121.鐘冴ゆる


 授業が終わり、生徒会のお仕事のお手伝いをした後、1度寮へ戻った。
 荷物を置いて身軽になって。
 柾先輩と連れ立って歩く。
 「ひっさびさのシャバは寒ぃな、何か」
 「まだまだ冷えこみますぜ、柾の旦那。マフラー分けてあげますぜ」
 わざとふざけた物言いで、ぐるぐる巻きにしていた長いマフラーのはしっこを持ち上げる。
 柾先輩の背丈以上に長いから、2人で巻いても大丈夫、あったかい。
 「陽大様のお言葉に甘えさせていただきやす」
 「おう、どんとこい!」

 業務用エレベーターの中でマフラーを分けっこして巻きつけて、寒い寒いとひっつき虫の先輩をなだめる内に、すぐに地上へ運ばれてしまった。
 きょろきょろと辺りを窺いながら、外へ出る。
 3年生さんお別れ会の準備も大詰めで、ほぼ仕上がってきているし、今週はずっと寒気の影響がひどかったものだから、生徒さん方は早い帰寮を促されていて、部活動もほとんど動いていない。
 人気のない道を、ちょっとだけ安心して、誘われるままに手を繋いで歩いた。
 1週間ぶりだ。
 1週間ぶりの制服に腕を通された先輩を、ちらっと見上げる。

 「ん?なに」
 すぐ返ってくる穏やかな眼差しに、なんでもないと首だけ振って、繋いだ手を大仰に振って歩いた。
 十八学園の冬服とコートが、とってもよく似合っていらっしゃる。
 冬仕様だけじゃない、柾先輩にはこの学校の制服が似合う。
 まあねぇ、男前はどんな格好をしようとも男前スキルで着こなしておしまいになられるけれども。
 制服姿の先輩も好きだなぁなんて、絶対に本人には言えないことを想った。
 今日が見納めだなんて、やっぱり信じられない。
 こうやって敷地内で手を繋ぎ、並んで歩くのは最初で最後だなんて。

 暮れ行く夕陽を追うように歩きながら、なんにも実感がなくて、実感が湧かないことが寂しくて堪らなかった。
 あとできっと、俺はたくさん泣くんだろう。
 泣いても笑ってもどうしようもない、今日という日は来てしまって、直に夜さえ訪れる。
 冷気を吸いこんでしまったのか、鼻の奥がツンと痛くなる。
 もう受け入れるだけ、それだけしかできないのだから。
 大きな手のあったかさに支えられるように、ほんとうは1歩も進みたくないのに歩く。
 十八さんのお話って、どんなお話だろう。
 事後処理の内容次第では、この後すぐ、お別れになるかも知れない。

 全部、覚悟しておかなくては。
 昨夜、柾先輩は引っ越しのお手配のお電話をなさっておられた。
 荷物はすっかりまとめられて、生徒会のお仕事の引き継ぎ手配は済み、この1週間をかけてなにもかもさっぱりと片づけてしまわれた。
 それを近くで見ていたのに、まだ覚悟しきれていないなんて、我ながら情けない。
 しっかりしなくては、笑顔でお見送りしなければ。
 十八さんとのお話の場に呼んでいただけただけでも、こうして最後に一緒に歩けただけでも恵まれたことなんだから。
 最後まで見届けなくちゃ。

 先輩が作ってくださった道を、無駄にするわけにはいかないのだから。
 「すげぇ寒いけどさー」
 ふと先輩が微笑った。
 「何となく日暮れ遅くなってるし、枯れ木の先に芽ぇあるし…ちゃんと季節は動いてんだなー春も近いな」
 すべてを優しい瞳に映して、寒風に吹かれながら、春を想って幸せそうに微笑う。
 先輩のまっすぐな瞳には、世界はそんなにも優しく見えているのか。
 最後だというのに、いや、最後だからこそだろうか、見慣れた風景に息を吐いている。
 胸がいっぱいになって、頷いて笑い返すのが精一杯だった。

 今、この人にどんな言葉もかけられない。
 ただ、ぎゅっと手を繋ぐ力をこめた。
 どうして俺が去らずに、柾先輩が去ってしまわれるのだろう。
 何度も何度も考えて、1週間ずっと実際に問い続けた、やるせない想いが止め処なくわき上がってくるけれど。
 散々話し合ったことだから、もう言わないって約束までしたから。
 「はる、着いた。流石にやべーよな、ご挨拶もまだだし。マフラーありがとー」
 たどり着いた理事長棟の前で、分けっこしていたマフラーの片端を外し、ふんわりと巻きつけてくれた。
 
 あったかい体温といい匂いが移っていて、すこし落ち着いた。
 「さて、行きますか。お説教だったらヤダなーその時は陽大君が俺を守ってネ!」
 「まさかお説教ではないと想いますが…どんとこい!俺にお任せを」
 「キャー陽大様、頼もしー!男前!」
 「ふっふっふ、そうでしょうとも。いつでもご遠慮なく俺の背中へどうぞ!」
 「頼り甲斐あり過ぎて困るぅー!つか、このやりとりも見られてっからさ。そろそろ行こ」
 「な?!見られ…?!」
 「だいじょーぶだいじょーぶ。とーわーさーん!あーけーてー!俺のカードで開けても良いけど」
 ノッカーを叩くと程なくして、ロックが外される電子音が聞こえた。

 重厚な扉の奥へ、柾先輩はなんの躊躇いもなく俺を招き入れ、足を進める。
 バタンと閉ざされた扉の音に、鼓動が騒ぎ始めた。
 ここを辞去する時、俺は平常を保っていられるだろうか。
 想わず手に力を込め過ぎていたのか、ぎゅっと握った手を、温かく包みこまれた。
 見上げた先輩はなにも言わず、笑った。
 「行こう、陽大」
 「…はい」
 内扉をノックすると、「入りなさい」という十八さんの静かなお声が聞こえた。
 なんだか懐かしく聞こえる、その声音はどこか硬いように感じた。



 2014.10.17(thu)23:59筆


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