77.暗闇の淵


 どうしてこうなってしまったんだっけ?

 頬が、口元が、鳩尾が、腕が、足が、灼けたように熱い。
 心臓が頭の中に移動したのかというぐらい、ガンガンと鼓動が響いていて、その痛みで起きている状態だ。
 喉から鉄の味がする。
 身体中が熱い、なのに冷や汗と震えが止まらない。
 これは何?
 
 息吐く間もなく殴られ、蹴られ続けた。
 俺を見下ろし、手足を出し続けて乱れた息を整えようと動きを止めた人垣の合間、知らないお顔ばかりの中、一舎さんの姿が見えた。
 ずっとビデオカメラを構えられているから、表情は窺えないけれど、一舎さんだって、俺は知ってる。
 うっすらと、ここに至る状況を想い出す。

 確か、今朝からずっとバタバタしていて。
 お世話になっている皆さんに、こっそりとでも差し入れしたいなって、昨夜作ったクラッカーを袋詰めしてから、慌てて登校したものだから余計にバタバタだったんだ。
 そのまま生徒会のご用事で駆け回っていたら、あっと言う間に心春さんと穂さんと約束していた時間になった。
 更に慌てながら、待ち合わせ場所に向かった。
 向かっている途中、学園中が賑わっている中、人気のない校舎の陰に一舎さんがいた。

 様子が明らかにおかしくて。
 壁に手をついて、今にも倒れこみそうな姿勢で、肩が大きく上下していたから、びっくりした俺は側へ飛んでいった。
 ゼイゼイと苦しそうな呼吸をしている、青白い顔に焦って、背中をさすりながら保健室に行かなくちゃって想っていたら、偶然にも穂さんが通りがかった。
 穂さんもすぐ飛んできてくださって、「知り合いにこんな症状のヤツがいたから、オレ慣れてる!ヒロの事、見てるから誰か呼んで!」と促されるままに、携帯を取り出した。
 
 それから?
 「ククっ、2人揃って手の内に飛び込んで来るなんて、ネ…本当にツイてる…」
 声が聞こえたと想ったら、急に視界が閉ざされて、意識が遠くなった。
 目を覚ましたらここにいて、この人たちに囲まれていて。
 あの声は、誰の声?
 一舎さんの声だったのか。
 信じられなくて、人垣の狭間を見つめて、でもカメラのレンズでは何もわからないと目を逸らした。

 「ちっ、ったく…小賢しいんだっつーの!!」
 「い…っ!!」
 意識が逸れている間に、状況をなぞっていたひと時の休息は、強く踏みつけられることで終わったようだった。
 大分着崩されているけれど、十八学園の制服を着ている、一際尖った眼差しの方に髪を掴まれ、顔を上げさせられた。 
 「お母さんさぁーわかってんのー?」

 間近に突きつけられた澱んだ眼差しに、悲鳴が零れそうになって、唇を強く噛んだ。
 この人には、何を言っても通用しない。
 理屈抜きで瞬時に悟った。
 どんな話もできない、この人の気が済むまで何も終わらないんだと。
 「せっかくウツクシイ友情で九穂を逃してもさぁーあんなクソガキにナニができる?アイツの言うことを誰が信用する?知っててツルんでんの?阿修羅のエンジェルの根性無し伝説ー」

 「み、穂さんはっ」
 ばしっと強い勢いを感じたかと想うと、見る間に熱を発する頬。
 「誰がてめぇに喋ってイイ権利あるっつったよ…?黙って聞いてろ!あのエンジェル様はなー弱いヤツしか相手にしねー、土壇場ですぐ逃げる、自分が助かる為なら誰でも裏切るって有名なんだぜー?アイツを逃がした所で、お母さんの役には立ってくれないんでちゅよー!今頃、ベッドの中で震えてんじゃね?」
 ギャハハハと周囲から一斉に笑い声が起こった。

 「穂さんを悪く言わないでくださいっ!役に立つ立たないではなくて、無事ならそれでいい…ぐっ」
 「ったく、お母さんはウワサ通り説教くさいでちゅねーどこにそんな余裕あんのかなー!状況わかってるのかなー?お前が得意気に振りかざしてた柾の権威、とっくに効果なし!すっかり見捨てられてんじゃーん?かわいちょーに、お母さん、ひとりぼっちだねー。どの道さー、ヤツらが万一助けようとしたってこの場所だけはわかんねーのよ。お母さんはオレらに喰い散らかされて潰されんの。わかったかなー?」

 さっきより大きな笑い声と、「「「「「泣ーけ!泣ーけ!泣ーけ!」」」」」と手拍子がわき起こる。
 力の入らない身体、蹲っているのが精一杯だけれど。
 俺は、絶対に下を向かない。
 そう決めたんだもの。
 顔を上げた、すぐに蹴られそうになって、横を向いてどうにか直撃を避けた。
 
 「泣けっつってんだろうが!!お前如きがオレに逆らうなっ胸くそ悪ぃんだよ!!」
 「マジ生意気ー」
 「何なのコイツ」
 次々上がる不満の声と、不穏な空気に、また殴られ蹴られ続けるのだろうかと息を呑んだ時、ビデオカメラを下ろした一舎さんが、無表情で淡々と言葉を発した。
 「もう良いデショ、先輩方」
 庇ってくれるのだろうかと、それは一瞬の淡い期待で、でも。

 「早く犯っちゃって下さいヨ。時間が勿体ない。万が一、九穂が余計な機転でも利かせようものなら一大事デス。これだけ頭数いたらマワすのも大変デショ」
 一舎さんは、何を仰っておられるのだろう。
 遠い世界の、聞き慣れない異国の言葉を耳にしたようで、呆然と見上げた。
 俺を見返す瞳は、ただひたすら暗く、一筋の光も見えなかった。
 目を、見開いた。

 「フン、それもそうだな。あーあ、オレはどーせならエンジェルちゃんのが良かったけどなーギャーギャーうるせーけど、ビジュアルはアイツのが良いしよー」
 「オレなんかヤリ放題・時間制限ナシって聞いたんだけどー」
 「喰い放題のつもりで来たのになーこんな色気ねーガキ1匹か」
 「いや、コイツさー体育祭で女装してよー意外な程イケてたんだぜ。だからヤってたら豹変すんじゃね?!」

 嫌な汗が背中を伝った。



 2014.5.7(wed)23:20筆


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