こんびに。


 毎朝、早起きして、歩いて5分。
 バイト先のコンビニへ向かう。

 携帯のアラームが鳴る前に起きられる様になったのは、俺の今までの人生中、快挙に値するだろう。
 起きてすぐ、窓を開ける。
 まだ世界が眠っている、あるいは眠りに落ちたばかりの、新鮮な手つかずの空気が気持ち良いから。
 それからすぐに、台所と言って良いかわからない、粗末な1口電磁調理器のあるスペースに立ち、ケトルに水を入れて湯を沸かす。
 湧かしている間に、かろうじて引っ付いてるオマケみたいな、風呂トイレ兼用のユニットバスで用を足して、顔と歯を適当に洗って、髭を剃って。
 鏡の中の、ビフォーアフターまるで変わらない、ぼけっとした顔は見ても決して快いどころか、面白くも何ともないからあんまり見ない。
 湯も沸かしてる途中だし。
 一応過敏な肌なもんで、気持ちだけのアフターローションをざっとつけた、その頃合いで丁度良く湯が沸く。

 1日の内で1番幸せな時間の始まりだ。

 しがない貧乏学生の分際ながらも、1ヵ月悩みに悩み、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入した、NYの何やら著名な美術館に展示がされてるらしい、ドリッパーにネルを敷く。
 週2で通ってる路地裏の喫茶店で、いかにも頑固な職人風の無口オヤジが焙煎して挽いてくれるコーヒー粉を入れ、沸かした後、ほんの少しだけ冷ました湯を慎重にゆっくり、ゆっくり…
 湯の侵入を受けて、じわじわと静かに泡立つコーヒー。
 薫りが立った、次の瞬間には、湯を注ぐペースに合わせてドリップが始まる。

 入れたてのコーヒーの薫りを味わうこの瞬間程、幸せな事はない。
 
 このお金も時間も掛かったコーヒーに失礼があってはならないと、気紛れで入って見つけた、名のない作陶展に無造作に置かれてあった、マーマレードみたいな明るい色合いのカップへ注いだら、朝食の完成。
 朝はこのコーヒー以外、何も胃に入らないから。
 窓辺に立って、まだ覚醒していない外界を見るともなしに視野に入れながら、ぼんやりと飲む。
 あの新聞配達、昨日より3分も遅いじゃんとか、想いながら。

 コーヒーを飲んで、カップとドリッパーを丁寧に洗ってから、洗濯できてる分類の小山から服を出して引っ掛ける。
 バイトが終わったらすぐに学校だ、だから、その日入れてる講義の量によって荷物の重さは変わる。
 荷物を斜め掛けの帆布鞄に入れて、ちょっと気合い入れて殴ればすぐに穴が空きそうな、薄っぺらい扉から出て鍵を掛ける。
 鉄筋の愛想もクソもない2階建てのアパートの、無機質な階段をたんたんっと降りて。
 早朝シフトを選んだのは、誰にも会わないから。
 アパートの住人にも道行く近所の人にも、誰にも会いたくないし、誰とも顔見知りになりたくなんかない。
 面倒くさいの、イヤなんだ。

 可もなく、不可もない、1日のはじまりはじまり。

 過去も現在も未来も見えない。
 ただ俺は毎日、美味いコーヒーを1杯、飲めれば良い。
 何も持ってない、何も持ちたくない俺の、唯一の執着。
 


 「いらっしゃいませぇー」

 コンビニでのバイトは好きだ。
 「敢えて何もしなくて良い」から。
 良くも悪くも目立たず、淡々と業務をこなせば良い。
 無駄にやる気のあるヤツは、お客が求める以上にスマイル連発したりして、店長に認められ、通常業務以上に任されたりして、バイトなのになんか大変そうな感じだけど、それも楽しい!とか言っちゃってる。
 俺にはわからない心理だ。
 なんでも適当でいーじゃん?

 どうせ、誰も、俺の人生に残りはしない。

 全員、お互いに、ほんの一瞬のすれ違いに過ぎない。

 だから、大事になんかしない。

 無駄は嫌い。

 その場だけの事なんだから、力なんか入れない。

 けど、じゃあ、どこで本気出すのか。
 何に対してなら、真剣に向かうのか。
 表面だけの人間関係ばっかり、当たり障りのない関わりばっかりで日々を構築して、これから先、一体どうするのか。
 胸の奥で責め立てる、自分の正義には、まだ耳を貸さない。
 いいよな、もう少し…
 もう少し、のんびりしてたい。
 朝、美味いコーヒーが飲みたいだけなんだ。
 学生って、そんなユルい感じで、良いだろ?

