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再び静かに歩き続ける内、寮付近へ近づいてきたのがわかった。
先輩はどちらまで同行してくださるのだろう。
俺に構ってくださるゆとりがある時期ではない。
貴重な休日だし。
そろそろお別れしなくちゃ、俺からもう大丈夫ですよって言わなきゃ。
だけど、どう切り出したら厚かましくないかな。
それにここで別れたら、次はいつ会えるんだろうか。
余計な想いまで邪魔をして、ますます無言になるしかなかった。
せめてもう少し、なんて俺は何を考えているんだろう。
枯れ葉の絨毯が続く道を、ピカピカのローファーで踏みしめながら、黙々と歩いていたら。
「あ、陽大。ちょっと休憩しよ」
「ほ?!休憩って?」
ふいに先輩が声を上げ、俺のコートの袖を引いて連れられた先には、木のベンチがあった。
ぐるりと辺りを見渡して、春先とは変わったけれど間違いないと確信した。
初めて2人きり対面した場所、一緒にお弁当まで食べた、柾先輩のテリトリーだ。
ずいぶん昔のことのようだ、懐かしさに胸がぎゅうっと縮こまる想いだった。
満開の桜が瞼をよぎる。
あの頃の俺は今より更にのほほんとしていたなぁ。
ぼんやりしている内に、ベンチの枯れ葉や埃をさっと払った先輩が、また俺の袖を引いて促され、ぎこちなく隣に腰を下ろした。
「ん」
「はい?」
「ん」
「はい?」
腰を下ろした途端、大きな手の平を差し出された。
意味がわからず首を傾げる俺に、信じられないものを見る目を向け、眉を顰めておられる。
「…酷ぇ陽大…チョコ、独り占め?」
なんとうっかり玉手箱!
俺ったら、とっておきのごちそうをすっかり上等なホッカイロ扱いにしておりましたよ。
こりゃ大変、しかし温まるは美味しい(らしい)わ、1粒で2度おいしいなんて最高ですねぇ。
さっとポケットから2本取り出して、先輩と缶を交互に見比べた。
「ふっふっふっ」
「ちょ、マジか!なんつー悪い顔を!陽大を信じて預けた俺が愚かだったのか…!」
あらあら、柾先輩がそうまで仰るなら、相当なごちそうなんですねぇ。
「冗談ですよ。人聞きの悪い」
苦笑しながらお返ししたら、ちいさなお子さんのように瞳を輝かせていらっしゃる。
おいしいものを前にすると、先輩も所詮人の子まだ未成年、お子ちゃん化なさいますねぇ。
自然に頬が緩みつつ、プルトップを開けようとして四苦八苦した。
上等なお飲みものだけに頑丈な造りなのか、なかなか開かない。
既に極楽顔で嗜んでおられた先輩に、笑って奪い取られた。
「手袋したままで開くかっつーの。はい、どうぞー」
「…だって、寒いじゃないですか…ありがとうございます?」
「どういたしまして?」
いただきますと呟いて、あったかいホットチョコレートを一口飲んだ。
「美味いだろー」
ご自身の手作りでもあるまいし、得意気な先輩を見上げながら、コクコク頷く。
濃厚なのにクドくない、甘さも程よい。
ほろ苦甘い、しっかりしたショコラの味と、今は枝ばかりが目立つ桜の木たちに、なんだか胸が締めつけられ、鼻の奥がツンとなった。
マフラーに顔を埋めて、何とかやり過ごす。
春先に戻りたいなぁなんて。
でも、この気持ちを知らなかった頃に戻るのはとても寂しいように想う、何故だろう。
まだ平和だった頃に戻って、やり直せるなら学校を騒がせないように気をつけて行動する、それはいいけれど、柾先輩とお話することもないだろう。
それはすごく辛いことのような気がする。
今のほうがキツいはずなのに、叶う想いじゃないのに、どうして。
「体調は?」
「え?」
静かに問いかけられて振り向くと、やわらかく光る穏やかな双眸をまともに目にした。
「結構歩いただろ。静養後だから、山の空気は良いにしても堪えてんじゃね?」
「だ、大丈夫ですよー俺を何だと想ってるんです?リハビリがてらご近所に出かけたりしましたし…全然、平気です」
「そっか。なら良かった。けど無理すんなよ」
一瞬だけ、いつもまっすぐな先輩が目を伏せて、どきっと心臓が震えた。
目を上げた時にはもう、印象的な眼差しに戻っていたけれど。
躊躇うような表情に見えた、言い難いお話が始まるんだと、空になった缶を握り締めた。
「これからの事だけどさ。陽大が聞きたくない話もあると想う…どうする。戻って来たばっかりでキツいだろうから、取り敢えず予定だけ話そっか」
「大丈夫です…全部、話してください。モヤモヤしたままのほうが、イヤ、です。俺、すごくゆっくり休ませていただいたので元気ですし、大体のことは覚悟してます。柾先輩のお時間に支障がないなら全部聞きたいです。お願いします」
姿勢を改めて、まっすぐな視線に恥じないように見返した。
先輩はすこし目を見開いて、ひっそりと微笑った。
2014.5.31(sat)23:39筆[ 626/761 ][*prev] [next#]
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