼ばれて、慣れるまでいつも顔が赤くなって。私の心臓は、なかなか大人しくなってくれなかった。

『君って本当にちっちゃいよねぇ。人込みに行ったら、簡単にさらわれて行きそう』
『…確かに背はある方じゃないですが沖田さんと比べないで下さい』
『やだなぁ僕は褒めてるんだよ』
『どこがですか』
『全部僕の中に収まりそうなサイズが可愛いなぁ、って』

並んだ時の視界の高さ、戯れに重ねた手のひら。全てが彼のそれより遥かにちいさな私。
私はいつも彼を見上げて、彼は少し猫背になって。関節ひとつ分以上も違う指の長さ。それが少しずつ当たり前になっていくことが幸せで、そしてこわかった。




彼が、すきで。好きだからもう、隣にいることが辛く感じる時があった。
優しさと笑顔の向こう側、透明で分厚い壁があるように思えて仕方なく。超えたくて壊したくて、でもその先に彼の傍にいる自分が思い描けなかった。

「…これで、最後」

もうずっと前から、それこそこの季節がやって来るその前から。喜ぶ顔が見たくて考え悩んで見つけた品。
これで良い。元気で、笑って過ごす姿を時折見られるなら、それで。綺麗なだけじゃない重いこの感情になんか気付かせることなく、そっと私と彼の間に線を引こう。さよならなんて言えないけど、またねなんて笑うことも出来ないから。
朝。やっと冷房の電源が入った教室の、むせるような夏のにおいに包まれながら、私は自分の気持ちに蓋をする。
ことり、あんなに思い悩んだ時間に反比例するような軽い音がした。

「おはよう」
「…おはよう、ございます」

時間が経って、教室はにわかに騒がしくなる。そこからはいつも通り、窓際の彼の席とは対角線上にある廊下側の席で、変わらない時間を過ごす。
久々に交わす言葉、向き合った顔。やっぱり、やっぱり私はこのひとが好きだ。顔が、体が熱くて心臓が跳ねて、どうしようもなく泣きそうになる。

「千鶴ちゃん、」
「…体調が、悪いので保健室に行って来ます」

子供みたいな涙目で駆け込んだ私に、とりあえず横になっていて構わないからと告げて先生は行ってしまった。
白いシーツ、窓の方から体育の授業だろう笛の音と歓声が聞こえて来る。明るい太陽の光りが薄い布地を透き通って涙を照らす。不意に、ドアが開かれる音がした。

「…寝てるの?」

走って来たのか、わずかに荒い呼吸と声。どうして?授業、抜け出したんですか。涙がこぼれそうになって、肩を揺らさないよう必死になる。

「…放課後、話があるから。帰らないでね」

彼の気配が近付いて、そしてゆっくりと離れ去って行く。声を、息を殺して頭の中を反響する言葉を聞いていた。


「偉い偉い。やっぱりあの時、起きてたんだね」
「……………」
「千鶴ちゃん、」

夕暮れ時、教室には二人だけ。彼はいつもの自分の席、私はドアのすぐ近く。遠く運動部の声がする、冷房の切れた教室は蒸し暑かった。

「今日ね、僕の誕生日なんだ」
「…っ、」
「いろんな人が僕におめでとう、って言ってくれた。…でも僕は、誰より欲しい人からは貰ってない」

キュ。上履きがリノリウムを鳴らして彼が距離を詰める。手のひらには、小さな箱。

「…っ…」
「これをくれたのは、君でしょ?」
「…っ私、帰ります」
「駄目」

腕を引かれて、俯いていた視線が無理矢理に上がる。もう嫌、だって泣きそうなの。拒絶が、こわいの。

「沖田、さ」
「逃げるなよ!」
「!!」
「あんなに一緒に笑ってた癖に、君は僕から逃げようとする。勝手に僕の気持ちに蓋をして、距離を取る」
「だっ、て」

あなたを好きになる程に、辛くなるんです。どうしたら良いのか分からないんです、この熱も棘も全部。だってこれは汚いもの、あなたには見せてはならないものの筈で。

「勝手に自己解決するな」

沖田さんの瞳が、声が揺らいで、歪んでそのまま抱きしめられた。強く強く、夢に思い描いていたそれは、想像よりも遥かに生々しい。

「君は狡いよ。あれだけかき乱して、僕を変えた癖に離れていく。僕の、僕の気持ちなんかお構いなしで」

沖田さんの声が、滲む。泣いているんですか、あなたも?

「沖田、さん」

無理矢理閉じた蓋が弾ける―――涙が、出た。縋り付くみたいに背中に腕を回して、ごめんなさいと何度も繰り返した。
やがてそっと離れて向き合うと、彼は泣いてはいなかった。でも微かに、瞳は潤んでいて。

「ね、千鶴。好きだよ…大好き」
「わたし、も」
「うん」
「大好きなんです…っ」

両手で頬を包まれて、もう涙でぐしゃぐしゃな顔で訴える。彼が満足そうに、笑った。

「うん、知ってるよ」

言葉の後には甘いキスが。涙でかすむ視界の向こう、大好きな大好きな、あなたの笑顔がそこにあった。








20090816

指定:『勝手に自己解決するな』
→現代。沖田の誕生日に自分の気持ちを終わらそうとして名前も書かず、プレゼントだけ置いて行った千鶴を放課後呼び出す沖田

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