 どうせ「社会人」になったら、いろいろな事に追われるんだから…

 「ありがとうございました〜…いらっしゃいませぇ」
 早朝でも、それなりにお客は来る。
 24時間営業の面目躍如、ってヤツ?
 まあ、明らかカタギじゃない気配のオトナ、ってヤツが多いけれども。
 後は、朝帰りのワカモノ達とか。
 黙々とレジをこなしながら、何気なく顔を上げて。

 (来た…)

 苦手な常連客を今日も見つけた。
 俺と同じぐらいか、年上か年下か…
 何せ、学生っぽい男。
 けど、いっつも、この早朝の時間帯にやって来るヤツ。
 清潔感漂う長身、長めなのに清潔感漂う髪、今風なのに清潔感漂うカジュアルでラフな格好。

 極めつけは、清潔感漂う、笑顔。

 地顔が笑い顔なんだろうか。
 別に本人的にはちっとも笑ってないつもりなのかも知れないけど。
 人好きのする人懐っこい瞳は、いつも柔らかく細まっているし、男らしく厚みのある唇の口角は、両方とも常にきっちり上がってる。
 きっと、人気者タイプ。
 男にも女にもモテるだろう。
 何せ、たかがコンビニバイトの俺に対して、買い物した後には必ずにっこにこしながら、「ありがとー」。
 このかしこまってないユルい口調に、誰もが騙されたりするんだろう。

 老若男女に分け隔てなく優しいのも確認済みだ。
 自分より後からレジに並んだ急いでる雰囲気の人には、必ず先を譲るし、ドアを開けて出入りする時も、近くに人が居れば必ず道を譲る。
 正直、苦手だ。
 デキ過ぎた、同い年ぐらいの男。
 苦手だ。
 何が楽しくてそんなにニコニコしてられるんだ…?
 ただのすれ違いに過ぎない人間に、どうしていちいち親切に気遣ったりできる?
 何を考えて、そうしている?

 その笑顔を見る度に、むしゃくしゃした。 
 ヤツの存在が、ストレスだった。
 美味いコーヒーも台無しになる程に。
 

 ヤツは常連だが、来ない日もある。
 そんな日は心穏やかにバイト時間を過ごせる。
 今日もシフトに入ってる間、ヤツの姿を見る事なく終わった。
 ツイてると想いながら帰り支度の途中、出席必須の講義で使う資料をアパートに忘れて来たことに気づいた。
 まずい…よりにもよって厳格で有名な教授だ。
 こんな時にアパートが近いと便利なんだよな…
 ついでに学校も徒歩10分圏内。
 走って取りに帰れば、十分間に合う。
 裏口からダッシュでアパートへ戻った。
 息を切らしながら、今朝下りたばかりの階段を上がろうと、上を見上げて。

 「…?!」

 止まった。

 次の瞬間には、本能と言うか反射神経と言うか、階段下のお粗末な郵便受けの影へ隠れていた。

 気の所為だと良い…
 幾らか経ってから、気を取り直してもう1度階段を見上げた。

 
 やはり、居る。


 同時に、聞こえて来る声。

 「あー、ベッドはもうちょっと端に置いてもらえませんか〜?」

 何でだ。
 何で、ヤツが。
 コンビニ常連客のヤツが。
 今日は来ないと想ってたら。
 俺のささやかな楽園、ショボいアパートに。
 
 長らく空室だった、だからこそ快適に過ごせてた、俺の部屋の隣で朝っぱらから引っ越し作業を繰り広げてるんだ…?!


 結局、ヤツの引っ越し作業が終わるまで、俺はその場を1歩も動けなかった。
 いかにも単身者向け用の引っ越しトラックが去ってから。
 腕時計を見て、世界の終わりの如きため息。
 講義には間に合わない。
 行っても入らせて貰えない。
 単位、真剣にヤバい。


 ヤツが引っ越しの挨拶しに来ても、細心の注意を払った上でヤツとすれ違う様な事があったとしても、決して挨拶1つ交わさないばかりか視線すら合わさない事を、俺は心から誓ったのであった。



 2009-11-15 23:32筆



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