閉幕
丘の上に、そのちいさな食堂はあった。
街を見晴るかす、広い空の下、いつか過ごした子供時代とよく似ている、自然豊かな場所。
郊外であるのに、お客が途切れた試しがない。
地元に住まう人々はもちろんのこと、なにやら立派なスーツを着たビジネスマン達や、やたらに目立つ風変わりな容姿の人々まで。
老若男女問わず、開店以来、ずっと愛されている店だ。
いつもいい匂いが、辺りには漂っていた。
ちいさな煙突から立ちのぼる湯気は、いつも優しかった。
気取ったところのない、誰にでも開かれた食堂は、1歩足を踏み入れると「ただいま」と言いたくなる親しみやすさに満ちていた。
その一方、一流店のように隅から隅までピカピカに磨かれた店内に、心地良さと程良い緊張感をもたらされる。
緊張とリラックスが両立した食堂では、季節の食材をふんだんに使った料理が、朝から夕方まで楽しめた。
お客の要望に合わせて、調理方法や味つけ、食材は柔軟に変化した。
できる限り親身に耳を傾けられた、それぞれの食べたい一皿が運ばれてくる。
ぱりっと糊の効いたまっ白なテーブルクロスのかかったテーブルにつけば、どんなにお腹が空いていなくても、どんなに元気がなくても心が浮き立った。
料理を一口、それで人々の表情は変わった。
目を細める、喜びの唸りを上げる、頬を押さえる、驚愕する、かぶりを振る、ただ固まる、表現はそれぞれだったが、次の瞬間は皆同じだった。
口角が上がる。
自然と頬が緩む。
笑顔で、食事を進める。
ガツガツと、あるいはゆっくりと、それぞれのペースを取り戻して、温かい料理を、今自分に必要だったものを心と身体に運び続ける。
笑いながら、涙を落とすものもいた。
欲していた栄養の温かさに、誰もが心を震わせ、ほっとため息を吐いた。
ここに余計なBGMはない。
オープンキッチンから聞こえる、小気味の良い調理の音と、連れ立ってやって来たお客達の「おいしいね」の囁き、気持ちの良い挨拶の声、そして窓から聞こえる風のそよぎと小鳥のさえずりが何よりの音楽だった。
元気だった者は、ますます元気になって店を後にする。
元気のなかった者は、再び歩き出せる力を得て店から出る。
また来よう。
ここでおいしいものを食べて、また頑張ろう。
今度は何を食べようかな。
次の季節には、どんな料理が出てくるんだろう。
客足が絶えないのは、味や雰囲気もさることながら、それだけが理由ではなかった。
「「いらっしゃいませー!」」
ちいさく軽快に鳴るドアベルより先に、先ず向けられる笑顔に、また会いたくて。
「お久しぶりですー!いつもありがとうございます」
「お!久しぶりーらっしゃい!何にする?」
気の置けない親しい会話に、抱えていた疲れも憂鬱も吹き飛ぶ。
「『お母さんの弁当』、まだ良いかな」
「毎度っ!弁当シフト入りまーす」
「はーい!今日はピチピチのウィンクたこ、仕入れてますよー」
常連用の裏メニューまで充実し、表メニューしか知らないお客達は興味深そうにひっそりと見守る。
「あら、可愛らしいこと。お弁当なのね」
「昔懐かしい弁当だなー美味そうだ」
「本当にピチピチしたウィンナーだな」
「今度はあれが食べたいな!」
今日も、丘の上の食堂には明るい笑顔が絶えない。
どこからか運ばれてきた桜の花びらが、オーナー2人のちいさな店を祝福するように、くるりと舞った。
2014.11.9(sun)0:35筆 ***みんな主人公!終***
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