35.孤独な狼ちゃんの心の中(1)
テーブルは拭いた。
念入りに拭いた。
やる事なくなった。
だから、水の流れる音が絶えないキッチンへ戻った。
アイツは楽しそうに食べ終わった食器を洗ってる。
実際、楽しいんだろう。
洗っている食器が立てる音も、リズミカルで耳に心地良い。
喧嘩して勝って、大した間柄でもない連中と騒いで盛り上がる、薄っぺらい俺とはまるで違う。
マジで、楽しそうだ。
晩メシはどうするのかと思ってた。
アイツが部屋に引っ込んで、ゴソゴソ・バサバサ・ガタガタ、遠慮がちな音が響きだしてから随分経った。
日も暮れてる。
アイツはどこか抜けてるカンジがするから。
アレが世間一般の人間、なのかも知れない。
ここでは、「世間一般」の常識が通用しねーから。
知ってる俺が、同室の義務上、多少は教えてやんねーと。
余計な世話を焼くつもりはない、最低限だ。
面倒くせーけど、初日ぐれー食堂に付き合ってやっても良い。
購買のが面倒ないけど。
そう思って、アイツが出て来るのを待ってたら。
タメだし別に俺に対してビビってもいねぇクセに、敬語とかさん付けで話し掛けてきたから、止めろって言った。
そしたら、俺と「ゆっくり時間をかけて親しくなりたい」とか、こっ恥ずかしいこと、恥ずかし気もなく言いやがった。
マジ、変なヤツ。
なんなんだ、コイツは…
引きながらも、メシのことを何とか聞いたら、あっけらかんと作るとか言って。
熱く語り出して。
マジ、変なヤツ。
こんな寮なんかで、何が出来るっつーんだ。
そもそも、ぽやっとしたてめぇが、料理なんざ出来るんだか。
放置して、さっさと部屋へ戻ろうとしつつ、慣れない環境でトロくさくケガなんかして、俺の所為にされたら堪ったもんじゃねーし。
ちょっとばかり様子を見てからと思う間に、今まで嗅いだ事ない腹減る匂いや、賑やかな音が漂ってきた。
キッチンを覗いたら。
料理なんざしねーしわかんねー俺でもわかる、複数の作業を同時に手際良くこなしている姿。
大量の野菜も何もかも、美味そうに用意されていて。
あちこちから良い香りの湯気が立ちのぼっている。
その中心に居るアイツは、それは活き活きとして楽しそうだった。
成り行きで、俺も一緒に食う事になった。
アイツが楽しそうに作った料理は全部、とんでもなく美味かった。
野菜なんかろくに食わねー俺ががっついた。
アイツは笑って、おかわりさせてくれた。
目玉焼きの黄身に肉とキャベツを絡めて食ったら美味いとか、ここへ来るまでの森だか庭だか桜だかがキレイで嬉しかったとか。
他愛のない話をしながら食って、でもそれが、イヤじゃない。
生まれて初めて、美味いメシを、しかも今日会ったばっかの他人と一緒に食った。
食う前も、食った後も、不思議と何か手伝えないかと思った。
けど、俺に大した事は出来ない。
皿洗いさえまともにやったことがないと言うと、アイツはバカにしていない笑顔で、今日はテーブルを拭いてくれと言った。
使った皿は全部、コツコツ集めた大切な皿だし、機会があればおいおい扱い方を教えるって。
俺がいつか、皿洗いできる日は来るのか。
それだけじゃない、いつか、もっと手伝える日は来るのか。
箸の上げ下げしかした事ない俺が、キッチンで隣に立てる日はいつだ。
「あ、美山さん。終わりました?」
俺に気づいたアイツの、敬称と敬語が消える日は、いつだ。
「ありがとうございました!すごく助かりました」
もっともっと、助けられる日は、いつだ。
いや、それよりも。
「もうちょっと待っていただけますか?まだお時間だいじょうぶでしたら、食後に苺がありますから…練乳かけてモリモリ食べましょう!」
頷いてから、ぼそっと、締まりなく言った。
「メシ…」
「はい?」
「………サンキュ」
ダッセー俺のちゃちな呟きを、アイツはちゃんと聞き入れた。
「はい!こちらこそ!ご一緒できて、たくさん召し上がっていただけてうれしかったですー!」
俺がちゃんと、「ありがとう」を言える日は、いつだ。
この笑顔を真っ直ぐ見つめられる日は?
…いつか、ちゃんと向き合えたら良い、とか、らしくなく思ってた。
2010-05-06 22:51筆[ 49/761 ][*prev] [next#]
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