106.この願いの行く末


 直に帰るって、ひとことだけ届いたメールに何て返信しようか、まごまごしていたら玄関先から扉が開く音が聞こえた。
 騒ぐ心臓をなだめながら、慌てて小走りで向かう。
 どんなお顔をしているだろう。
 こんな遅くまで、あちこちでお仕事やお話合いがあって大変だった筈、どんな顔でお迎えしたらいいだろう。
 きっとすごくお疲れさまで、おかえりなさいを言った後、俺に何が言えるだろう。

 心配も不安も、顔を上げた柾先輩と目が合った瞬間、ちいさく縮んでしまった。
 「あれ、陽大。リミット過ぎてんのに起きてたんだ…つーか、ウチで待っててくれたんだ」
 「お、おかえりなさいませ???」
 予想していたどんなお顔もしていない、いつもと変わらない飄々として、意外に元気なお声を上げて目を丸くしていらっしゃる。
 戸惑っている間は僅かなもので、気づいたらぎゅうっと抱きしめられていた。
 「えーすっげぇ嬉しーなー…とっくに寝てる時間だし、今の今まで連絡できなかったし。一平から自室に戻ってる可能性をお覚悟下さいとか言われるし」

 ただいまと囁かれた耳元が、熱い。
 学校仕様の分厚く暖かいコート、冬服を身にまとっていらっしゃるのに、先輩の匂いと共に真冬の冷気を感じて、胸がぎゅっとなった。
 暖かくする間もなかったのだろうな。
 あれからずっと駆け回っていらっしゃったのかな。
 お疲れさまの筈なのに、そんなお顔は少しも見せないで、からっと笑っている。

 「おかえりなさい、柾先輩。お疲れさまでした」
 「ただいま、陽大。いやー参った参った。寒いの何のって。風呂・メシ・えっち・寝るーって痛っ!デコピン力高い指先で抓んなよー」
 むうっと見上げたら、くしゃっと眉間と目元をすがめて、先輩は微笑った。
 「まともに話せてなかったもんな。ちゃんと聞くし、話すから」
 言葉にならずに頷いて、すぐにかぶりを振って咳払い、とりあえず広い背中をバスルームへぎゅうぎゅう追いやった。

 「柾先輩はとにかくお風呂が先です!こんなに冷えて…ゆっくりあったまってくださいな」
 「サンキュー陽大も一緒に入る?」
 「俺は誠に勝手ながらお先にいただきましたので結構!無論、こちらの主浴場の1番湯は先輩のものでございますが、ロフト側で入浴させていただきましたのでどうぞお構いなく」
 「1番湯て。気ぃ遣わなくていーのに」
 「ちょまっ!柾先輩こそ気を遣ってくださいませ!通常、俺が退散してから脱衣するものでしょう?!」
 「何を今更!知らぬ仲ではないではないか(ハート)」
 
 まったく、ちょっとばかり腹筋やら筋肉やら腹筋やら発達しているからと言って、何たる豪快な脱ぎっぷりでしょうねぇ。
 男前はこれだから困ったさんですね。
 男前ウィンクをスルーして、コートを抱え、扉を閉めかけてからはたと想い出した。
 「先輩、ごはんは召し上がります?」
 「食うー!超ペコったの何のって、今までメシ抜きでさー」
 なんですって!

 問い詰めようにも冷えきった先輩はテキパキと湯気の中へ去ってしまわれた。
 いけません、いけません、お身体をとにかく暖めるのが最優先、その後はお腹を満たしてから考えましょうね。
 まだ、時間はあるから。
 今日明日で立ち去ることはできないだろうって、富田先輩も仰っておられた。
 御殿の家具は何ひとつ欠けておられないようだし、お引っ越しの準備はもう少し先だろう。
 話す時間はある筈、今夜はもうあったかくして休んだほうがいいかも知れない。

 スープをかき混ぜながら、ちいさく息を吐いた。
 先輩が戻って来られただけで、御殿中が活気に満ちる。
 存在感に安心する。
 今の内にたくさん、この空気を覚えておかなくちゃ。
 すぐ食べられるように用意をしてから、キッチンカウンターで分厚い創作フレンチのレシピ本をじっくり眺めていたら、バスルームの物音が途絶えた。
 程なくして湯上がりホカホカの先輩がやって来る。

 「んー…いーい匂い。腹へったー」
 「はいはい、すぐ食べれますから。先輩、ちゃんと髪を拭いてくださいな!今夜は特に冷えますから風邪を引いてしまいますよ。俺がごはんとスープをよそっている間に完全に乾かしてくださいませ」
 「厳しー!だいじょーぶなのに」
 「はい、どいたどいたー忙しい忙しい」
 ひっつき虫さんを放置し、食卓を整える内、先輩の髪もどうにかなったようだ。

 「美味そー!つーか陽大、食わずに待っててくれたんだ」
 「…ひとりで食べても仕方がないでございます。今夜は鶏ささみと野菜たっぷりのとろとろ生姜スープと厚揚げステーキ、カレイの雪見煮つけですよー夜更けですからね、なるべく胃に優しい献立にしてみました。たんと召し上がれ」
 いただきますと手を合わせて、ふたりで並んで食べるごはんは、いつもよりも更においしく感じた。
 貴重なひとときだということ、忘れていなかったわけじゃないけれど、今夜はより骨身に染みているからだろうか。

 ただ、俺はどんなお話を聞いても、柾先輩を信じる。
 そう決めたから。
 解けない緊張はあるけれど、ご機嫌さんでごはんを頬張る先輩を見ていたら、頬が緩むばかりだった。



 2014.9.23(tue)21:34筆


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