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慌てふためいた俺は、とっさに辺りをぐるぐる見渡した。
相変わらず人の気配はない。
上下左右斜め、今のところどこにも人影は見当たらない。
校舎内も、俺の視力が届く限り、こちらを見ておられる気配は窺えない。
そりゃあそうか、原則として閉会式後、10分休憩のち立食パーティーへ突入、その間の校舎内への立ち入りは火急の用事以外、許可されていない。
ちょっとほっとなって、すぐに柾先輩に向き直ったら、何故かお腹を抱えて声にならない笑いに苛まれていらっしゃった。
まったく一体全体、この御方はなんなんでしょうか!
「恐ろしいことこの上ない発言の後はバカ笑い…さぞや愉快な人生でしょうが羨ましくないのが救いでございます…」
想わずぼそっと本音を呟いたら、更にひーひー笑われた。
もう辞去させていただいても構わないですよね?
俺の大事な大事なAチームへ、戻っても構わないですよね。
柾先輩のお相手役には、俺は不相応どころか不敵材、釣り合わないどころのお話しじゃありませんもの。
よくわからない発言ばかり、真意を掴めないまま振り回されるのは大層疲れます。
「俺、パーティーがあるので、これにて失礼させていただきますっ?!」
笑い転がりそうな御方を放置して、さり気なくそうっと身体を反転させ、その場から抜け出そうとしたのに、手首を掴まれた。
ずいぶん熱い手の温もりに、やっぱりお熱かと想いつつ、また四方八方をぐるぐる見渡す事態となった。
「先輩、もうほんとうにこれ以上のお戯れは、」
「何とつれないお言葉…はる姫、つい先刻、永遠の愛を誓ったばかりだと言うのに、もう私を置いて行くのですか」
んなっ?!
想い出したくもない、お芝居の片鱗が見えて、固まるしかなかった。
固まった俺を、まだ笑っている眼差しが射抜いて、面白そうに口角を上げている。
「つーかこんな所、誰も来ねえし見もしねえって。生徒どころか全職員、やっと終わったデカい祭りを祝して羽伸ばすのが第2の祭り。陽大はこの俺の想いやりをスルーして祭り優先なわけ?ひどくね?つーかぐるぐる回ってんのがハムスターみてえ」
俺にどうしろと言うのでしょうか、寧ろどなたか来てくださいませんか。
「ハムスターさんをバカになさらないでくださいませ!ハムスターさんに失礼でございます。ハムさんにはスターがつくのですから!」
「ぶはっ!スターって!お前な…!マジ、笑わすなっつの」
「柾先輩が腸捻転になる前に、旭先輩をお呼びして参りますから、このまま少々お待ちくださいませ。と言うか、お放しいただけませんか、マジで」
「またか、腸捻転…話終わってねえじゃん。逃げんなよ」
逃げさせてくださいよと、手首を解放する間はなく、突如、聞き知った大きな破裂音が空一面に鳴り響き、反射的にそのまま叫んでしまった。
「た――まや――!!」
「ぶはっ!お前なぁ…」
「すご―――い!!先輩、先輩、花火がっ!!あんな見事な…た――まや――!」
「ははっ、あー…面白いな、陽大はマジで。花火好きなのな」
「日本人ならば当然でございますっ!花火が嫌いな日本男児が何処に居りましょう。いえ、居るかもしれませんけれども、そんなことはどうでもいいのです。わぁ!!おっきいー!!」
夏のまだ明るい、変わりたての夜空に咲き誇る、大輪の花、花、花!
赤、緑、黄色と、おおきく花開いては潔く、夜空に溶けるように消えてゆく。
休む間もなく、打ち上げられ続ける花火に、俺はすっかりすべてを忘れて、夢中になっていた。
「なんと素晴らしいっ!こんな立派な花火が、まさか学校で?!すごいすごい!!」
「規模は通常の大会とかより小さめで仕掛けもないけど、毎回1000発は上がってんじゃね。たぶんこの近辺の…山下りてすぐら辺、一般の見物客も居る筈だぜ」
なんとまぁ、近隣住民の皆さまにとっても、ちょっとしたお祭りというわけですね。
だってほんとうにすごいもの!
校舎と森しかないから、空が広くて遮るものがない、だから余計にクリアに見えるのかな。
「わああっ、珍しい青い花火っ!!先輩、見ました?!」
嬉々として先輩を振り返った、俺はまさに隙だらけというか、警戒も何もあったものじゃなくて。
だって柾先輩だからと、そこはすごく安心していて。
だってたくさん、先輩を想う人たちも居れば、先輩の想い人も当然、外の世界にいるだろうって。
一際おおきな、打ち上げ花火の音が鳴り響いていた。
きっといちばんの、メインの花火だったんだろう。
グラウンドの方から遠く、歓声が聞こえてきたから。
俺は、見ることができなかった。
残響だけを耳にしていた。
目の前で、たった今、何が起こったのか。
それだけでいっぱいで。
離れていく、それは端正なお顔立ちを呆然と見つめ、つい今しがた、俺に確かに触れていた唇が、やわらかく微笑を刻むのを目で追っていた。
とても静かで。
「陽大、頬まっ赤すぎ。花火で盛り上がり過ぎじゃね?」
くっくと喉を振るわせて、悪びれなく無邪気に笑っている。
強張っていた身体の感覚が、ようやく正常に戻ってきて、腰にも頬にも、この人の手が置かれているのがわかった。
わかったからって、俺は僅かにも動くことすらできない。
「……な…な、な…な、んで…」
動揺で上ずる声に、先輩はこんなに近くにいるのに通常モード、きょとんと首を傾げておられる。
「なんとなく?」
「な…?」
なんとなく?!
「んー。あ、さっき本番でできなかったから?」
「ほんばん…?」
また想い出したくない黒歴史間違いない記憶に、目を見開くしかない。
この御方は何を仰っておられるのか。
「あ。何か気ぃ済んだかも」
カラカラ笑って距離を空ける、再び伸びてきた手が頭に触れる。
どうしたらいいのか、わからない。
柾先輩が「そういう」意図じゃないことだけはわかる。
ただからかっておられるだけ、面白がっておられるだけ、何となく気が向いたというか惑われたというかお疲れさまというか。
俺に好意などあるわけがない、だって俺は面白い後輩なだけだから。
まともに反応するほうがおかしい、笑い飛ばすなり怒るなりして、この場限り流すべきことだ。
期待なんて、しない。
してはいけないと、あらかじめわかっていることをする程、俺は落ちぶれていない。
なのにどうして、こんなに心臓がうるさくて、こんなに胸の奥が痛むんだろう?
泣きそうに熱い、温もりが唇にいつまでも残ったままで。
何の期待も未来もない。
絶対に好きになってはいけない人なのに。
ちゃんとわかっていたのに。
それでも花火は夜空に咲き続け、闇の中へ散っていった。
その週空け、朝1番に撒かれた号外には「柾昴、深窓の令嬢Rと熱愛中?!遂に明かされた!愛して止まない婚約者の存在、独占入手情報」という、大きな記事だけが載っていた。
2014.1.21(tue)22:47筆[ 533/761 ][*prev] [next#]
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