89.武士道ロックby吉河(8)
お母さん争奪戦が敢えなく幕を閉じてから、数週間経った。
関係者は素知らぬ顔で、表向き平静を保っている。
暗黙の平和、それに亀裂が入ろうとしていた。
我々の手ではない、外部からのストレスで。
始まりはいつも小さな火種だ。
些細な疑念が、風に吹かれて大きく成長する炎の様に燃え盛るのは、時間の問題だ。
気付いた時にはもう遅い。
それが面白かったのは、お母さんが入学して来る迄の話。
いや、お母さんと知り合って、厳しくも愛情たっぷりに躾けられていく内、いつしか他人の不幸などどうでも良くなった。
お母さんの笑顔さえ絶えなければ、俺らはそれで良い。
それでこそ武士道で在る意義がある。
誇らしく掲げてきた大義を、俺らは何度失おうというのか。
下界もこの鳥籠の中も武士道全員、今度こそ抑え切れない程、憤っている。
俺とて変わらない。
ただ、一成さんの右腕というご本人には認められていない役割を、周りと俺が勝手に意識しプライドにしているだけだ。
冷徹な策謀家と言われた一成さんの名を汚さない様に、様子を窺っているに過ぎない。
それももう限界か。
お母さんは、腐り切って陰気だった俺にも、いつも笑顔を向けてくれた。
食べる事に全く興味なんかなかった。
心根そのまま痩せ細り尖っていた俺に、「はい!たくさん召し上がれ」と、炊きたての米を目の前で、あの小さな手でできるだけ大きく握ったおにぎりを食わせてくれた。
生まれて初めて、食べ物が美味しいと想った。
ズルいズルいと喚く連中を、「吉河さんはね、いつも皆さんの知らないところで頑張っているんですよ。細やかに気づいて動ける子だから。頭が回転する人はね、たっぷり食べて脳に栄養を送らなくっちゃ。なにより育ち盛りなんだもの、俺の目の前で栄養不足は許しません!」とたしなめてくれた。
それだけで、今までの人生全て報われたと想ったんだ。
俺は一成さんに、武士道に拾われ救われたが。
お母さんにも命を拾われている。
優しい温もりを惜しみなく与えてくれた、あの笑顔がまた曇る事は許せない。
多少の事ならお母さんの方が俺らより大人で器量も深いから、乗り越えるだろう。
多少の事と看過できない、この1年はいろいろあり過ぎた。
だが、もし十八に蔓延しかけている、あの噂が本当なら、俺は。
「吉河〜見〜っけ〜」
ふらりといきなり目の前に現れた、神出鬼没の一成さんに、一瞬思考が途切れる。
相変わらず争奪戦の1件以来、武士道には近付かない、一成さんは唯一俺にだけ接触する。
俺なら他言無用で一成さんの為に動くと知っているから。
一礼すると、単刀直入に話が始まった。
「で?どう〜?噂の解明と〜出所と〜学園の動向と〜」
指折り数えられる難問に、その度短く首を振る。
不確かな情報は、提示するまでもない。
この人が欲しいのはいつも、確定した情報と現実だけだ。
「あっそ〜じゃ、いーや〜引き続きよろしく〜サイアク、昴の闇討ちも有り得るから。トンチンカン集めて覚悟しといて〜」
気怠気な口調がその瞬間だけ鋭く、深い闇を匂わせる。
この人が本気でブチギレたら、それでもあの化け物じみた会長に相討ち及ばずとも、多大なダメージを負わせるだろう。
そうと決めたらタダでは引き下がらない人だ。
けれど俺は、今回ばかりは少し考えが違う。
ユルユルと手を振って去りかけるその人に、最小限の言葉をかける。
「一成さん。俺は賛成派です」
「…あぁ?」
振り返りもせずに立ち止まる背中に、そのまま言葉を続ける。
「あの男ならお母さんを任せるに足るかと、俺は想います」
枯れ葉が一斉に舞い上がる。
冷たい風に頬を切られた。
そのまま振り向きもしない一成さんの、怒りの一端を受けた様に感じた。
「それと、一成さん。俺はあなたが好きです」
「…はぁ?吉河〜お前、さっきからナニ言ってんのか理解してる…?」
「ええ。我ながら驚く程、冷静です。引き続き調査はします。情報も流します。彼奴らも集めます。ですが、俺は手出ししません。最終的には柾昴を擁護します。理由は一成さんが1番ご存知でしょう」
深く一礼して、返事を待たずにその場を去った。
俺はね、一成さん。
暗闇の中で当て所もなく、今にも凍え死にそうだった、その時にあなたに拾われた。
けど俺の飢餓感は収まらず、武士道の中でも異端で浮いていた。
お母さんだけが俺を温めてくれた。
そして、あなたを好きになる、人間らしい感情まで得るに至った。
お母さんの幸せの為なら、いくらでも冷静になれるんですよ。
まして2人目の、俺の存在に気づき、生涯に渡る役割を与えてくれた恩人の為ならば。
2014.9.2(tue)23:49筆[ 706/761 ][*prev] [next#]
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