44.君がため
では行ってきますと、席を立つと同時に左右から手を引かれた。
「本当に大丈夫なの、陽大」
「はるとっ、やっぱり俺も行くぞっ」
心配そうに眉尻を下げる心春さんと穂さんに、大丈夫ですよと笑った。
あまりうまく笑えていないのかも知れない、お2人のお顔は曇ったままだ。
「俺もすぐ教室に戻りますから…ほら、お2人共、課題がまだ少し残ってるって仰ってたでしょう?急がないとすぐ5限が始まりますよ」
気をつけるようにと何度も念を押され、力強く頷いて、今度こそテーブルから離れた。
「前様、ご来店ありがとうございました。またのお越しを食堂部一同心よりお待ち申し上げております」
「熊田さん、ごちそうさまでした。今日もとってもおいしかったです。こちらこそありがとうございました。また伺います」
いつも変わらず優美な仕草で、にっこりと揺るぎない笑顔のウエーターさんに、丁重にお礼を言ってから食堂を後にする。
どうしたら、あんな風にプロフェッショナルな大人になれるんだろう。
雨の日も晴れの日も、食堂で働く方々はもちろんのこと、大人の方々は変わりなく額に汗して働いていらっしゃる。
誰にでも日々いろいろなことが起こる。
それぞれ、いろいろなご事情がある。
けれど大人は顔に出さずに、淡々と目の前の役割を全うする。
大人の中にも子供のような方はいらっしゃるけれど。
どうしたら淡々としていられるだろう。
重たい瞼をついこすりそうになって、ダメダメとかぶりを振った。
「「「お母さん、バイバーイ」」」
「「「お母さーーーん、もうすぐ5限だよー」」」
行く先々のありがたいお声にお応えしつつ、職員棟へ急ぐ。
今日は日直だったのに、朝、日誌を取りに行くのを忘れてしまっていた。
今朝、は。
一成のこと、この数日の美山さんやひーちゃんのこと、想い出すと自然に涙が込み上げ、ダメダメとまたかぶりを振った。
俺が泣くのは道理が違う。
泣いてどうにかなることじゃない。
金曜日の創作プレート、今週もおいしくいただいた。
おいしいものを食べて、心春さんや穂さんには心配していただいて、でも何かを察するように聞かずに側にいてくださっている。
たくさんの優しさをいただいて、俺はこうして歩いている。
しっかりしたい。
誰のことも傷つけずに、強く、俺も皆さんのように優しくなりたい。
その時、びゅうっと、厳しい冷たさの風が渡り廊下を吹き抜けた。
地面に落ちた枯れ葉が一斉に舞い上がり、くるくると回転している。
首をすくめ、コートの前をかき合わせながら、下は向きたくないと空を見上げた。
薄曇りの冬空に、かすかに差している淡い光。
季節が冬でも夏でも、晴れても雪でも、太陽はそこにある。
揺るぎなく、淡々と。
「「さっむ!今日マジやべー」」
すぐ近くで見事にハモった声が聞こえて、後追いのような風に吹かれながら、やっぱり誰しも寒いよねぇと、想わず視線を向けたのが、悪かった。
そのまま流し聞いて、立ち去ればよかった。
後悔は先に立ってくれない。
いつでも俺の背中に立つ。
「あ、お母さーん!こんな所で何してんのー?」
「ん?陽大…」
ぶんぶんと手を振ってくださる、気さくな旭先輩と。
柾先輩が、いた。
どくんと心臓が大きく軋み、口元がふにゃふにゃに歪みそうになるのをどうにか堪える。
目がしっかり合ってしまった。
わざわざ近寄って来てくださったのに、俺から無言で立ち去るわけにはいかない。
旭先輩も、柾先輩も、日頃から何かとお世話になっている先輩なのだから。
まして柾先輩は、生徒会での大先輩でもあって。
それだけだ。
それだけのこと、ご挨拶したら先を急ぎますのでと丁重にお断りして、辞去させていただいたらいい。
今は余計なことを考えなくていい、考える場面じゃない。
「どうしたのー?そろそろ5限始まるよー」
旭先輩がいてくださってよかった。
いてくださるだけで、空気がふわっと明るくなる。
明るさに釣りこまれて、こちらの心持ちまで軽くなる。
「旭先輩、柾先輩…こんにちは」
「「はい、こんにちはー」」
仲よしさんだなぁ、ほんとうに。
「え、と…恥ずかしながら俺、今日日直なんですが日誌を取り忘れており…今から職員室に伺うところなんですよー」
「マジでー?そりゃ大変だー」
「ぶはっ、マジか!今からって!もう昼ですけど?」
「気づいたのが4限の前ですので、仕方ないじゃないですか」
変わらないなぁ。
当たり障りのない会話、バカ笑いする先輩、日常のひとコマだ。
「先輩方はどちらへ?」
「俺らはー5限体育だから移動中なのさー」
「メシ後に体育とか怠ぃよねー」
「「ねー」」
お顔を見合わせて首を傾げていらっしゃる、仲よしさんぶりがなんだか懐かしく感じる。
体育祭の時みたいだ。
楽しかったな、あの時は、競技もチームも全部、楽しかった。
「お互い行かなきゃね。じゃあねーお母さん。またねー」
「あ、はい。またです、旭先輩」
感傷に浸っている場合じゃなかった。
手を振る旭先輩に合わせて振り返し、柾先輩にもご挨拶をと、そろりと見上げて、更に後悔に襲われた。
自ら直ちに辞去するべきだったのに。
柾先輩の瞳は危険だって、ずいぶん前から知っているのに。
2014.7.19(sat)23:06筆[ 661/761 ][*prev] [next#]
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