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手を、握られた。
大きな手に、包みこむように握りこまれた。
最近知った、あったかくて強い手だ。
舞台裏もざわめきが増し、俺は微動だにできない。
ふっと、柾先輩の、今朝と変わらない優しい眼差しと目が合って。
今まで見た中でも一際優しくて、でもどこか傲岸不遜な俺様顔で微笑った。
心臓が軋む。
何故か、不吉な予感しかしない。
「陽大」
名前を呼ばれても、唇すら動かせなくて。
呆然としたままの俺の耳元に、先輩の唇が寄せられる。
吐息で、空気が揺れる。
「愛してる。俺を信じろ」
顔を上げた時にはもう、先輩は舞台の中央へ向かっていた。
「こーちゃん…?」
「こ…ちゃん…」
「昴、何をする気だ…」
「柾、おい…」
生徒会の皆さんや、周囲の皆さんの戸惑いを意に介さず、大きな背中が歩いて行く。
いつの間にか俺の両隣には、優月さんと満月さんがいて。
誰が震えているのかわからない、片手ずつ、俺を支えるように手を握ってくれていた。
柾先輩が舞台に立つと、一瞬で講堂内が静けさに包まれた。
どんなお顔で、どんな風に向かっていらっしゃるのか。
その背中しか窺えないけれど、不思議な程、穏やかで静謐な、それでいて私語を許さない凛とした気配を感じた。
何をなさるおつもりなのか、「信じろ」って、先輩…?
静まり返った講堂内に、朝からあんなにお天気が悪かったのに、陽の光が差す。
スポットライトだけじゃない、自然の光が、柾先輩にも暖かく降り注ぐ。
しばらく先輩は口を閉ざしたまま、やがておもむろにマイクを通さず、言葉を紡いだ。
「結論から申し上げます。先輩方の卒業を控える中、大変申し訳ございません。私、柾昴は今日限りで全ての責任を取り、生徒会長を辞任し、退学させていただきます」
火種が弾けたように、騒然となる講堂内に向けて、柾先輩は演壇の横に立ち、深々と、それは深々とお辞儀している。
騒ぎが治まるまで、顔を上げず、延々と頭を下げ続けている姿を、俺は瞬きすら忘れてただ見ていることしかできない。
何も、考えられない。
再びかすかなざわめきを残したまま、一旦静かになったのを受けて、先輩が姿勢を正した。
「俺が前に立つ様になったのは、忘れもしねえ、初等部の3年からだった」
どこか懐かしむようなくだけた口調に、ざわめきが消え失せる。
「今の今まで、生徒会のメンバー、3大勢力、諸先輩方、先生方、友人…数え切れねえ人達の温情に支えられて、何より全校生徒の厚意で此所に立って居られた。散々無茶をした。誰であれ衝突した事は少なくなかったし?すげえ自由に過ごしてきて、号外沙汰も何度起こしたかわからねえ」
喉を鳴らして可笑しそうに笑って。
「1つだけ決めてた。俺はこの十八学園が好きだ。俺の私情で騒ぎになって迷惑掛けた時は直ちに去るって。ま、お前らからしたら、今更感あるだろうけど。今期はマジで今まで以上に上手く立ち回れなかったからなー。恋愛すると人は狂うって事で、今朝の号外は真実。陽大は寧ろ被害者で、俺が惚れたばかりにとばっちりになって、陽大の笑顔を守れないわ、学園騒がせるわで、年貢の納め時だとわかった。あ、辞めるけど、陽大の事は諦めねえから。
と言う事で…今の今まで多大なるご迷惑をお掛けし、大変申し訳ございません。全ての責任は私にあります。不肖未熟な私を見守り、支えて下さった皆様には心から感謝が尽きません。長年お世話になり、多くの事を学ばせて頂いた事、この場をお借りして御詫びと御礼申し上げます。誠にありがとうございました」
再度、地面に着くかという潔さで頭を下げる先輩に、誰も何も言えない。
かけることのできる言葉を、ひとかけらも持っていない。
両目から溢れてくる、役立たずの涙をそのままに、震えているしかできない俺。
「「こーちゃん…ヤダよ…ヤダよぉ〜…」」
ちいさく泣き始める優月さんと満月さんを、力なく抱き止めながら、その場に立ち尽くしていた。
2014.9.14(sun)16:06筆[ 715/761 ][*prev] [next#]
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