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ゲリラ豪雨、通り過ぎる。
何とか通り過ぎる。
俺は、穴があったら更にふかーーーく掘って、潜り込んでじっと膝を抱えていたい。
「はーるーとーくん。どこー?」
ご機嫌で無邪気なお声を、薄闇の中で耳にしながら、ぎゅっと目を閉じる。
武士の情けで、今だけはお見逃しくださいませ。
合わせる顔など持ち合わせておりませぬ。
ふっかふかであったかいベッド、やわらかくてしっかりと分厚い上掛けで、ほんとうによかった。
御殿バンザイ。
御殿のキーワードで、御殿主さまのとんでもない男前顔が目に浮かんで、慌ててぶんぶんとかぶりを振った。
それでもより一層、想い浮かんでしまう。
どれだけ強い存在感なのか。
『陽大、好きだ』
ずるい、反則です。
『すげえ好き…』
だから、反則ですってば。
身体の奥が疼きそうで、自分の腕を握る。
腿の隙間を出入りした、大人すぎる行為の記憶はまだ新しい。
吐息混じりの、直前の呻き声とか、耳を押さえても振り払えない。
無理です、無理!
容量オーバーも甚だしいです。
俺が愚かでした、未熟にも程がありました、お返しする言葉はございませんとも。
据え膳喰わぬは云々話も、俺には早すぎる世界、身の丈以上の世界でした。
柾先輩はほんとうに、こんな俺でよかったのだろうか。
「はーーーるーーー?」
探し続ける声に、ふと気づく。
これはもしかしなくても、用が済んだから帰れということではあるまいか。
そもそも、今何時でしょう。
俺は一体、いつまで御殿にお邪魔している気なのか。
ご多忙な先輩にとって貴重なお休みを、俺がいることで台無しにするわけにはいかない。
けれどもどうか、どちらかへ移動していただけないものか。
お邪魔したくないんです、すぐ帰りますから、お顔を合わせることはご勘弁願えませんか。
後日、お礼状とお詫び状を添えて、「HOTEL KAIDO」の一級菓子折りを進呈させていただきますからどうかご容赦ください。
祈るように念じていたら、諦めた声が聞こえた。
「寝たのかなー。水でも飲んでこよっと」
続いて遠ざかる足音が聞こえて、ほっとすると同時に、急に寒さを感じた。
こんなに上等なあったかい寝床の中なのに。
自分の身勝手さに呆れながら、今は気にしないことにする。
冬だもの、寒いのは仕方がない。
とにかく今は、先輩が何処かへいらっしゃっている間に、御殿を脱出させていただこう。
束の間の楽しいひととき、ほんとうに楽しかったな。
つきっと何かが刺さるように傷んだ胸も、気にしないことにして、そろそろと頭から被った上掛けと毛布から顔を出した。
新鮮な外気に触れると同時に、がしいっと後ろから身に憶えのある温かい感触、振り返らずともわかるものを、怖いもの見たさで肩越しに振り返る。
「陽大くん、つーかまえたー。やっと出て来たな」
つかまったぁ!!
「ま、ま、柾先輩…お、お水飲みに行くって…!」
「うん、そこに冷蔵庫あるからネ」
ウィンク付きの見事な笑顔を頂戴し、星が何個も顔や頭に当たったような錯覚を覚える。
いつでもどこでもアイドルさま気質、恐ろしい!
「ああ、あのっ…離していただけたら、その…毛布…寒い…」
ぽそぽそと呟いたら、にっこり屈託のない笑顔を賜った。
「ヤダ。絶対離さねえ。寒ぃの?陽大の為に俺はいつも体温高めだぜ!ドンとこーい」
「ぬあっ」
気づいたらぬっくぬくの腕の中、後ろから横抱きの上で毛布包みにされていた。
さっきの潜りこんでいた状態より温かいとはこれ如何に。
背中に、右半身に、がっしりした腕とか胸板とか、温かい肌を感じる。
まったく馴染みのなかった筈の温もり、人肌が、ずっとこうしてきたような安心感を覚えるのはどうしてだろう。
制服越しでも、Tシャツ越しでも温かかった先輩は、素肌になるともっとあったかい。
もたれかかった胸からは、少し早い鼓動が聞こえる。
柾先輩が、ちゃんと生きている音が、俺の耳に聞こえる。
「んっ、や、せんぱい…くすぐったい、です…」
俺の首筋に顔を埋めていた先輩が、ふと動いて、ちいさなキスをいくつも肌に落とした。
やっと顔を上げたかと想ったら、ちゅっと唇にも触れて、ドヤ顔で笑っている。
「ん、陽大」
「先輩は?」
「俺も飲む。先に飲みな」
ご丁寧に開けてくださった、ペットボトル入りのスポーツドリンクを、子供のように先輩の手から飲んで、すぐにお渡しした。
そのまま口をつけて豪快に飲む、喉仏が上下するのを見上げて、いいなあと想った。
飲み合いっこを何度か繰り返して、気づかない間に喉が渇いていたんだなぁと、すっかり潤ってから気づいた。
空になったペットボトルを、少し離れたダストボックスに投げ入れた後、ぎゅうぎゅう抱きしめられた。
「もうちょっとしたらー」
「もうちょっとしたら?」
「一緒にシャワー浴びよ。んで、朝メシ食お」
「いっ、しょ…の意味がわかりかねますっ朝ごはんはともかく!」
「んな赤くならんでも。もうしっかり見たし知ってるって」
「なっ!!何故っ」
「何故って。そりゃ見るだろ、ガン見だろ」
「ガ!!」
「ガって。笑わすなよ。恋人と初のエッチいことしてんのに見ないわけねえじゃん」
「こっ」
恋人?!
おもむろに黙りこんで俯いた俺を、ふざけた色を消した優しい瞳が覗きこむ。
「陽大?どした」
俺は、先輩の優しさに甘えていいんだろうか。
今、手を離すべきなんじゃないのか。
「先輩は」
「ん。俺は?」
「先輩は…俺なんかで、ほんとうにいいんですか…こんな初心者で、つまんなふがっ」
言葉は途中で、大きな手に阻まれる。
鼻ごと口を覆われて、もごもごしたら、「くすぐってえ」と離れていった。
「陽大。俺は陽大が好きだ。ずっと側に居て欲しいって、俺は陽大を守るから陽大は俺を守ってって、昨日も言ったよな。聞いてなかった?」
ぶんぶん首を振る。
また下がりそうになる視線を、温かい手の平に頬を包まれることで上向かされた。
いつだって前を向いている、光を失わない瞳の中には、頼りない面持ちの俺がいる。
「惚れた奴に気持ちが通じて、身体重ねるとか、俺は今すげえ幸せ。陽大に申し訳ない程幸せだから。俺の心配はしなくて良い。陽大はもっと俺に甘えて寄っかかりな。それが更に俺の幸せになるから。ま、気長にいこうぜ。先は長いし、ゆっくりで良い。俺も陽大に気ぃ遣わせずに甘えさせられるぐらい、強くなるから」
ほんとうに、ほんとうに俺でいいのだろうか。
こんな綺麗な瞳の持ち主が、俺を選んでくれると言うのだろうか。
気長でいい?
先は長いって、信じてもいいのか。
それはいつまで、先輩にとっての先の長さは、何日ぐらいのこと?
尽きない不安のまま、今はこのお気持ちに応えたいと、何とか頷いた。
温かい腕の中、背中に触れていいのかわからなくて、されるがままに凭れていた。
8.3(sun)23:17筆[ 684/761 ][*prev] [next#]
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