届かない、届けない(3)


 展開は、バカみたいに早かった。

 バイトから帰宅後、急に入った、アイツからのメール。
 『久しぶり。会いたい。』
 そのメールの直後、突然ノックされた薄っぺらい扉。
 何の少女マンガだよ?ってツッコミたいぐらいだった、扉の向こうには酒臭く赤い顔をしたアイツ。
 少し痩せた、それなのに相変わらず男前のアイツ。
 ただ驚くしかない俺に、聞いてほしい、カノジョと別れるかもと、泣きそうに顔を歪めた情けないアイツ。
 何が何だかわからなくて、玄関先でうずくまったアイツを、どうにか部屋に引っ張り上げて水を飲ませた。
 少し落ち着きを取り戻したアイツは、酔って回らない舌を駆使して、とんでもない大ゲンカをしてしまったのだと言った。

 ほんとうに辛そうな、絶望と後悔に苛まれているアイツを。
 俺に、「頭がまっ白んなった時、お前の顔しか浮かばなくて…気づいたら、電車乗ってた」と縋って来るアイツを。
 見て居られなくて。
 辛くて。
 辛くて。
 辛くて。
 今頃、しあわせに笑っているのだろうと、勝手に信じて忘れようとしていた、アイツがどうして。
 
 気がつけば、口が自動的に言葉を刻んでいた。

 「今夜だけでも、忘れちゃえば?」
 「俺を利用していいよ」
 「好きな様にすればいい」
 「男同士でも…寧ろ、女とスルよりイイって言うし」
 「俺、お前のそんな姿、見てらんないし…」

 どうせ、酒で酔っている。
 あまりの哀しみの中、こんなにも我を忘れているじゃないか。
 精一杯、気の毒だと想っている、心から同情している、別の進路を選んでからも1番の良い友人だと想っている、そんな姿を装って。
 誘った。
 人恋しさで気が狂いそうになっている人間に、我が身を差し出して見せた。
 痛切な孤独を忘れる為に、一時の快楽に溺れてしまえと、悪魔の囁きで誘惑した。
 正気じゃない人間に、卑怯以外の何者でもない方法で迫った。

 1度で、いいから。
 アイツに、恋愛的な意味合いで、触れてみたい、触れられてみたいと。
 一瞬でも、手を繋げたら。
 抱きしめられたら。
 愛おしそうに名前を囁かれたら。
 その身に触れられたら、その瞳の中に存在できたら、どれだけ幸福なのかと。
 身体を繋げでもしたら、きっと、幸福感の中でこの命は果てるに違いない。
 一生叶わない夢を、描いていた時があった。
 
 それは、こんな形じゃない。
 もっとまともな、淡い憧憬だった筈だ。
 叶わないと知っていたから、より一層、この夢の純粋さに焦がれた。
 こんな形じゃない。
 何の愛でもない、互いの孤独を引っ掻いて血を滴らせる、後味の悪い記憶しか残さない、なんて浅はかな欲望の交換なのか。
 1度だけでいいから、と。
 願っていた俺は、どれだけ安全で平和な場所に居たのか。
 誰かの代わりに抱かれながら、体内で彼を感じることに、言い知れない絶望を知った。

 バカみたいに早い展開の後、そのまま酔い潰れればいいものを、アイツは覚醒してしまった。
 青ざめたアイツは、ひたすら謝罪の言葉をくり返し続けて、俺を更に深く傷付けた。
 俺もどうかしてたんだ、飲み会の帰りで酔っててさと、作り笑顔で話を合わせて。
 こんなことは何でもないんだと、大したことじゃないと、アイツにも俺にも言い聞かせる。
 惨めな真相を知りながら、アイツも俺をも騙し続ける。
 忘れようぜと、へらへらした提案までする。
 一夜の過ちじゃないか、って。

 ただし、世の中に数少ない「絶対」に起こってはならなかった、過ち。
 
 最後の最後まで謝り続けるアイツを、始発が動き始めたと、無理矢理部屋から追い出した。
 アイツの携帯が鳴っているのが、微かに聞こえたから。
 案の定、部屋から出てすぐアイツは携帯に気づき、画面を凝視した後、ほっとした顔になっていた。
 カノジョから、だろう。
 仲直りのメールでも来たのだろうか。
 躊躇いながらも、ゆっくりと、歩き始める背中。
 ついさっきまで、俺がしがみついていた、俺より広い背中。
 
 俺よりおおきな手。
 俺より高い体温。
 俺より熱い吐息。
 俺と同じぐらい、早かった鼓動。 
 確かに俺だけのものだった、あの瞬間のアイツ。
 アイツの背中が、どんどん、遠ざかって行く。
 
 もう、きっと、2度と会わない………
 いや、2度と、会えない。

 角を曲がって、アイツが見えなくなった途端、喉がひくっと震えた。
 震えた、と想ったら、ぼろぼろと涙が溢れ、安っぽいアパートの窓枠にしがみつく様に縋った。
 海の味が、身体中にツンと広がる。
 喉の奥が、熱くて。
 身体中が、新しく知った、生まれたままの姿のアイツを記憶していて。
 痛い。
 心臓が、痛い。
 もう取り返しがつかない、どうしようもなくて、泣くことしかできない。

 けれど、同じことが起きたら。
 また過去に戻れたなら、それでも俺は、同じ過ちを愚かしく繰り返すんだろう。
 アイツに抱かれたい、抱いてほしいと、醜く誘惑してみせるんだろう。
 その腕の中に、一瞬でもいいから飛び込みたいと想うんだ。
 邪悪でも、地獄に堕ちたって何だっていいから。 

 明け方、昇り始めた太陽の弱い光に包まれながら、正常な世界へ戻って行った後ろ姿を、俺は見えなくなってもずっと追い続けていた。




 2011-03-29 22:13筆



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