45.惜しからざりし
それにしても呆気に取られる、優しい眼差しだった。
何もかも包みこむように、温かい色を宿しておられた。
気の所為なんかじゃない、と想う。
その瞳に見つめられたまま、釘づけになった俺の頭に、大きな手が乗る。
ふわりと優しく撫でられて、そして。
「またな、陽大」
そう言えば、3日ぶりだ。
俺はずっと黙ったまま、生徒会をお休みしていた。
今日も実は、お休みさせていただけないかなって。
だからしばらくお会いするつもりなくて。
どうして今、このタイミングで会ってしまったんだろう。
振り返らなければ、見なければ先輩たちに気づくことはなかった。
そのまま通りすぎて、5限6限まで終わったら、後はゆっくり寮で過ごそうって。
勝手にそう考えていたのに。
「またな」って。
そんな、待っていてくださる言葉を、また会おうって、会えるということがわかっている言葉をかけていただける価値なんて、俺にはないのに。
こんなに優しく視界に入れていただける、そんな人間じゃないのに。
限界だった。
何かもういっぱいいっぱいで、一言を発する余裕もなくて、喉の奥が震えるばかりだった。
では失礼いたしますって、たった一言でいい、それですべてが丸く収まるのに。
優しい瞳が、驚きで見開かれるのを、バカみたいに見上げていて。
頬を伝っている熱いものに、やっと自分で気づいた途端、反射的に走り出していた。
無礼極まりないって、走りながらわかっていたけれど。
これ以上、醜態を柾先輩に見せたくない。
困らせたくないって、自分のプライドだけで逃げ出した。
予鈴が鳴る音が聞こえる。
だけど、何もかもどうでもよくて、今は走るのだけで精一杯で。
涙を堪えることもせず、ただただ走った。
とにかくどこか、誰もいないところへ行きたかった。
「陽大!」
咄嗟に追いかけようとした、その腕を強く引かれ、邪魔をするなと振り返り、異様に冷めた瞳と視線がぶつかった。
小柄な身体が全速力で駆け抜けて行く残響を、耳だけが追っている。
口を開く前に、先手を切られた。
「昴、追いかけてどうすんの」
一切ふざけていない冷たい声音に、昂った感情が落ち着きを取り戻す。
「ちゃんとわかってる?お前が『今』あの子を追いかける意味」
ただの1後輩への同情ならば、引き下がれと。
今は黙って見守るべきだと、様々なものを負っている旭から立ち位置を示された。
「お前に陽大くん、背負えんの?」
覚悟を問われ、微笑った。
「今、追いかけねえと、一生後悔する」
淡々と賢く状況を確かめていた心友の眼差しが、ゆるやかに軟化する。
「行って来い。後はどうにかしておく」
「ん。ありがとう、颯人」
ばしっと強く肩を叩かれたのを契機に、走り出す。
自認するだけあって流石の足の速さ、このまま見失うのではないかと危惧した。
「陽大!」
名を呼べば、前方に震える姿を見つけて、半ば安堵する。
それにしても、どこまで行くのか。
どこへ行ったらいいのか、わからない。
絶対にきょとんとされて、苦笑して、「変なヤツだな」で見過ごされると想ったのに。
後ろから追いかけてくる気配と声が聞こえて、足が止められない。
どこへ行ったらいいんだろう。
俺が泣いたばっかりに、優しい先輩は放っておけなくて追って来てくださったのか。
面倒見のいい方だから。
情深いから、柾先輩の前で泣いたりなんかしたらダメなのに。
闇雲に走った。
先輩の負担になりたくなんかない。
ただでさえご迷惑ばかりおかけしているのに、嫌われたくない。
とにかく走り続けた。
あちこち曲がって、見失ってくださることを願って、めちゃくちゃに走った。
どこにいるのかまったくわからない。
わからないまま、どこかの校舎の突き当たりに遭遇し、やむなく横の階段を駆け上がった。
人気がない、静まり返った階段を何階分も上がり、たどり着いたところは屋上へ通じる非常口の前だった。
当然、施錠されていて入ることはできない。
行き止まりだ。
立ち入り禁止のプレートを力なく見つめ、荒い呼吸のまま、その場に崩れ落ちるように座りこんだ。
静かな、静かな踊り場に、2人分の呼吸が響く。
2014.7.20(sun)14:27筆[ 662/761 ][*prev] [next#]
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