今でこそ落ち着いているけれど。
 あの後は、何が何だかわからなくて、逃げるように先輩から離れてクラスへ戻った。
 号外が出て、ますます混乱して、試験をどう乗り切ったか記憶が定かじゃない。
 よく追試なく夏休みを迎えられたなあって、我がことながら感心だ。
 却って、怒濤の試験期間に突入したことで、助かったかも知れない。
 まともに話す余裕などなく、顔を合わせないまま終業式になったから。

 唇に触れて、自然に苦笑が浮かび、すぐ指を離した。
 まだ覚えてる。
 柾先輩のぬくもりを。
 号外の中の先輩と目が合って、慌てて裏返した。
 おおきな手が頬に触れたこと、腰から抱き寄せられたこと、俺は忘れられないのに、きっと先輩はとっくに忘れている。

 お疲れさまだっただろうから、忘れる以前に、最初からなかったことになっているかも知れない。
 俺と話したことすら、覚えてないかも知れない。
 すべてを忘れて、大切な「れな」さんのことだけ、今は。
 貴重な長期休暇だもの。
 誰もが嬉しい夏休みだから、満喫されておられることだろう。
 そもそも俺のことなどに気を取られる暇などない御方だし。

 けれど、俺は覚えている。
 忘れられない。
 どんな瞬間も、考えてしまうのは柾先輩のことばかり。
 あんなに苦手だったのに、距離を置きたいって想っていたのは、どうしたって惹かれてしまうことがわかっていたから?
 自己防衛の一種だったのか。

 カサリと、手の中でくたくたの号外が音を立てた。
 始まった途端、いや、始まる前から終わっている恋なんて、ほんとうに存在するんだ。
 想っても仕方がない、どうにもならないこと。
 さっさと諦めたらいい。
 お相手さまに例え婚約者さんがいなくても、初めから無理な恋だ。
 同性で、とんでもない美形イケメンさんで、すべてに万能で、住む世界が違うどころの話じゃない。

 それに、柾先輩のことを想っている方が、たくさんいらっしゃる。

 ずきりと、一際強く胸が痛んだ。
 でも視線の先では、優しい眼差しの先輩が、微笑っていて。
 こんな風に、俺の前でも笑ってくれたらいいのにって、浅ましく願う俺がいて。

 コントロールできない自分の気持ちに、笑うしかない。
 どうしようもないんだ。
 夏休み中いっぱい、悩んで悩んで考えた。
 こんなどこにも辿り着けない気持ち、手放してしまえばいいのに、1度根付いたら消えてくれない。
 消化できない想いを持て余して、どうしたらいいかわからなくて。
 
 どんなに考えても、わからなかった。
 どんなに捨てようと想っても、この気持ちは消えなかった。
 だからもう、そのままにしておくことにした。
 いつか自然に消えていくまで、そっと見守ることにした。
 そういう結論にたどり着いてから、やっと楽になれた。

 俺だっていつか恋をするんだろうなぁと想っていた。
 でもそれはもっと先かも知れない、先ず夢に近づいて、もっと成長して、立派な男になってからじゃないと無理だって。
 自信がついたら、恋をして、いつか幸せな家庭を築けたらいいなって、ひそかに想い描いていた。
 1男1女の明るい4人家族で、更にわんこさんがいたら最高だ。
 
 「まさかのまさか、予想外、ですよー…」
 そろっと号外の笑顔をはじいて、笑った。
 でもね、大丈夫。
 ちゃんとわかっているから。
 こんな気持ち、誰にも言わない。
 叶わない無謀な想いだってわかっている、消えてなくなるまで俺1人が見守る。

 いつか笑い話にできるだろう。
 俺、ちょっとだけ先輩に憧れてましたよなんて、冗談混じりに話せるだろう。
 例えば、先輩の卒業する時にはもう、すっかり晴れ晴れと笑っている。
 だから今は、すこしぐらい泣いてもいい。
 誰にも迷惑かけないから、本音は墓場まで持って行くから。
 泣き笑いながら開いた携帯には、夏休み限定で設定した待ち受け画面が映っている。

 まったくお会いする機会のなかった、柾先輩から届いた簡単なメール2通。
 その内の1つ、添付されていた写真には、どこかのリゾート地だろうか、海を背景に笑っている先輩とマロンさんの姿が映されていた。
 飼い主さんに会えて嬉しさ全快のマロンさんと、先輩の素の笑顔が幸せそうで、見ている俺まで嬉しくて、同時に苦しいのだけれど削除できなかった。
 
 「――…陽大〜!時間よ――!」
 「!は―――い!今行く〜」
 階下から母さんの呼ぶ声が聞こえて、急いで立ち上がった。
 明日はいよいよ始業式、今日は入寮日だ。
 まだ暑いから夏服のまま、1ヵ月ぶりの制服はなんだかとても懐かしかった。
 荷物を持って、携帯を手にして、先輩とマロンさんを見て。
 待ち受け設定を解除した。

 号外は机の引き出し、奥底へ入れた。
 次に帰って来た時は忘れている。
 自分に言い聞かせながら、ゆっくりと部屋を見渡し、「いってきます!」と一声、扉を閉めた。



 2014.1.30(thu)23:20筆


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