94.ちいさな星
彼はいつも一生懸命だ。
眠る時すらそうで、誠実さが滲み出ている様に頬が緩む。
誰でも無防備になる時、常に凛々しく周りに慕われる彼も、懸命でありながらあどけなく、幼い寝顔を隠す事なく緩やかな呼吸を繰り返している。
頬杖をつき、傍らで見守るこの時間が好きだ。
昼間に張り詰めていた心が凪いでいく。
誰より大切に想う人ができた。
誰より愛おしい人が、こうして自分の隣で安心して眠っている。
じんわりと灯る温もりが、胸の内から全身にゆっくりと染み渡っていく。
彼の眠りを妨げない様に、そっと、繊細なガラス細工に触れる様に指を伸ばす。
寝乱れた前髪を撫で、額にくちづける。
そのまま頬に触れ、頭を撫でる。
「ん…」
かすかに眉間に皺を寄せる彼を、更なる眠りに引き込む様にと、子供をあやす様に肩を撫で叩く。
寒いのか、暖を求めてすり寄ってくる、寝ている時限定の可愛い仕草を拒む道理などなく、ぎゅっと抱きしめる。
小柄な身体はこの身に余り得る華奢さで、尚、愛おしさが募る。
彼の眠りを見守れる幸福と同時に、わき上がってくるのは、彼の笑顔を守りたいという強い願望だけで。
鍛錬を積み、街に出る事でそこらの大人には負けない身体を作る事はできた。
だが、未だ子供だ。
社会的な立ち位置は、親に養われている庇護が必要な子供でしかない。
今の己に何ができようか。
ひだまりの様な温かい匂いの首筋に顔を埋めて、やわらかい呼気に耳を澄ませる。
正誤は問わない、子供なら子供のやり方がある。
一瞬目を閉じ、次に目を開けた時、先程までの安穏とした穏やかさは潜み、闇をも突き通す強い光が宿っていた。
この大事な可愛い人を守る。
かけがえのない人と出逢ったのだから。
彼の気に入りの自分のパーカーをかけ、たっぷりと毛布と上掛けで包み、ベッドを出る。
しばらく彼の眠りを見届けた後、立ち上がってロフトを下りた。
煌煌と白い月が照らす窓辺に立ち、迷いなくスマートフォンを操る。
1コールで出た相手の明るい声音にほっとして、笑みさえ浮かんだ。
「…夜分にごめん。今大丈夫?」
『勿論!昴君の電話なら1年365日1日24時間態勢でいつでもOK、大歓迎だよー!』
「ありがとう」
『ん?マロンもそうだってーねー、マロンー』
『ワフワフっ』
温かい空気が伝わってくる。
この電話の向こうには、皆が居る。
暖房を切った、冷え冷えとしたリビングの一角に居ながら、少しも寒気を感じなかった。
「あのさー電話で何だけど。ここずっと電話してた件、やっと決意ついた」
俄ににぎやかな雰囲気だった世界が、ピリっと張り詰めた。
シンと静かになる、皆の想いが手に取る様にわかって、もう1度礼を口にする。
「ありがとう、皆。明日、決着つけるから。よろしくお願いします」
『昴、それで良いんだね』
「はい」
途端に厳しくなった問い掛けに、即答を返す。
最終確認だ。
迷いも決定の覆しも許されない、最後の一手を切る。
『わかった。皆、用意はできてるから。じゃ、16時ぐらいに業者モードで良いかな?』
「え?いきなり?早くない」
『え?どうして?早いに越した事はないよー昴君の気が変わっちゃう前に手配しないとー』
『ワンワンワンっ』
「いや、気は変わんないけど…引き継ぎとかどうなるかわかんないし。つーか、そろそろ切るねー陽大、起きるかもだし」
『もー昴君マイペースだからー…取り敢えずこっちはその予定で動くから。運べる物だけでも搬出するからね』
「あーうん、わかったわかった。じゃ、おやすみー。マーロン、おやすみー」
『わふっ』
『あったかくして寝なさいね。陽大君もね。そして早く会わせてね。おやすみ』
「うん」
通話が優しく切れた後、すぐにベッドへ戻らず、窓辺に佇んでいた。
この月を此所で見るのは、今宵で最後だろうか。
何故か不思議な程、心は凪いで僅かの後悔もなく、ただ綺麗だと見上げていた。
2014,9,7(sun)23:36筆[ 711/761 ][*prev] [next#]
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