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どうやったら逃げられる?
どこか隠れられる場所、この人たちの手が届かない場所はないのか。
隙を突いたら、一瞬でいい、九さんみたいに脇をすり抜けることができる筈。
目だけを動かして、辺りの様子を探ろうとして。
人垣で多くの脚が林立する中、明かり取りしかない部屋を確認した。
じゃあ、扉は?
すっと顔に影がかかり、反射的に身体が後ずさろうとする。
その瞬間、身体中に走る痛みに、血の気が引いて行くのがわかった。
こんな身体では歩くのも関の山、逃げたとしてもすぐ追いつかれる。
目の高さを合わせるように、カメラを構えたままの一舎さんが片膝をつく。
ジーと機械が作動している音が、やけに耳についた。
レンズに隠れてその表情はほとんどわからない筈なのに、一舎さんが笑っておられるのが何故かわかった。
接したことも、お話させていただいたことも少ない。
お身体が弱いとお窺いしている、よくお休みされたり早退なさっておられたことも関係している。
けれど食堂に皆さんとご一緒したり、教室でお弁当を囲んだり、体育祭でクラス一丸となって盛り上がったり、目が合えば二言三言交わしていた。
校内ですれ違えば、一舎さんから話しかけてくださったこともある。
俺が生徒会入りをして、今回また騒動を起こしてしまって、クラスの皆さんにも遂に愛想をつかされてしまったのに、それでも一舎さんは変わらず接してくださっていた方の1人だ。
どうしてここにいらっしゃるのか、カメラを構え続けておられるのか。
ほんとうに苦しそうにしていらっしゃったのに、お身体はもう大丈夫なんだろうか。
この方々とどんな関係をお持ちなのか。
散りじりに浮かぶ思考と切り離されたように、勝手に震え始める身体、どちらもコントロールできなくて。
「九が逃げた時に扉は鍵かけちゃいまシタ。外にも応援呼んでマス。大体こんな学園の外れの廃墟に誰も来るわけありまセン。つまり、君は何処にも逃げられナイ。可哀想なお母さん…他のヤツらは今頃、学園祭で大盛り上がりなのにネ。でもある意味コレもお祭りデショ?ホントは姫コスして欲しかったケド、そこまで準備できなかったのが唯一の心残りデス」
「どうしてこんな…」
「どうして…?それはコッチの台詞だネ。『どうして』『いつも』俺だったのか…」
え?
急に一舎さんの纏う空気が変わった気がした。
最後の言葉が聞き取れず、聞き返そうとしたけれど。
乱暴に一舎さんを押し退けた方々が、目を見開く間もなく、俺の頭と両腕、両足に体重をかけるように拘束した。
あちこち熱を持ち、どくどくと脈を打って痛んでいた、一瞬すべてが消え失せた。
びくとも動かない。
そこへ腰の辺りを跨ぐように勢いよく馬乗りになってきた人が、横に払い除けた一舎さんに舌打ちをした。
「話長ぇーんだよ、お前は。さっさっとヤれっつったのはお前だろーが。いー加減こんな手応えねーチビをボコんのも飽きたっつの。始めんぞ。おい、そのご大層なカメラで精々イイ画、撮れよな。言っとくけど、このチビで満足できなかったらお前もヤるから」
またわき起こる笑い声に、喉の奥がひゅっと鳴った。
「おーおーかわいちょーに、そんなウルウルして怯えちゃってぇーナニナニお母さん、震えちゃってんのー?ハハっ、チョットその顔はそそるわー。お前ら、ちゃんと抑えとけよ」
「次はオレね、オレー」
「順番決めんの面倒じゃねー?同時にブチこみゃいーだろ」
「てめーと同時はゴメンだけどな」
「もう良いからさっさとしよーぜ。服なんか破いちゃう?」
「良いな、ソレ!強姦DVDらしいじゃん」
嘘だ。
こんなの嘘だ。
そうだきっと、悪い夢を見てるんだ。
最近あまり寝つきがよくないから、ずっとバタバタだったから、疲れてるんだ。
これは悪い夢で、目が覚めたらいつも通りの日常で。
一成や仁が隣にいて、お弁当をたくさん作って、心春さんや穂さん、3大勢力の皆さんや先輩方と笑いながら食べて。
柾先輩。
柾先輩にも「美味い」って、笑いかけていただけたりして。
バカ笑いでもいいから。
でも俺は今、現実にひとりだ。
こんなにたくさんの方々がいるのに、知らない人ばかりで、ひとりなんだ。
シャツのボタンが飛び、破れる音が他人事のように耳にこだまする。
自分でどうにかしなければならないと、虚ろに自覚して暴れようとするけれど。
指1本動かすことも不自由で、身体にかかった重みは一向に消えなくて。
「へー肌はキレーじゃん」
「イケんじゃね、コレ!」
「ほらお母さーん、もっと泣くなり叫ぶなりしてよー」
「演出!演出!」
「泣けっつってんだろ、ゴラ!」
「あんまり殴ると、顔変形し過ぎて誰かわかんなくなるじゃん」
皮膚を這う、俺のものではない、他人の手と指。
素肌に触れる、生温い空気。
目に入るどの表情も、愉悦を浮かべている。
喧嘩を楽しんでいる顔とはまた別の、男の、獣の顔。
ぼやけた視界で見上げた天井は、無機質な灰色のコンクリートで、倒れているこの床と同じだと想った。
怖い。
怖くて仕方がない。
夢であって欲しい、早く覚めて欲しい。
覚めない夢ならば、心ごと全部壊れてしまいたい。
何も感じたくない、考えたくない。
もう嫌だ。
素足に触れる手を感じた瞬間、目なんか潰れてしまえばいいと、固く目を閉じた。
2014.5.10(sat)23:51筆[ 611/761 ][*prev] [next#]
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