きみの母様はね、とっても強いひとだった。そりゃあ腕力や剣術なら、もちろん父様の方が上だけどね。母様は女で、父様は男だもの。
母様は人一倍優しいから、よく今の君みたいにぼろぼろ泣いていたよ。あんまり泣くから、いつか干からびちゃうんじゃないかなって本気で考えちゃったもの。
その癖なかなか甘えないし、頼って来ないんだよねぇ。ほんと、君は母様にそっくりだ。顔はまんま、ちっちゃい僕なのに不思議な感じ。
だから僕は、あの子を守ってあげなきゃ、って思ってた。一人を選んで泣いちゃうあの子をちゃんと見つけ出して、助けてあげなきゃって。
うん。僕は彼女を、弱いひとだって勘違いしてたんだよ。


正直に言うとね。君が彼女の腹に出来た時、僕は怖くて仕方なかった。
だけど、そんな風に怖じけづいた僕にあの子は笑ったんだ。散々泣いて、怯えきった後に僕を見つけた瞬間の、本当に幸せそうな顔で。

『総司さん。今の私達には、ここ以外に帰る場所はありません』
『……うん。』
『このまま生を終えれば、私達が生きた痕なんてどこにも残らないでしょう』
『…そうだね』
『それでも良いと思っていました。それもまた、一つの形なんだと』

まだ膨らみなんてない薄い腹を、そっと確かめるように撫でる小さな手のひら。何度だって、繋いで来たそれ。

『だけどこの子が、証になる。私と総司さんが、出会ったこと。共に生きたことの、証になるんです』

解っているだろうけれど、僕も母様も身体が丈夫な訳ではないからね。
―――諦めていたんだよ。この先へ、何かを繋いでいくということを。

『生きましょう、一緒に。』
『千鶴…』
『そうして、沢山の思い出を作りましょう。いつか互いのどちらかが、欠ける日が来ても』
『…っ…』

たとえばほんの少しでも、彼女が僕より長く生きられるのなら。僕の面影を残すものなんて手放して、幸せになって欲しいなんて考えてた。
そんな考えを一蹴するように、あの子は殊更綺麗に笑ってみせたんだよ。



本当に、ね。嫌になっちゃくらい、君の母様はよわくて、それから強いひとだった。


「だからね、拗ねてないでこっちにおいで」
「…拗ねてなんかない」
「はいはい、そんな仏頂面で返されたって何の説得力もないからね。」
「………」
「いま母様は君のきょうだいを産む為に一生懸命なのに、君はそうやって部屋の隅っこで小さくなってるの?」
「……っ…、だって、っ」

ようやく素直に、もとい自分の感情に正直になった体が弾かれたように腕の中へ飛び込んで来る。
かたかたと震える背中を撫でてやれば、じんわりと胸元が濡れた。

「僕だって怖いさ。だけど母様が…あの子が選んだんなら、僕は支えてあげなきゃ」
「……っでも、っ」
「今生まれようとしている命は、必ず君の支えになるよ。生まれるということ、生きるということ。その全部の大切さを、精一杯に教えてくれるから」

今胸に縋るこの子を初めて抱いた瞬間に、込み上げたもの。それはあまりに膨大で壮大で、とても言葉でなんか言い表せなかった。

「君は、一人じゃなくなるんだ」

いつか僕が―――僕ら二人が、いなくなったとしても。
そんな一言を飲み込んで、それからゆっくりと抱きしめた。

「…大丈夫。」

大丈夫、きっと赤ん坊は無事に生まれて来るよ。そうして君と同じように、健やかに生きるだろう。
瞬間、響き渡った盛大な泣き声に弾かれたように顔が上がる。

「…ほら、行っておいで」

涙で濡れた目元をごしごしとこすり、駆け出して行く小さな背。それを見つめながら、低く息を吐いた。



夜半。深くふかく眠る千鶴、その傍らには二人の息子。川の字には一本多いなぁ、なんて考えながら布団を引っ張りくっつけて、子供達を包むように寄り添った。
小さく息をする赤ん坊はまだくしゃくしゃの顔で、だけど耳の形が千鶴にそっくりだから頬が緩む。
ああ、可愛いなぁ。

「……、…」
「…ちづる?」

疲れきっているのだから、目なんて覚まさないと思っていたのに。

「…そうじ、さん」

夢うつつ、そんな月色とこえが空気ににじむように溶けていく。そっと腕を伸ばして頬をつかまえれば、嬉しそうに笑む唇。

「…お疲れさま、千鶴。」
「総司さんも、お疲れさまです…」

たった数刻前に二人の母となった筈なのに、懐かしさすら感じるあどけない笑い方。
まるで初めて出会った頃のようだ、なんて。

「まさかあの頃は、君と誰かの親になるなんて思わなかったなぁ」
「……?」
「んーん、こっちの話。」
「……もう思い残したことはない、ですか?」

ゆるやかな笑みを崩さぬまま、千鶴が問う。僕は一瞬だけ目を見開いて、それから。

「…そうだね。でもまだ、やり残したことがある。君だって同じことを考えてるでしょう?」
「………、……はい。」

一呼吸おいた後、静かに月色が涙をこぼす。手のひらでそれを受け止めてやりながら、言葉を続けた。

「……ねぇ、千鶴。生きることがいかに大切か、それはきっと皆が教えてくれる」

一度閉じた場所をもう一度開いて、繋いで。僕らの周りにはまた、小さな『世界』が出来ていた。

「でも死については誰も、教えようとはしないだろうから」
「………はい」
「だから僕が…僕らが、この子達に教えよう」

それが僕たちの、彼らに残してやれること。

「もちろん、まだ時間はある。だけどそう長くはないだろうから」

生きたい。もっと、もっと生きたい。
沖田総司として生きていたい。
千鶴の恋人として夫として家族として、この子らの父親として生き続けたい。巡る景色を、季節を共に見つめていたい。けど、いつかは。

「生きよう、一緒に。…分かつ日の、僕らのさいごの瞬間まで」
「……っ、」
「君は言ったでしょ?忘れたくなんかないって。それが悲しみや痛みしかもたらさないとしても、それでも。刻んで、覚えておきたいって」
「…、はい。」
「今なら、僕もそう思うよ。それから、忘れられたくもない。僕が生きたこと、僕と君が出会ったこと。その証を残したいし、めいっぱい抱きしめてあげたい」

本当は、今もこわいことばかりだ。
こんな温かさも優しさも穏やかさも、どうしたら良いのか解らない。壊してしまいそうで、すり抜けてしまいそうで。
だけどそっと触れればそれは、確かな温度で応えてくれた。

「ねぇ、返事は?…千鶴ちゃん。」
「……喜んで、総司さん。」








さあ、いきましょう。

20111126+

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