75.九穂



 オレには、年の離れた兄ちゃんがいた。
 オレのことをいつも大事にしてくれた兄ちゃん。
 生まれた時から身体が弱かった兄ちゃんは、生まれた時から元気いっぱいだったオレを、すごく可愛がってくれた。
 オレは、兄ちゃんのことが大好きだった。
 
 学校にも行けず、いつもベッドの中にいた青白い兄ちゃんは、でも綺麗で優しくて、読書家だったからいろんな事を知ってた。
 父さんや母さんには、あまり兄ちゃんの側にいかないように、寝るのを邪魔しないようにって、よく怒られたけど。
 『穂と話すの、すごく楽しいから』
 『穂が側にいてくれると、僕まで元気になれるから』

 兄ちゃんはちっとも怒らないで、オレをよく側に呼んでくれた。
 物知りの兄ちゃんだから、オレの話や遊びなんて面白くも何ともなかったかも知れないなって、大きくなってから思ったけど。
 うんうん、それから?って、どんな話でも興味深そうに聞いてくれた。
 『穂は偉いね。強いんだね』
 『穂は本当に勇敢で良い子なんだなぁ』

 兄ちゃんが誉めてくれるから。
 血管が透けて見える、華奢な手で頭を撫でてくれるから。
 いつまで経っても外に出れない兄ちゃんの分も、オレが頑張るんだって。
 『でも、危ない目に遭いそうになったらちゃんと逃げるんだよ?』
 『穂が大怪我でもしたら、僕は耐えられそうにない』
 『元気で明るい穂は、皆の光なんだから。穂が傷ついたり、泣く事がありませんように…』

 兄ちゃんの言う事に間違いはない。
 だって、兄ちゃんの言う通りに勉強したら、テストの点もいつも良いんだ。
 オレ、頑張るよ!!
 大好きな兄ちゃんの為なら、何だって頑張るし、言う通りにして良い子にするから。
 だから、早く元気になって。
 だから早く、一緒に外へ出て遊ぼうよ。
 兄ちゃんと一緒にやってみたい事、行ってみたい所、たくさんあるんだ!

 でも、どんなに頑張っても兄ちゃんの具合は悪くなるだけだった。
 ある日、学校から帰ったら、2度と目を覚まさなくなっていた。
 何度呼びかけても、揺さぶっても、どんなに良い子にしていても、兄ちゃんは2度と笑ってくれなかった。
 寿命だったのよって、泣き崩れる母さんから何度も言い聞かされた。
 最初から決まっていた事だったのよって。

 オレはまだ幼くて、ただ呆然と、いつも点滴に繋がれたままだった腕、注射の痕が目立つ細い腕がやっと解放されていて、兄ちゃん良かったねって思った。
 兄ちゃんを失ったから、失ったからこそ、オレはいつも元気でいようって誓ったんだ。
 口にこそ出さなかったけど、調子の良い時は起き上がって、ずっと外を眺めていた兄ちゃん。
 オレが家の庭を駆けずリ回るのを、目が合うと笑ってくれたけど、寂しそうだった兄ちゃん。

 友達とケンカして傷だらけになった事さえ、羨ましそうだった兄ちゃん。
 最後までベッドに縛り付けられていた兄ちゃんの分も、オレが全部頑張る。
 辛そうな父さんと母さんのためにも、オレが元気でいるから。
 天国にも届くぐらい、ね。
 オレは元気に楽しくやってるよ。
 兄ちゃんも空の上で、どうか元気でいて、笑っていて。

 大好きな兄ちゃんの笑顔のために。
 ガッコも勉強も面倒だけど、たまにサボるけど行くからね。
 友達もたくさん作って走り回って遊んで、今日も楽しく過ごすんだ。
 そうやってずっと暮らしてきた。
 オレはどこで間違えたんだろう?
 何がどこからおかしくなっていたのか。




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