35.白薔薇さまのため息(8)
「馬鹿げた事になったね、心太」
扉を開けるなり、そう投げ掛けたら、心太の瞳がうるっと膜を張った。
けれど寸でのところで堪え、唇を引き結び、黙って短く頷くだけに留まった。
そうだね、深くは頷けないだろう、表面張力で零れ落ちるのを抑えているのだから。
可愛い心太。
可哀想に。
そこで泣いて見せりゃ、お前の鈍感なエセ王子でエセ鬼畜な主人も絆されたやも知れない。
ヤツは所詮、王子界や鬼畜界の中においては底辺の男、お前が遠慮する謂れはなかろうに。
そこまで考えて、冬休み中にご挨拶せざるを得なかった、本物のド鬼畜様やド王子様やド腹黒様などなど勢揃いした姿が脳裏を過り、不敬をお許し下さいと心の中で祈っておいた。
あのね、心太。
「本物」は易々とわからせないもの、或いは見てすぐにわかる程の存在感か、いずれかなのだよ。
そして彼の人達は、心の底から本物の笑顔を浮かべ、周りを幸福にする事ができる。
現にエセプリンススマイルで幸せになっているのは限られた一部だろう。
上には上が居るのだ。
昴は派手に見せかけているだけで、あの一族の中では1番接し易い部類だ。
莉人なんかクソガキに過ぎない。
ましてこれから始まろうとする、下らねぇガキんちょ共の好きな子の取り合い(ハート3つ)大会に参加するヤツらなんざ、クソガキ以下だ、赤子以下だ。
いや、赤子とてもっと賢く、空気読めるっつーの。
3年まで混じりながら何やってんだか、アホらし過ぎてため息しか出ん。
そのまま素直にため息吐きつつ、招き入れた部屋の中、ぼんやり生気のなかった心太はリビングのテーブルを見るなり、急に顔色を明るくした。
「『KAIDO』のケーキ…!?一平先輩、何でこんなに沢山…!」
「可愛い心太の為ならお安い御用さ!好きなだけ召し上がれ。ん、今日はプレスコーヒーにしたからね。丁度良い頃合だ。スイーツにコーヒー、延々のループへようこそ!」
おや、良かった。
大の甘党の心太、苺フェスティバルな赤い宝石で彩られた数々のケーキに目を輝かせ、そわそわとテーブルに着いた。
それにしてもパッケージから出したスイーツを見ただけで、パティスリーを当てられるとは、大したものだな。
「いただきますっ」
「ははは!そんなに慌てる事はない!俺はコーヒーだけで良い。これは全部心太のものだよ。ゆっくり味わいなさい」
「一平先輩、マジ神っス!ありがとうございますっ」
うんうん、心太は元気が1番だ。
莉人は参加しないそうだしね。
然程のダメージではないのかも知れん。
我々の仕事はこれからだ。
熱いコーヒーを飲んでいると、視線を感じた。
ナポレオンパイにフォークを入れたまま、涙は消えたものの複雑な色を宿した瞳を見つめ返す。
「どうした、心太。もうギブアップかな」
「とんでもない!このケーキはすべて俺のものです!例え日景館から何を言われようとも全部俺1人が食らいつくしてみせますっ」
良い勢いだな。
「…そうじゃなくて…その…」
「うん?何だい」
ぎゅっとフォークを握り締めて、心太は居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
「……昴は…一平先輩達はどうするんですか」
「達」か。
片前、漣、晴海…諸々の顔が浮かんだ。
「俺達」の連携は揺るぎないさ、この学園において我らの望みはただ1つ。
けれど。
1番接し易い筈の、我が主君の電話越しの声が耳に甦る。
読めない声音を。
「あの日、話した通りさ。俺達の望みは昴が此所を無事に出るまで変わらない。それが全ての行動原理だよ、今年とて今まで同じだ。だが」
ド鬼畜様やド王子様にお仕えするよりも、随分動き易い筈なのだが。
軽く波立つコーヒーの表面を眺める。
「昴が何を想うのか、俺達は聞かされない限りわからない。心太達と同じだよ」
やれやれと息を吐きながら、心太にコーヒーのお代わりを勧めた。
ついでにお持ち帰り用の焼き菓子セットを見せると、話はもうそれきりで、後は冬休み中の報告会ならぬ雑談へ突入した。
可愛い後輩の話を聞きながら過ごす、新学期前の夜更けも良いものだ。
さて、前陽大君。
君こそどうするのかな。
2014.7.10(thu)23:46筆[ 652/761 ][*prev] [next#]
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