参,はじっ、はじめ、まして?


 桜の木が唯一頼れる防護壁みたいに、寄りかかりながら、ごくりと唾を呑んだ。
 ヤバい。
 絶対の絶対に、この学園、ヤバいって。
 理事長と名乗った狐狸さんも、めっちゃくちゃ良い人だし、人間に見えたのに、「あやかし」関係者間違いないって!!
 どういう成り立ちで、どういう仕組みかわかんねーけど。
 ここは、この山の上では、「あやかし」が平然と学生生活を謳歌してる。
 人間もいるけど、まったく気づいてない。
 
 『ガっハっハ!狐ヶ森は昔からあやかしと共生してるからのぉ!』

 見たくなけりゃあ、眼鏡をかけな。
 ばあちゃんの声が、耳の奥に甦って、はっとなる。
 ガキの頃から、よくばあちゃんちに遊びに来てた。
 よく覚えてないけど、川で遊んでたら「あやかし」にからかわれ、泣いて帰って来た俺を、ばあちゃんはいつも通りケロっと笑い飛ばして。
 見たくなけりゃあ、眼鏡をかけな。
 幸音も「あやかし」が見えるんなぁ。
 大丈夫、あの子ら悪いヤツじゃない。

 イタズラ好きだけど、人間が好きで、仲良くなりたいから仕掛けてくるんよ。
 好きな子イジめる、ガキ大将と一緒さなぁ。
 大丈夫、幸音にはお狐様の加護が付いとるから。
 今頃、悪さした連中は、お狐様に雷さ落とされとろうよ。
 あやかしもなーんも人と変わらん、同じ生きてるもんには変わらんけぇねぇ。
 見たくなけりゃあ、見んでいい。
 幸音の自由じゃぁ。
 
 ただ、恐れるな。
 なーんも怖くない。
 いざという時は、「ちゃんと見る」だけ。
 心の目を曇らせちゃあいけんのよ。
 もっといざという時は、鈴に願いんしゃい。
 困った時は、お狐様にお願いしなぁ。
 どこにいても、いつでも、このババもお狐様もお前の味方だけぇ。

 シワシワで、陽に灼けたちっちゃい手に、頭をワシワシ撫でられた様な気がして、想わず顔を上げる。
 桜色の空。
 今日は、快晴だ。
 頬に触れる風が気持ちいい。
 ばあちゃん、鈴は、あの鈴はもうないけど…
 夢か幻か、ガキの頃のおぼろげな記憶には頼らない。
 そう、あんなの夢に決まってるし。

 すうっと深呼吸して、眼鏡をしっかり掛け直す。
 「あやかし」の巣窟だろうがなんだろうが、前に進むしかない。
 どうせここから逃げたって、行く所なんてどこにもないんだ。
 『怖い時は、ひとーつひとつ、状況を確認しぃ』
 うん、ばあちゃん、大丈夫だ。
 こんなに天気よくて、青空の下、桜は誇らし気に咲き誇ってる。
 眼鏡かけても見える「あやかし」達だって、「ちゃんと見れば」不穏な気配なんてどこにもない。

 街で時々見かける「あやかし」とは、雰囲気がまるで違う。
 ここにいる連中は皆、人も「あやかし」も穏やかで楽しそうだ。
 今日の入学式を楽しみにしてたって顔で、いそいそと校舎に向かって歩いてる。
 それに狐狸さんも、何ひとつ嫌な感じはしなかった。
 本当に親切で、全寮制の学園なのに特例として、ばあちゃんの家から通っても良いって計らってくれたし。
 何かあったらすぐ、連絡するようにってプライベートなスマホのアドレスと、秘書さんの連絡先まで教えてくれた。

 大丈夫だ。
 大丈夫じゃなくなったら、「あやかし」すら撒いて逃げれるこの脚力と反射神経と知性を活かして、全力で逃げるのみ!!
 意を決して、桜の木から離れる。
 風が、そよりと吹いた。
 背中を押されたようで、息を吐く。
 ばあちゃんから貰った、この眼鏡さえあれば、ほーら見てみろ、フツーの人間しかいない、人間しかいないったらいない。
 
 息巻いてひたすら前しか見てなかった俺は、だから気づいてなかった。
 周りの生徒がなんでか、きゃーとかわーとか歓声を上げて、ザワつき始めていたこと。
 強い風が、桜の花びらを舞い上がらせていたこと。
 後ろから近付いていたことを。
 ふいに、背筋が寒くなった。
 その時には、遅かった。
 花びらが雪のように、ふわふわと舞っていた。
 気づいていたら、ちゃんと避けてたっつか逃げ出してたかも知れない。

 すげー風って目を細めた瞬間、トンっと、誰かと肩が触れる。
 すみませんと、咄嗟に謝りかけて、目を見張る。
 眼鏡が、意味を為さない。
 それ程に強烈な、「あやかし」の妖気に、息を呑む。
 鋭い瞳に睨まれる。
 不快そうな、冷たい表情なのに。
 嫌が応にも、惹きつけられる。
 一瞬、瞳が光った様に見えた。


 「気を付けろ、新入生」
 

 言葉なんか、かけらも出てこなかった。
 去って行く、凛とした長身の姿を、呆然と見送る。
 白銀に輝く立派な尾は、どう見てもひとつじゃなかった。
 九尾、だ。
 しかも、白い、九尾だ。
 ………チリーーーン………
 どこかで涼やかな鈴の音が聞こえる。
 想わず腹を押さえながら、今はもう普通の人間の姿に見える、後ろ姿を見つめ続けていた。



 2016.5.1(sun)22:52筆


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