29.雪の下
寒風に首をすくめ、今にも雪が降りそうな空を見上げた。
昨日まで穏やかな新春だったものが、雲行きが怪しい。
待ち合わせ場所に寒そうに佇んでいるヤツの所為じゃない、きっと、俺の所為だ。
日頃の行いの、あの夜の悪行三昧が未だに燻っているのだろう。
だが、後悔などない。
己の為した事から、逃げる気は毛頭ない。
またあの時に戻ったとしても、俺は同じ事を繰り返すだろうから。
「秀平!」
曇り空をものともしない、夏以来に見る懐かしい顔は、俺の知り得るどんな表情も有しておらず、目を見張った。
誰にでも笑顔を向ける事に変わりはないが、何だその表情は。
可愛くなった?
俺の知らない顔、雰囲気に動揺するまま、開口1番、本音とは違う言葉が滑り出る。
「また一段とちいさくなったか、陽大」
その途端、電光石火の速さではたかれた。
「失礼なっ!ちょっと自分が成長してるからって、失礼なっ!!何です、お正月早々!久しぶりに会った言葉がそれ?新年には新年の挨拶があるでしょうが!」
「…あぁ、そうだな。あけましておめでとう、陽大」
「それです!あなたも大和男児の1人であるならばしかと心得なさいませ。はい、では改めましてあけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします」
「あぁ、こちらこそ。ことよろ」
「略さないっ!!若人には違いないけど若者ぶらないのっ!」
2発目を喰らい、笑いながら注意深く観察する。
元気そうだ。
小柄さが増して見えるのは仕方あるまい、事件からそう日は浅くない。
料理は専ら作る専門で、昔からそんなに食わない質でもある。
過敏に気遣う必要はなさそうだが、それにしてもどうした、その顔。
俺はお前のそんな顔、知らない。
十八方面から不穏な噂は聞かないが、まだ何かあると言う事か。
「それにしても久しぶりだな、陽大」
「うん!秀平も皆も忙しそうだものねー礼央たちにも会いたかったな」
バカな、お前のこんな可愛い顔、連中に見せられるか。
俺が見ているだけでも落ち着かないというのに。
「俺で良かったのか?」
どうも調子が出ないな。
滑り出る言葉のすべてが陳腐だ、こんな事を言いたいわけじゃないのに、動揺が治まらない。
陽大は何を気にした様子も見せず、朗らかに笑っている。
「何を仰られますやら!秀平さんの貴重な冬休みにお時間取っていただけて、恐悦至極でございますとも!と言うか、聞いてよー秀平っ!」
「っ…何だよ、どうした」
軽いハグも腕に触れるのも、何も珍しくない。
俺達のスキンシップの多さは昔からだ、けれど俺は何故、こんなにも心を揺さぶられている?
「冬休み中、どなたさまとも遊べなかったんだよー!クリスマスも大晦日もお正月も…ずっとお家でのんびりしてて寂しいったら!あなたたちも捉まらないし、武士道も他の皆さんもメールだけやりとりして、どなたさまもお忙しそうで…そりゃあね、高校生ともなれば恋人さんや婚約者さんの1人や2人…」
「日本は1夫1妻制だ」
「わかってますよーーーだっ!そうじゃなくてですねぇ、受験から解放された初年度と言うのに、こんなに誰とも遊ばない冬休みなんて初めてで、どうしようかと想っちゃったよー」
誰もが遠慮したんだ、陽大。
お前の体調やメンタルが心配だった事もある。
それ以上に、こんな汚れた自分が陽大の隣に立って良いのか、ちょっとわからなくなったんだ。
無論、1番の被害者はお前だ。
俺達も消えない傷を負い、途方に暮れているだけだ。
癒えない想いの代わりに、笑って他愛ない話をする。
「はいはい。今日と言うかけがえのない日に俺を選んで貰えるとは光栄だ。1日中遊ぼうな」
お前の夜が短いのは残念だが、今日ぐらい、お前を独り占めしてやる。
良いだろう、陽大?
俺も随分、我慢してきたんだ。
複雑な胸中の俺を知らず、とんでもなく無邪気な笑顔が返ってきた。
「うん!」
一体どうしたんだろうな。
日は差していないのに、そこら中が眩しく見える程、お前の笑顔は輝いている。
「つか新年早々、マックで良かったのかよ。他に何でもあるだろうに」
ファーストフードに向かって歩き出しながら小突いたら。
輝いていた笑顔から、不可思議な表情に変わった。
笑顔のまま一瞬、目を伏せた、憂いを帯びた横顔に目を奪われた。
ほんの僅かな瞬間の事、すぐに顔を上げた陽大が、俺に向かって笑いかける。
「だってマック、好き、だから…」
お前はそんなふうに笑うヤツだったか?
聖母の様に優しく、けれど切ない色を瞳に宿して、淡い微笑を浮かべている。
「それにね!お正月クーポンがこれまたハイカラでねぇ…うーん、やはりポテトとナゲットつきに限りますな!お年玉でホクホクだからさーお買いものにも行きたいな。お茶は秀平がおすすめって言ってた、お洒落カフェね!」
「…買い物ね…どーせ料理本とかキッチン用品とか雑貨だろ?」
悪いのか!と3発目は緩い拳で受けながら。
にこにこ笑っている、会えばいくらでも話は尽きない、陽大に合わせて笑いながら、言い知れない不安を覚えた。
こんなに近くに居る。
今、陽大の隣に立っているのは俺だけだ。
貴重な2人っきりの時間であるのに、どうして焦燥感に駆られるのか。
陽大、お前はどこへ行こうとしている。
俺達を下界に置いて、お前は1人で変わろうとしているのか。
あの事件が何かの契機だったとでも言うのか。
お前の心の内で、何が起こっているんだ。
夏休みに会った時とまるで違う、本質的には変わらないのに、別人と共に居るようだ。
お前の心が読めない。
ただ、ひとつだけわかっている。
その笑顔は決して、俺だけのものではない事を。
できれば今すぐお前を浚って、俺しか見えない様にしてやりたい。
凶暴な獣が目覚める心地に我に返り、当たり障りのない話に相槌を打ちながら灰色の空を見る。
雲間から幾筋か差す光が、俺には吉凶の内、凶の証としか想えなかった。
2014.7.1(mon)23:14筆[ 646/761 ][*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]
- 戻る -
- 表紙へ戻る -