たくさん眠った。
 たくさん、母さんの手料理を味わった。
 たくさん考えて、ゆっくり、十八さんと母さんと言葉を交わした。
 いろいろな道を、あちこちから提案していただけた。
 家族からは休学か、調理の専門学校へ入るか、退学して暫く家事手伝いでもいいって言われた。
 ベッドから起き上がれるようになった頃、秀平たち昔馴染みの友だちからは、皆がいる高校へ転校してこないかって誘われた。

 いずれにせよ皆、俺が焦らないようにって最大限気遣ってくれて、母さんに今こそ甘える時だと言われたから、遠慮なく時間をかけて考えた。
 その間もずっと、柾先輩からの写真だけ、本文のないメールは途切れなかった。
 家の中にいれば、安心で。
 もう俺のために夜中働きに出ることのない、母さんがずっといて、テキパキと家事をこなしている。
 日が暮れたら、十八さんが帰って来て、守ってくれる大人が側にいることを実感する。

 何不自由なくゆっくり過ごせる、だから、起こったことは過去の話だと遠ざけていられるけれど。
 正直、この安全な家から1歩出た時、自分がどうなるかわからなくて怖かった。
 時間は淡々と過ぎ去っていくのに、怖い夢を見る。
 記憶はおぼろげなのに、笑いながら殴られたこと、肌に触れる知らない人たちの手の感触や、耳を突く嘲笑がふとした瞬間に甦る。
 家にいれば大丈夫とやり過ごせても、外に出た時、うまく耐えられるだろうか。
 
 十八学園に、俺はいてもいいのだろうか。
 皆さんにあんなにご迷惑をおかけしたのに。
 あの時、たくさんの方が手を尽くして探してくださったそうだ。
 そのお礼もままならない状態なのに、更にご迷惑をおかけするのではないだろうか。
 入学当初からお騒がせキャラクターだったのに、自分の存在がよくわからない。
 こんなに自分のことがわからないのは初めてで、何が最善なのかまったく選べなかった。

 見失いそうだった、暗闇にひっそりと灯り続ける光がなければ。
 
 「待ってる」と言ってくださった。
 どんな意味か、決まった答えがあるのか、複数の意味を有しているのかわからないけれど。
 俺がどんな結論を出したとしても、待ってくださっている。
 十八学園で、先輩は先輩らしく一生懸命に頑張りながら、ただ静かに待ってくださっている。
 優しい写真の全部が、語りかけるように見守ってくれていて。
 勝手な想いこみかも知れないけれど、会いたいなぁって想った。
 
 そう想ってもいいのかなぁ。
 自分の気持ちすべてがあやふやで、とりとめのない形をしていて、柾先輩をどう想っているのかもわからないぐらいなんだけれど。
 会いたいな。
 会いたい人がいるから、会いに行ってもいいだろうか。
 実際に学校へ行ってみて、とても無理だと感じたら、改めて答えを出してもいいだろうか。

 12月になろうとしていた、最後の1週間、近所をお散歩したりスーパーに買い物に行ったりして、軽くリハビリした後。
 俺は、十八学園へ戻った。


 街とは異なり、もうすっかり冬の空気に変わっている。
 十八さんのお家の方に裏門まで車で送っていただき、緊張しながら1歩を踏み出そうとして。
 門の前に佇む人影にぎくりと心が震え、後ずさりそうになったけれど、こちらを振り返るその人を見て踏み止まった。
 車中で着こんだコートを、所在なくぎゅっと合わせる。
 白い息を吐きながら、眩しそうに目を細め、時間をかけて微笑を刻む姿を、足を止めたまま息を詰めて見つめ続けた。

 車が去って行くエンジン音が聞こえる。
 
 「…おかえり、陽大」

 つられるように、寒さか緊張か、強張っていた頬が緩んだ。
 「…ただいま、です…柾先輩」



 2014.5.26(mon)22:59筆


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