いつからだった?
 その窓の存在に気づいて。
 その窓の向こうに居る存在に気づいたのは。


 毎日毎日、同じ事の繰り返し…
 程々な会社で、程々の成果を適当に出して、程々の位置に居て、なるべく害のない立ち位置に回って、浅くも深くもない程々の人間関係を築いて。
 いつからこんな風に、力を抜いて行く事、程々に楽をして行くやり方、身に着けたんだっけ…?
 毒にも薬にもならない、平凡な日々。
 頑張ったらろくでもない、四方八方から様々な責任を押し付けられて、自分の負担になるだけだって。
 わかってるから、面倒臭くて、この位置に居る事を選んだ自分。
 波風のない日々を選んだ、それは平和な人生。

 けれど、何事にもやりがいはない。

 生きて居る実感はない。
 毎日の繰り返しの中で、感性がゆっくり死んで行くのがわかる。
 わかっているのに、けれど、変わらない。
 変えようとすら想わないのだ。
 これで良いんだ、面倒はごめんだと、ここから動かない。
 何事にも感動しない、情熱もない、希望もない。
 何もない、俺の人生。
 淡々と流れて行く、均一化された日々。

 疑問すら浮かばない。

 1日1週間1月1年、同じ事を繰り返し続ける。
 ただ、疲れる。
 
 そんな日々の中、いつからだっただろう?

 通勤中の電車の中、ラッシュアワーではないけれど、座る事はできない程度に混んでいて、いつも通り無心でぼーっと、流れる景色を扉付近で眺めていたら。
 ふと、見つけた。
 とある駅の近くを通過中、何の変哲もない白いビルの1角、大きな窓が開いていて、その向こうに人が居るのを。
 何て事のない光景だ、大した事ではない、窓が開いているのがこんな離れた場所からでも見えるのかと一瞬意識して、すぐに忘れた。
 すっかり忘れていた翌日、いつもの電車、いつもの定位置に立ち、見るともなく見ていた車窓の景色、また同じ窓が開いているのを見つけた。
 そう言えば昨日も開いていたと、同じ窓だろうかと、そう想った程度でその日も終わった。

 その翌日、そのまた翌日…週明けの日……

 いつしか俺は、自然にその窓を見るのが日課になった。

 そして、窓の向こうに居るのは、いつも同じ人間、若い男らしい事を認識する様になった。

 男は特に何をしているワケでもない。
 いつも窓を大きく開けて、ぼうっと外を眺めている様に見えた。
 或いは、電車を眺めるのが好きで、日課なのかも知れない…
 そうして、その窓とその窓の向こうに居る男を、通勤する度に視界に収めるのが、俺の習慣になった。
 別にどんな感情もない、ただ何故か目に入るから、何となく意識する様になっただけだ。

 男はいつも、ぼうっとしている様に見えた。
 いつも同じ様なTシャツを身に着けていた。
 遠目からでもわかる、茶色の頭はきっと染めたか脱色したか…
 高校生か大学生ぐらいだろうか?
 イマドキ、ってヤツだろう。
 俺にも在った、遠い昔の話。
 無気力で、何もかも知った様な大きな口を叩く、守られている事に気づかない無知…
 如何に己が無知で在ったか、男が知るのも多分時間の問題だろう。
 今の内にせいぜい自由に適当に、若さを楽しめば良い…

 直に世界を知って、また違う絶望を味わうのだから。

 その窓の存在を知ってからも、季節は暦通りに進行した。

 春が終わり、夏が来て、秋が来て、冬が来て…
 その間に、男が姿を見せない日はなかった。
 週末はどうしているんだろうか、やはり同じ時間に同じ様に窓を開けているのか。
 
 冬が終わる頃、変化が起こった。

 男の姿が窓から消えた。
 何かの事情があるんだろう。
 引っ越したのか、習慣を取り止めたのか、生活シフトが変わったのか…
 何日も姿を見ない内に、俺はすっかり諦めて、その窓を視線で追うのは止めた。
 窓を視野に入れない事、それ以外は前と何ら変わらない日々の繰り返しで、俺は相変わらず日々に埋没して行った。


 窓の事を忘れかけた、春。

 とある駅で停車し、同じ車両に乗り込んで来た他の乗客の存在を、ぼんやり視界の片隅で把握しながらも、俺はやはり無心で…

 「あ。」

 あ…?
 近くで発せられた声に、何気なく視線を上げたら。
 「…?」
 すぐ目の前に、恐ろしい位に容貌の整ったキレーな若い男が、これまた恐ろしい位に高身長の位置で、目を見張って呆然としているのを発見した。
 何だ…?
 まさにイマドキってヤツだろうか、殆ど金髪に近い色の頭に、両耳にはピアスがじゃらじゃら、気怠そうにルーズな服装、けれどそれらが恐ろしい美貌の所為かしっくり合っていて、彼の存在を際立たせている。
 「こんなの」に絡まれたら厄介そうだ…
 自然を装って何気なく視線を外した。

 その俺の肩を在ろう事か、馴れ馴れしく掴んで来たと想ったら。


 「おっさん…!あんただろ〜いっつも人んチ、ガン見して来てた冴えないリーマン…!!すっげ…すぐわかった…!!」


 何だこのガキ…
 デカイ声でわーわーと、ワケのわからん文法でまくしたてやがって何なんだ…!
 いつも世界の空気と化している俺が、余計な注目を浴びて居るじゃないか…
 しかもその視線には「如何にも不良っぽいのに絡まれたオッサン」という憐れみが、強く込められているのを感じる…!
 冗談じゃない…!!
 「人違いじゃないかな…?君とは初対面、」
 「あったりまえじゃん、んなの!電車とウチの距離じゃ顔合わせるぐれぇで、しかも一瞬のすれ違いだし?こーやって近くで話すのは超初めてに決まってんじゃん。あんた、寝起き?」
 何だこのガキ…!
 余計な事をべらべらと…!!


 「ふーん…あんただったんだ〜…どんなヤツかと想ってたら、案外フツーなのな。フツーにくたびれてる、フツーのおっさんって感じ…フツーに波風立たない人生選んで、フツー以外は全部諦めてる、みてぇな…?」


 呼吸が、止まった。
 
 彼の目が真っ直ぐと、深い色でこっちを見つめて来たから。

 言葉の内容とは裏腹に、その瞳には、人を見下す表情は欠片も存在していなくて。

 在るのはただ、酷薄な程に澄んだ眼差し……

 
 呆然とその瞳を見ていたら。
 不意に柔らかく細まり、にっこりと。
 無防備な程に明るく笑った。
 「あ、俺ねー、ミキってーの。この春からこの路線の大学にめでたくご入学なワケ。おっさん、きっと毎朝おんなじ電車だからさーよろしくな!人んチ覗いてたよしみで仲良くしよ」
 大学生…?
 この春から…?
 ワケがわからないままの俺の両手を、「ミキ」はこれまた馴れ馴れしく掴み、子供のクセに随分大きな手で、勝手に握手して来てぶんぶんと振った。


 窓から始まった、俺の日々が変化を見せようとしていた。



 2009-11-01 23:58筆


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