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すべてに辟易しながらも、俺の想像など及ばない程に高価で貴重なものに違いない、うつくしい装飾が施された繊細なティーカップに手を伸ばした。
かぐわしい、高貴な花の香りが鼻をくすぐった。
立ちのぼる湯気すら、計算されたアートのように見えてしまう。
それはきれいな紅色のお茶。
緊張と同時に、ちょっとばかりわくわくしつつ、そうっと一口。
きちんと熱いお茶が喉を通り抜けていった。
後口がまろやかで、ほんとうに香り高く、渋みも苦みも一切ない。
「…おいしい………」
想わず、そのままの感想が口を突いて出た。
わぁ、プリンスさまの御前でこんな…ありきたりで芸のない感想!
あわわと日景館先輩に視線を向けたら。
「それなら良かった」
先輩は気分を害された様子もなく、プリンススマイルを炸裂されて居られた。
ま、眩しい…!!
異国の爽やかな風が吹き抜ける!!
此所は、何国ですか…?
俺、実はまだ、パスポートすら持ち合わせていないのですが!
プリンススマイルを浮かべられたまま、優雅な姿勢を崩すことなく、静かにお茶を愉しまれて居られる、最早、殿下は、俺などにもお優しいお心遣いを寄せてくださった。
「その菓子も好きな様に食べれば良い。俺は甘い物が苦手だから、遠慮するな。甘党の心太曰く、此所の菓子は十八学園内だけに限らず、下界の名店いずれにも劣らない最上級の味だそうだ」
なんですって…?!
いわゆるスイーツや紅茶の世界について、俺はまだまだ勉強不足の未熟者、あまり理解していないながら、はるとセレクション・スイーツ部門は専ら「HOTEL KAIDO」が独占しているというのに!
その超・超・超1流のホテルに、この十八学園メイドのスイーツが何ら引けを取らないということですか?!
なんてこと!!
そもそも、織部先輩がスイーツ好きとは知らなかった也、それこそ迂闊!!
なんてこと!!
これは一口でも頂かなくては、後々後悔すること間違いないではありませんか。
心の広いお優しい殿下が、微笑って勧めてくださっていることですし、引いている場合ではありませんな。
「で、では………恐れながら、いただきます…」
「どうぞ」
うーん、うーん、うーん…!
悩みますねぇ、迷いますねぇ!!
これだけキラキラのお宝を前にして、ひとつだけセレクトするというのは、テストでまったくわからない選択問題に出会した時よりも切羽詰まりますねぇ!
悔いなく心を決めねばなるまいて。
もう2度とないであろう僥倖のチャンス、殿下のお慈悲に恥じないよう、男・前陽大、いざ参る!!
「い、いい、いただきます…!」
「…!前陽大、凄い形相に…大丈夫か?林檎にアレルギーでもあるのでは?」
「いいえ、いいえ…!大丈夫です、どうかお気になさらず!りんごは大好物でございますから!」
俺が選んだのは、シンプルな飴色の素朴なケーキ。
うつくしくデコレーションされたスイーツも、それは気になるけれど、こういった素朴な外見にこそ、食の本質はあり!
それに、添えられたアイスクリームにバニラビーンズがたっぷり入っているし、溶けちゃったらもったいないしね。
…本音は、あまりに他のデコレーションが素晴らし過ぎて、きれいに食べる自信がなかったからです…ケーキをナイフでいただく習慣なんてありませんものー!
確かテーブル中央にどーんと存在していらっしゃる、あのミルフィーユもどきさんの食べ方には決まったマナーが存在した筈だし、まったく自信がございません。
いいのです、俺には素朴な食べものがピッタリしっくり。
では、いただきまぁす!
鏡の如く磨き抜かれたフォークを、緊張しながらケーキに入れた。
底はパイ生地なんだねぇ…とろんとした飴色りんごたっぷりに、さっくりさくさくの生地に、どきどきと期待が高まる。
もうここまで来たら勢いあるのみ、ぱくりっとひとくちでいただいた。
んなっ…!!
ななな…!!
「…大丈夫か…?口に合わないのなら、」
「おお、おおお…」
「お…?」
「おいしいいいぃぃぃ…!!!」
殿下がびくっとなっていらっしゃるのも構わず、俺はこの美味しさに酔い痴れた。
しっかりじっくり、ていねいにキャラメリゼされたことで溢れ出た、りんごの甘みが、ほろ苦甘みが、なんとおいしいことか…!
なんというかもう、りんごがとにかくおいしい!
サックサクのパイ生地が、このとろりとしたりんごを更に引き立てている。
パイの存在のお陰で、りんごが活きている!
りんごが主人公!!
ものすごく主人公!!
「りんご万歳…!天晴、りんご…!」
わなわなと震える俺に、殿下は目を見開いていらっしゃる。
このアイスを絡めて食べることで尚、りんごの素晴らしさ全開!
この紅茶を飲むことで尚、深いおいしさを感じる!
「おいしいです…おいし過ぎます、殿下…!こんなおいしいスイーツ、俺などが独り占めしちゃってよろしいのでしょうか…?!あぁ、こんなおいしいりんごのお菓子が存在するなんて…アップルパイも好きだけれども、うー…」
「そ、そうか…それなら良かった………『殿下』…?とにかく、まあ他の菓子も食べろ。遠慮は要らない」
「マ、マジでございますか…?!他のケーキさままで、俺などが…?!」
「あぁ、好きなだけ食べると良い。…『マジでございますか』…?」
「そんな…こんな幸せ、あっていいのでしょうか!殿下が素晴らしいアイドルさまでプリンスさまだということは存じ上げておりましたが、ほんとうに素敵な御方だったのですね…!俺はとってもとっても果報者でございます!身に余る有り難き幸福を授けてくださって、誠にありがとうございます…このお礼は後日必ずや!あー、どうしようぅ〜迷うなぁ〜…ここはやっぱりシュークリームさまかなぁ〜…はっ!でも、シュークリームさまにもマナーがあった筈!」
ううーん、殿下に失礼のないように、きれいに食べられるスイーツはどれだろう。
線目でテーブルの上に視線を彷徨わせていたら、ふいに、殿下が声を出して笑われた。
何でございましょうか!
あまりにがっつき過ぎて、みっともないことこの上なかったでしょうか…?
おろっと先輩の様子を窺っていたら、ひとしきりクククっと笑った後、またもプリンススマイルをお見舞いしてくださった。
「済まない、別に君が可笑しかった訳じゃない」
「は、はい…すみません、俺ったら…浮かれトン吉で…」
「『とんきち』…?いや、君がこんな菓子で元気になったなら良かった」
えっと視線を上げると、殿下はやさしい微笑を絶やさず、俺を見つめておられて。
日景館先輩にまで、俺が十八学園で過ごすことにお気を遣わせてしまっているのだと、やっと気づき、また居たたまれなくなった。
2012-01-03 23:21筆[ 471/761 ][*prev] [next#]
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