103.信じる


 陽が沈む。
 赤い、大きな夕陽に照らされながら、富田先輩が振り向いた。
 「…そろそろ良い頃合いだろう。行こうか、前君」
 「はい」と頷いた声は、我ながら情けない程、掠れていた。
 富田先輩は何も仰らず、扉を開く。
 「この場所をよく覚えておいて欲しい。何かあった時の避難場所に丁度良いからね」
 どなたさまも知らないのだと仰った、柾先輩と富田先輩方以外は立ち入らない、かつては食堂の物置だったらしい倉庫。

 あの後、表舞台も裏舞台も混乱する中、いつの間にいらっしゃっておられたのか、富田先輩に連れ出されるまま、ここに身を隠して数時間は経った。
 倉庫とは想えない、きれいで快適に過ごせるように整えられた、どなたさまも寄り付かないここで随分、落ち着くことができた。
 富田先輩からたくさんのお話を伺った。
 ここへ来たことは、柾先輩の采配だということ。
 放課後になって事態が少し落ち着くまで、ここにいてほしいと指令が出ていること。

 ひどいことを言ってしまったことがあると、深くお詫びされてしまった時は、とても驚いて恐縮しきりだったけれど。
 「前君、さっきも言ったけれど。『俺達』は君の味方だからね。安心して頼って欲しい」
 繰り返し続けてくださったこのお言葉に、なんだか励まされていた。
 人目のつかない場所を熟知なさっておられるのだろう、静かな道を歩きながら、富田先輩の落ち着いた雰囲気のおかげで、取り乱さずに済んでいる。
 「あぁ、そうだ。ちなみに特寮へ送って行くけれど、場所は君の部屋じゃないからね」
 「えっ…」

 首を傾げると、大人びた苦笑が返ってきた。
 「我が主人の我が儘を許してやってくれ、前君。帰りは遅くなるかも知れないが、主の部屋で待ってて欲しいとのお達しだ。ま、俺は放課後から主の部屋まで送り届けるのが使命だからね。着いた先では君の想うまま、飽きたら自室に戻ると良い。恐らく理事長も3大勢力も親衛隊も易々と引きはしないだろう、帰宅は深夜かも知れない」
 「部屋、で…あの、でも富田先輩、鍵は…」
 柾先輩の部屋の鍵は、柾先輩の鍵でしか開かない筈、お部屋の前でお待ちすればいいのだろうか。

 富田先輩はどこか疲れたように笑った。
 「側近の権限を主君から主張されて行使されたんだよ…非常時、緊急時に限り、生徒会長の部屋と言えどその側近には扉を開く権限が与えられる。1日1回限り有効のシステム解除だけどね…だから安心して部屋で寛ぐなり、帰るなり自由に過ごしたら良い。あ、伝え忘れていたけれど。恐らく家具が必要最小限まで減っている可能性がある。部屋に入ったら驚くかも知れないが、生活に支障はないレベルだろうから気にしないで」
 「家具が必要最小限って…それって、富田先輩…」
 
 「ああ、ああ、俺の前でそんな可愛い顔をしないで欲しいな、前君。全てはあの御方にぶつけるべき感情だからね。夜、再会できるまで我慢おし。何、そんなに不安になる事じゃない。あの御方も御家族も1度決断したら行動が早いだけさ。元々、御家族一同この学園にあの御方が留まる事を一切望んでおられない…下界にお帰りになられる事を喜ぶ余り、先走って引っ越し準備を整える事が十分考えられる。溺愛され、大切に育てられてきた御方だからね…」
 優しい眼差しを細める富田先輩の横顔が、夕陽に溶けこんでいく。
 この表情、なんだか柾先輩に似ているなって想った。

 「そうなんですね…それなのに、俺…俺なんかが部屋でお待ちしていたら、ご迷惑になるだけでは…」
 冷たい風が吹き抜ける中、最後まで言い終わらない内に、真摯な声音に遮られた。
 「前君、それは違う。先程から何度も言っているように、俺は君こそ大変な人に捕まって気の毒だなぁと心から同情すると共に、あの御方が初めて他人を愛し、挙げ句男として腹を括った事に喜びと賞賛を禁じ得ない。実に複雑な俺の立場こそどうしてくれようか…いやいや、我が事はどうでも良いな。前君ならきっと大丈夫、あの御方の御家族にも気に入られて愛される筈さ。だから気を大きく持っているんだよ」
 ふっと微笑う、お顔がやっぱり柾先輩と不思議に似通っている。

 「柾様を信じて。そして、あの御方をよろしく頼む」

 胸がぎゅうっとなって。
 こくっと頷くのでいっぱいいっぱいだった。
 特別寮の、最近毎日利用していた業務用エレベーターへ、富田先輩も当たり前のように自然に乗りこまれた。
 「俺は直に卒業するけれど、いつでも相談に乗るからネ!柾様の側近、すなわち君の味方はこの学園に未だ居るから、いざとなったら彼らを頼るんだよ。片前尚、漣太郎は君と同学年だから、同じクラスにでもなれば良いんだが。後は現在2年の晴海と、最近加わった、君もよく知っている武士道の吉河君と…」

 目を丸くする俺の頭を、富田先輩は頼りになるお兄さんが弟にするように、優しく撫でてくださった。
 「その辺りの話は連中交えて後日、詳しく話そうね。俺達3年の卒業までに時間はある、今は取り敢えず少し休んで…あの御方とちゃんと話をしないとね」
 朝、出てきた御殿の前に再びたどり着く。
 もうここへ来ることはないんだって、1度は決意した場所にまた戻ってこれた。
 柾先輩のお戻りはいつになるかわからないけれど。
 「富田先輩…いろいろとお世話になり、ありがとうございました」

 頭を下げる俺に、富田先輩は快活に笑った。
 「どういたしまして、とんでもない!こちらこそだよ、前君。さぁ、鍵を開けるから入った入った。疲れただろう?こんな時ぐらいルームサービスを利用して、ゆっくりお茶でも飲むんだよ。こんなバカデカい部屋に1人で居たら気が滅入るだろうから、飽きたら遠慮なく帰りなさいね。主君は前君を手放すつもりは断じてない。話は明日以降でもできるのだし、君が遠慮する事は何もないのだから」
 柾先輩は、おひとりで考えて、おひとりで決めて、行動に出たけれど。
 こうして、混乱の後のことまで考えてくださった。

 富田先輩が側にいてくださったことの意味を、俺はちゃんと知らなくちゃ。
 「…柾先輩が、俺を信じてくださったから…俺も信じなくちゃ、ですね…」
 「ん?何だい」
 「いえ…ここまで送ってくださって、ありがとうございました。どうか富田先輩もお気をつけてお帰りくださいね」
 「ああ、お気遣いありがとう。さあ、もう見送りは良いからお入り、前君」
 開かれた扉の中に1歩踏みこむと、ゆっくりと扉が閉まっていった。
 
 ただいまですとちいさく呟いて、もう我が家のように馴染んでしまった、居心地のいい室内へ上がった。



 2014.9.20(sat)23:59筆


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