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突然現れた。
みたいに見えた。
何の前触れもなくいきなり、まだ5限が始まるには程遠い時間帯なのに、柾先輩はここにいるのが当然のように、飄々と存在していた。
廊下側も、教室内も、そのあまりに堂々としたお姿に気圧され、ただならぬ静けさに満ちている。
この御方は、他者を圧する存在感をほんとうに持っておられる。
それを自在にコントロールされる、自然に、いいようにも悪いようにも。
今朝とまったく雰囲気が違う。
生徒会長、だ。
生徒さん方に選ばれ、トップに立っている生徒会長。
並ならない労苦をものともせず、まっすぐ立つ人。
俺は、この場でどう動いたら、柾先輩のご迷惑にならずに済むのだろうか。
しばらく圧倒された後、すぐに当面の問題が頭に浮かんだ。
仁からのメールには、先輩に合わせるようにと書いてあった。
こんなに早く来られた先輩は、果たしてどう動くおつもりなんだろうか。
俺はどう合わせたらいいんだろう。
そんな余計な手間などかけずに、俺自身が皆さんに謝罪し、度重なる不祥事の責任を負って退学すれば、なにもかも丸く収まるんじゃ…
固唾を呑んで拳を握り締めた時、どなたさまも微動だにされない中、九さんが動いた。
机の上に広げられていた号外を、手荒くまとめて手に持ち、先輩の元へ足早に去って行かれてしまった。
号外を握りしめた時の、ぐしゃりという音が、耳の奥にやけにこだました。
「コ、コウ…!!これっ…!!どういう事なんだよっ?!はるとと、今朝、ふ、2人っきりで…一体何してたんだよっ?!!」
どこか悲痛な叫びにも聞こえる九さんの声に、固まっていた時が動き出し、そこかしこから悲鳴や嘆きの声が響いた。
「いや〜!!柾様ぁ〜!!」
「柾様に特定の人が出来るなんてっ…そんなの許せません!!」
「見損なったぜ、柾ー」
「会長様はどなた様にも手を出されないから、安心して憧れていられましたのにっ!!」
「僕達を裏切るんですか?!」
「Aチーム優勝、消えたな…」
「因りにも因ってお母さんなんかと…!!」
「柾様ならせめてもっと…お綺麗な御方がお似合いですのにっ」
俺はただ、俯かないように、必死で。
先輩がどう動くか、まったくわからないから、とにかく顔を上げて、注意深く息を潜めているしかなくって。
俺がすべての責任を負うのは当然だけれど、先輩は今、一体何を考えていらっしゃるのだろう…?
九さんに突きつけられた号外を、目の当たりにしながら、先輩の瞳は至極落ち着き払っていた。
記事の全容を観察するように眺めて、それから、止まない数々の声をゆっくり見渡し、やれやれと。
冷め切った、何もかもに興醒めしているっていう瞳のまま、不敵な笑みを浮かべた。
「下らねぇ」
一撃必殺の、冷たく落ち着き払った声だった。
斬られたか斬られていないか、そんなことも悟らせない、簡単で確かな言葉ですべてを振り払った。
再び静まり返る世界に、淡々と事実が響き渡る。
「体育祭が迫ってる中、チーム優勝考えねえ寝惚けた馬鹿がこの学園に居るってえのか?てめえのチーム度外視でやる気無え奴が居るのかよ。居るなら連れて来いよ、目ぇ覚まさせてやらあ。ましてこの俺様だ、優勝以外有り得無えだろうが。
前陽大は外部生、加えて複雑な障害物2人3脚に俺様と出場が決まった。なら悲惨な結果にならねえ様に練習すんのは当然だろうが。最も俺様に練習なんざ不要だけど?ただ、例え学園のお母さんだろうが誰であろうが、チームの人間が俺様に迷惑掛けんのだけは許し難ぇ。だからわざわざこの俺様から早朝特訓を申し出てやった迄だ。
それをどうだ、てめえらが煩ぇだろうと想って隠密に行動してみりゃ、この始末!人の気遣い逆手に取って、ある事ない事書き立てるわ、便乗して騒ぎやがるわ…てめえらどんだけ暇なんだ…?そんな余裕あるなら練習しろっつーの。
おっと、Aチームの輩は下らねえ号外に盛り上がる程、余裕あるっつー事だよなぁ…?優勝の目処あっての余裕か…当日に期待できそうだな…?」
悪どい微笑、脅迫めいた物言いに、誰も何も言えずに視線を右往左往している。
どなたさまも体育祭前だという現実に立ち返り、納得しかけた空気が満ちた。
けれど、そう簡単には収まらなかった。
「柾様の仰る事はわかります…!ですが、このお写真の数々には納得出来かねます…!柾様がこんなに親し気な…優しい笑顔を向けられる事なんて…!生徒会の皆様に対してもなかったではありませんか!?誰がどう見たって、これはっ………」
合原さんだった。
お昼休みもずっと教室におられた、今まで沈黙を守られていた合原さんが、声を詰まらせながら先輩に詰め寄っている。
その勢いに、九さんも我に返られた。
「そ、そうだぞっ!!コ、コウがこんな風に笑った所、オレだって見た事ないっ!!」
背中が寒い。
悪寒が走った時みたいに、身体の芯から寒い。
先輩はどう答えるのだろうか、俺はちゃんと見届けて、それに合わせなくっちゃならないのに、今すぐこの場から目も耳も塞いで立ち去りたくて仕様がなかった。
視線は、動かせなかったけれど。
だから、一瞬の動揺も見せず、何てつまらない事だと冷め切った瞳が、堂々と答えを出すのを一部始終見ることになってしまった。
「あー、陽大は似てるからな」
「「「「「…はい?」」」」」
周りの動揺に感化されずに、あくまでしらっとしていらっしゃる。
「陽大、実家の犬にそっくりだから」
2011-12-25 23:26筆[ 467/761 ][*prev] [next#]
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