68.見晴るかす、続く夢


 愛おしくて仕方がない。
 ふくらみ続ける気持ちのままに、ちいさな身体を抱きこむ。
 この身に収まって余りある華奢さは、心労で痩せた事への憂慮もあるが、より愛おしさも増すもので。
 随分勝手な感情の揺らぎに、我ながら苦笑する。
 「せ、先輩はっ」
 「ん?」

 仰向くようにこちらを見上げる、潤みっ放しの瞳を見返しながら、その無防備さが堪らないと言ったら、彼は泣いてしまうだろうか。
 いや、隙だらけなのが悪い。
 滑らかな首筋を露にして、そんな目でこちらを見上げて、さっき何があったのかもう忘れたのか。
 それとも今日はあれ以上何もないだろうと達観しているのか。
 紳士でありたい、彼の理解者として側にいたい想いに偽りはないものの、男として複雑だ。

 腹が空いていると見てとれるライオンの檻に、ふわふわの子ウサギが自ら飛びこんで来たようなものだ。
 己の忍耐力はこの学園においてより鍛えられたが、ここまで耐えているのはすごいと想う。
 まさかこんなレベルアップなど望んでもいなかったが。
 それでもこの腕から離す気は微塵もない。
 いつ帰すか、それさえ意識に上らない。
 
 「お、お風呂の時も、今も、昨日もですけれども…ひっつき虫ですね、背中ひっつき虫」
 うんうんと頷いている、項に噛みついてやりたい(勿論、優しく)。
 「ウン。俺、陽大に引っつくの好きー」
 「…こんなにいきなり懐かれたのは初めてでございます。先輩のぼう!甘えんぼう」
 邪な気持ちは押し隠して、素直に認めたら、今度は甘えた呼ばわりか。
 複雑そうな横顔が可愛い。

 何かと想い悩んでいるのだろう、真面目で誠実な子だから。
 そのひたむきさに強く惹かれたのだ、今も尚。
 「ウン。俺、ぼうだから。散々甘やかされて育ったから仕方ないよねー。ほぼ末っ子だし。陽大は抱いてて気持ちいいし」
 ぱっと見開いた瞳が振り返る。
 いろいろな感情がない混ぜになったつぶらな瞳を、まっすぐ見つめ返す。

 構わない。
 何でも聞いたら良い。
 お前には何でも話せる、手の内を明かせる。
 隠し立てなどしない。
 いずれ近い未来には、全て明かすつもりなのだから。
 誘いかけるように微笑ったけれど、彼の心の砦はなかなかに堅牢だ。
 寸手で堪えて、緩んだ口元を引き結んでいる。

 「先輩の、ぼう。こんな大きなひっつき虫さん、見たことありません」
 わかっている。
 ふいっと前を向いてしまった、決して自ら触れてこようとはしない身体を抱え直し、日向のような温かい匂いの首筋に頬を凭れかける。
 わかっているから、大丈夫。
 そんなにすぐ馴染めない事を。

 人との距離感をいつもちゃんと計ろうとして、迷惑掛けまいと優しい彼は思考を巡らす。
 誰かの負担になる事なんて考えられないのだ。
 優しい性分と、己は男だという矜持があるから。
 いくらでも甘えて暮らせる環境にいながら、きりっと立っている。
 そういう強さにも惹かれた。
 すべて自分に責任を返す姿が、見事だと。

 だから、良かったと想った。
 今まで経てきた道程、すべてがここへ繋がっていたと実感している。
 自己防衛の為、まっすぐ立つ為に鍛錬を積んだ身体は、彼を守り、こうして抱きしめることができる。
 彼の覚悟は、己の覚悟と似通っていたから、想いがわかる。
 様々な人々との交流、この学園で過ごしてきた事、すべて何1つ無駄な事はなかった。
 
 己の道は、彼に繋がっていたのだ。
 きゅっと、ちいさな手を包みこむように握る。
 ぴくっと震える肩に、益々凭れかかりながら、上気していく頬を見つめる。
 わかっているから、引かない。
 ここで遠慮すれば、彼は更に辟易して縮こまるだろう。
 あの事件の余波は気掛かりではあるが、けれど引かない。

 

 2014.8.5(mon)23:50筆


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