122.この音が聞こえるか


 十八さんはゆったりと、デスクに着いておられた。
 お仕事の合間だったのだろう、整然としたデスクにはたくさんの書類が山と積み上げられており、お忙しそうなご様子が窺えた。
 直に新年度が始まるもの、大変なんだろうな。
 柾先輩と俺は扉の前で一礼し、デスクの3歩前まで歩み寄った。
 「お久し振りです、理事長。今日はお忙しい中、お時間取っていただき有り難うございます」
 よく通る声でご挨拶なさった先輩に、十八さんは緩くかぶりを振られた。
 「とんでもない。こちらこそだよ、柾君、前君。話はそちらで。今、お茶を用意して貰っている所だから」

 促されて、応接セットのソファーへ向かう。
 「お茶を用意して貰っている」?
 先輩と顔を見合わせて首を傾げた時、銀色のトレイを恭しく携えた、俺も行く度にとてもお世話になっている、食堂の熊田さんが奥から登場なさった。
 「こんにちは、柾様、前様。理事長からオーダーを頂戴し、お茶をご用意致しました」
 丁寧にテーブルの上に並べられていく、まっ白のティーカップとティーポット、シナモンの香り漂うホットアップルパイにはふわふわの生クリームとバニラアイスまでも添えられているではありませんか。
 
 更に熊田さんは洗練された手つきで、熱々の湯気とかぐわしい茶葉の香り漂う紅茶をそれぞれに注ぎ入れてくださって、俺はここを訪れた目的も忘れ、それは惚れ惚れと魅入ってしまった。
 きれいな一礼を残し、言葉少ないながら気持ちのいい接客を印象づけ、早々に辞去されたお姿も清々しい。
 流石、プロのサービスマンは違いますねぇ。
 「さて…この顔触れで改まるのは、逆に緊張するから…いつも通りに話すね。一先ず寒かっただろうから、先に召し上がれ」
 「なるほどー他に人が居たから硬かったんだね、十八さん。お気遣い傷み入ります。では遠慮なく、いただきまーす」

 なるほどですねぇ。
 屈託のない先輩に倣っていただきますを言い、先ずティーカップを手にした。
 あったかあい、なんて美味しい紅茶でしょうか。
 甘味は入れていないのに、ほのかな甘みを感じるし、紅茶特有の苦味が一切ない。
 ふう、これはあったまりますなぁ。
 続いてアップルパイ、生クリームとアイスを絡ませて食べたら、あつひやでりんごゴロゴロのホクホクで、うーん、ほっぺた落ちちゃいますよ。
 「「美味しーい」」
 「はは…それは良かった」
 
 ゆっくりじっくりいただきたいけれど、パイの熱でクリームが溶ける前に食べなくちゃ、ああ切ないやら美味しいやらもどかしいやら美味しいやら、大忙し!
 黙々と食べ進めてお皿をカラにして、その時にやっと気づいた。
 十八さんの前にはアップルパイのお皿がない。
 先輩と俺が堪能している間に、ひたすら紅茶だけを召し上がっておられたようだ。
 いち早く気づいた先輩がお声をかけてくださった。
 「十八さんは食べないのー?ごめん、気づくの遅かったからさっさと食っちゃった。また頼もうか」
 「ああ、いや…僕は良いんだ。最初から外して貰ったからね」

 こんなに美味しいアップルパイなのに、甘いものお嫌いじゃないのにどうして。
 そこまで想い至って、はっとなった。
 口調はくだけていらっしゃるのに、十八さんの表情は芳しくなく、どこか強張っていらっしゃる。
 プロの技と、美味しいものにうっかり気を取られて俺ったら!
 今日はいつものお茶会じゃないのに、そんな場合じゃないのに。
 姿勢を正すと、隣に座っている先輩の肩がちょっとだけ触れた。
 想わず見返した瞳は、「だいじょーぶだいじょーぶ」って言ってくださる時の、ほんとうに大丈夫になる優しい光を宿していた。

 今日ばっかりは大丈夫にならないけれど、それでも安心してしまう。
 「…2人って、本当の本当にその、つ、つ、つつつ付き合ってるの…」
 ぼそっと低い声が目の前から聞こえて、我に返って振り返ると、しょんぼりとしたような頼りない面持ちの十八さんがいらっしゃった。
 「「十八さん、」」
 「いや!いやいや…!話はそうじゃないんだ、良いんだ、聞きたい様な聞きたくない様な、そもそも玄関先でイチャイチャしてる段階で…いや、1番最初に此所で3人で会った時から嫌な予感って言うか…!いや、これ完全に話の流れ間違えてる!プライベートより先に、本題から話してしまいたい!だからちょっと待って、深呼吸させて!!」

 お1人でおろおろなさって、待ったをかけられたまま、何度か深呼吸を繰り返す十八さんを黙って見守った。
 だ、大丈夫でしょうか。
 やや経って、紅茶で喉を潤し、いくぶん落ち着いたご様子の十八さんがきりっと、こちらを見やった。
 「お待たせしました」
 「「いえいえ、どういたしまして。こちらこそ」」
 「本当に仲良いって言うか…ら、らぶらぶ…いやいや、良いんだ!今はとにかく話を進めないとね!取り乱して済まない」

 いじいじから数瞬で立ち直った十八さんは、咳払いをして、柾先輩と俺を見渡した。
 「先ずは昴君、1週間お疲れ様でした」
 「滅相もない!こちらこそ、1週間の猶予をありがとうございました」
 「…少しはゆっくりできたかな?」
 「ええ、それはもう。おかげさまで、片付けておきたかった事に手ぇつけられたし。いろいろ整理できて良かったです。ありがとうございました」
 どんな未練も、後悔の一片すら窺えない。
 清々しい笑みを浮かべる柾先輩を、十八さんは目を細めて、切なそうに見つめられた。

 「それで…やっぱり君の気持ちは変わらないんだろうね?」
 「はい。翻意できる立場にありません。十八さんには心から感謝が尽きません」
 「待って待って、昴君!そんな、今にも最後の挨拶みたいな…ちょっと待って。僕の話を最後まで聞いてから、改めて最終審判してくれないかな!」
 「勿論、十八さんの話はちゃんと聴きますよ。最終審判?」
 「良かった…ありがとう」
 ほっとなさる十八さんに、恐る恐るお声をかける。
 「あのう…お話の途中に横からすみません。このお話、俺が同席していても構わないんでしょうか…」

 今度は俺に向かって、十八さんはあわあわなさった。
 「はる君が居てくれないと!はる君が居てくれないと〜…はぁ、駄目だね、僕は…君達より随分大人だと言うのに、まるで敵わない…落ち着いて話もできないなんて、申し訳ないけれど。でも、話させてね」
 「「はい」」
 「昴君、君の覚悟と誠意を受け取ります。先週から…君の覚悟を聞いてから、職員や生徒と話し合いを重ねました。どんなに話し合っても答えは出なかった、それだけ我々は君の話に動揺してしまったんだ。生徒はとにかく、良い大人達が情けない話だけど。どうしたら良いのか結論を出せない、我々に道を示してくれたのは生徒達の自主的な行動だったよ」


 
 2014.10.17(fri)23:47筆


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