73.風は吹く
結局、俺ったら。
「そろそろ出ないとな、陽大」
「は、い…」
ただ今、月曜日の早朝まっただ中。
金曜日の晩からお邪魔して、土、日、月って、俺ったら何てこったい、すっかり御殿の食客となってしまった。
このひっつき虫さんが離してくださらないと言うか。
いえ、俺の意志が弱い所為ですけれども。
何度か帰ろうとしましたとも。
土曜日も日曜日も、朝昼晩と幾度となく腰を上げましたよ。
その度に子犬のお顔とか、一緒にいる〜とか、拗ねるわ甘えるわ俺さま生徒会長さまモードになるわひっつくわで、何とも手がかかり、言い含められるままに居着いてしまった。
何てこったい。
こんなに数日に渡ってのお泊まりなんて、学校行事以外、初めてのことだ。
ソファーに座って俺を抱えたまま、ぐりぐりしてくる先輩を見上げる。
「先輩もそろそろ行かなくちゃ、ですよね」
「んーだねー」
あまりゆっくりしていられない。
今日は月曜日で部活動も活発になる平日、人目がない内にお暇して、先輩はいつもの朝ジョギングへ、俺は自分の部屋へ帰らなくちゃ。
俺から立ち上がらなくちゃいけないのに。
この数日で知ってしまった、あったかくて居心地のいい腕の中から抜け出せない。
宝の山御殿の快適さ、過ごしやすさから離れ難い。
どうしましょう。
「んー…」
んーんー唸っていた柾先輩に、上向かされたと想ったら、優しくキスされた。
一瞬の油断を縫って深まるキスに、逞しい腕に縋りつく。
「んぅっ……っあ、朝から、なんですっ」
「はーーー…えっちしたい…って痛っ、酷ぇ陽大、ここでデコピンする?」
「知りませんっ」
ぐりんっと反転して向けた背中に、気にせず腕が回る。
「俺はいつだって本気なのに」
「尚悪いですっ。俺は、俺はもう帰るんですっ」
「んー、マジでそろそろ行かないとネ」
俺の肩はいつから柾先輩のお顔置きになったんでしょうか。
その目線で上がった先輩の右腕には、立派なお洒落腕時計が着けられていて、つられて見つめた時計盤の針は、タイムリミットを指していた。
ほんとうに行かなくちゃ。
まだあったかい部屋の中、あったかい腕に包まれているのに、急に寒々しい心持ちになって胸の辺りを握り締める。
「陽大」
低くて甘い声が耳元をくすぐって、視線も向けない内に、頬に唇が触れたと想いきや。
「んっ?!ま、柾先輩、もしや、もしや?!」
「あーあ。所有印ぐらいじゃ物足りねえけど、しょうがないかー。行こ、陽大。取り敢えず一緒に出よう」
がくりと、肩を押さえながら手を引かれるままに立ち上がる。
あれは日曜日の朝だった。
首筋や肩に蚊に喰われたような虫さされができていると、高層階で冬なのに何故だろうと、俺は無邪気に先輩に尋ねてしまった。
それをこの人はご丁寧に、こうしたらこうなるんだよと意味共々再現してくださったのだ。
事の経緯を想い出し、脱力するしかない。
初心者に対しても容赦なし。
ほんとうに何で俺を選んでくださったんだろう。
「あ、陽大」
くるっと玄関先で振り返った先輩に、足が止まり切らなくてぶつかる。
「おっとっと、悪い、だいじょーぶ?」
ぶつかったままの体勢でぎゅうぎゅうされながら、こんな初心者で先輩には申し訳ないけれど、帰りたくないなぁって想った。
大丈夫なんかじゃないです。
もっと、一緒にいたかった。
この扉を出たら、何も知らない、何もなかったことにしなきゃいけない。
柾先輩と俺は、生徒会の先輩後輩でしかない。
今まで通り、距離を空けなきゃならない。
誰にも知られないように、変わりなく。
もっと1日が長かったらいいのに。
また金曜日に戻れたらいいのに。
こんなとんでもない我が儘、許されるわけがないけれど。
「陽大と俺のこと、暫く周りには黙ってるけどさ」
声にならなくて、黙って頷く。
先輩はふと微笑って、俺の額に唇を触れる。
「何つー顔してんの。全部上手く行かせてみせるから、取り敢えず今は様子見にするな」
今度は2回頷くと、大きな手が頭に触れた。
「けど、あんまり自由がないのも俺が耐えらんねえから。内輪には打ち明けよっか」
「えっ」
まっすぐな瞳が、悪戯っぽく輝く。
「俺で言うなら旭とゆーみーが協力してくれるかなー。陽大なら、凌や宮成先輩、心春と穂がわかってくれんじゃねえの?」
「協力…」
「うん。だってなるべく一緒に居たいし。理解者居てくれたら、何かと協力仰げるじゃん。例えば、ゆーみーならよく出入りしてるから、陽大と一緒に此所に居てもおかしくねえってこと。別に直接何かしてくれってんじゃねえ、友達がわかってくれてたら励みになるじゃん」
先輩が挙げてくださったお名前は、皆さん、とても心強い方ばかりで。
ちゃんとお話すれば、わかっていただけるだろうか。
もしそうだったら、知ってくださっている方々の存在だけで心強い。
「つーか旭はほぼ知ってんだけど。俺が陽大追いかけてったアノ場に居たし。旭が味方ってだけでも心強いだろ?」
旭先輩が味方と聞いて、屈託のないにこにこ顔が想い浮かんだ。
「はい…俺、ちゃんとお話してみます。少しずつ、凌先輩や心春さんたちに…」
完全に秘密にしなくていいんだ、なかったことにならないんだ。
にわかにほっとする自分がいた。
2014.8.11(mon)22:38筆[ 690/761 ][*prev] [next#]
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